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「放課後、奥から二番目の個室トイレで待ってる」
大好きだった、ずっと憧れだった白雪ちゃんからの突然すぎる宣言。
「もちろん男子トイレの方ね」
とんでもない事をすれ違いざまに言われ、狼狽した俺は彼女を見る。廊下をトテテッと走る白雪ちゃんは、はにかみながら俺の返事を待つことなく教室内へと入っていた。
こっそりと、さりげなく、俺にだけ聞こえるように言ったのだ。他の誰でもなく俺だけに、二人の秘密を共有するかのように。
だから場所がちょっと変だとか、どうしていきなり呼び出されたのか、そういった不審感よりも高揚感の方が上回ってしまい、俺は放課後が待ち遠しくて仕方なかった。
そうして放課後一番に、男子トイレの奥から二番目の個室を開けてみれば――――お世辞にも綺麗とは言えない空間、トイレの個室にポツンと美少女が佇んでいた。
清らかに流れ落ちる長い黒髪、雪よりも純白な肌、澄んだ瞳、薔薇色の唇。
学年で誰が一番可愛いか、と問われたほぼ全員がこの子だと公言する程の女の子が、決して居てはいけない閉鎖領域にいる。
現実味のない光景が目の前に広がっていたのだ。
「あ、鈴木くん……来てくれたんだ?」
彼女が艶っぽく俺を呼ぶ。
そして個室のドアは閉められ、壁際に追い込むように白雪ちゃんが近付いてくる。中学二年生にしては大きすぎる胸が制服越しからこれでもかと主張し、俺の胸にくっついてしまう。
「私に何でもしていいよ?」
「えっ……」
白雪ちゃんはブレザーが汚れる事も構わず、トイレの床へと脱ぎ捨てる。そして自分のワイシャツボタンをブチブチッと乱暴に外していった。
「し、白雪、ちゃん……?」
何をしているのか理解できなかった。ただ、ワイシャツがはだけた隙間から真っ白な鎖骨や胸元がチラチラと見え、脳内はそれだけでいっぱいになってしまう。
だって、だって、現役で清純派の美少女アイドル活動をしている白雪ちゃんが、俺なんかにこんな事をするはずがない。学年でも絶大の人気を誇る美少女が、俺を誘うなんて万に一つもありえない。でも現実に広がる光景は、夢にまで望んだシチュエーション? で、彼女の恥じらう顔が俺にだけ向いている事に歓喜が迸ってしまう。
「ほ、本当に、何でも……していいの……?」
俺の問いに、白雪ちゃんは黙って後ろ手にごそごそと自分の背中をいじり……真っ白なブラジャーを手渡してきた。
「鈴木くん、言ってくれたよね。私が一番だって。実は鈴木くんが毎回ライヴに来てたり、必ずイベントに参加してくれてたり、サイン会や握手会まで来てくれてるの、全部覚えてるよ」
そう、俺はいつだって白雪ちゃんを応援してきた。
彼女がデビューしてから一年間、ずっとずっと数多いるアイドルの中で彼女だけに憧れ、彼女だけに惚れ、彼女を一番に見てきた。
「いつも鈴木くんが応援してくれるから、とっても嬉しくて――」
だから、白雪ちゃんにそんな風に言われてしまったら、気持ちを抑えつける事はできなかった。男子トイレに数人分の足音や声が入ってこようが関係ない。静かに二人でこの個室にいればバレやしない、そんな強気で彼女のブラジャーを握りしめてしまう。
「好きになっちゃった。鈴木くんのこと」
頬を染め、瞳をうるます白雪ちゃんは天使のように愛らしかった。彼女の全てが欲しくなって、ブラジャーだけでなく白雪ちゃんの華奢な身体をも抱きしめる。
柔らかく、暖かな、そして妙にいい匂いがする。幸せすぎてクラクラしそうになるのを懸命に堪え、彼女の腰に手を回しギュッと力を入れ過ぎないように包む。
そして俺の背中にも回された彼女の腕が、そわそわと這い寄って抱きしめ返――――――
返されなかった。
代わりにカチリという音が背後から響く。
なんだ? と思いながら、振り向けば――締めたはずの個室トイレの鍵が開かれていた。
彼女の伸ばした腕が鍵を外したのか?
そんな疑問に更なる疑惑が俺にのしかかる。それは胸元で下卑た声が、黒い響きを伴って発せられたのだ。
「本気で好きとでも言うと思った? ばぁーか」
「えっ?」
一瞬なにを言われたのか、全く理解ができなかった。
困惑によって事態を把握しきれなかった俺に対し、白雪ちゃんが大きな悲鳴を上げ出す。
「助けてッ! 誰か助けてぇええええ! 無理矢理ッッ鈴木くんがッ!」
ドンッと胸を押され、彼女の熱が離れる。そしてバァーンと激しい音と共に、個室トイレのドアが開け放たれた。
あまりの事態に俺はその場から動けず、ただただ白雪ちゃんが泣きながら出て行く後ろ姿を目で追うしかなかった。
「えっ!? なんで白雪さんが男子トイレに!?」
「ちょっ、どうしたの!?」
「なんで泣いてるの!?」
先程トイレに入って来た数名の男子が、あり得ない場所から姿を現した白雪さんに驚きの声を上げる。
「男子トイレで何かあったのかー?」
「なになに、事件?」
そんな騒ぎを聞きつけて、トイレ外からも人が集まり出してるようだ。なかには白雪ちゃんと仲良しグループの女子達の声も聞こえる。
「な、何があったの白雪さん!?」
「雪ちゃんどしたの!?」
「鈴木くんが……無理矢理に私をここまで引っ張って、言う事聞かないと顔を殴るって脅されてッ、それで、それでッ……ひぃッく……うぇ……」
野次馬たちに、白雪ちゃんの涙声が浸透していく。
さすがは現役アイドルなだけあって完璧な演技力を誇っている。なんて感心している場合じゃない!
「アイドルの顔を殴るって……」
「え、キモすぎるだろ」
「ありえない……アイドル相手に暴走とか……」
「雪ちゃん、可哀そう」
「犯罪じゃね? マジかよ」
「見損なったわ、鈴木ぃ」
「鈴木が白雪さん推しだってのは知ってたけど、まさかそこまでとか……」
天国から地獄に突き落とされる、とはまさにこの事だった。
白雪ちゃんの説明と俺の弁明、どちらが信じてもらえるかは火を見るよりも明らかだった。必死に無実を証明しようにも、俺の手に握られた白雪さんのブラジャー。そして彼女のはだけたワイシャツが全てを物語っていて、状況証拠は完璧に揃っていた。
「鈴木くんが怖いよォ……なんでそんな作り話なんてするの?」
なんて白々しい女なんだ。
白雪なんて儚く散るような名前をしておいて、中身は黒い災難を降らす極悪女だと初めて悟った瞬間だった。
真っ黒な雨……黒油には火がつき、俺の憎しみとクラスメイトの嫌悪感を燃え上がらせた。
それから俺は彼女を中心とした、陰湿なイジメを受け続けた。周囲の人間は『俺という変態から白雪ちゃんを守るため』だなんて大義名分を振りかざして暴力行為に出る者もいた。
クラスの女子と男子全員が彼女の味方で、学校での俺の居場所はなくなってしまった。
唯一の救いだったのは、小学校時代からの腐れ縁である優一が味方をしてくれた事。それと妹の夢来が『お兄ちゃんが他の女子にそんなのするはずない』と、俺を信じてくれた事だった。
そうして悪質なイジメ行為に耐え抜いた1年後、白雪は唐突に転校していった。すると彼女の取り巻きとなって俺にちょっかいをかけていた男女は、ピタッといじめるのをやめた。
まるで俺をいじめていた事実なんてなかったかのように、普通に話しかけ、振る舞ってきたのだ。
こいつらは狂っている、そう確信した。
俺は人間というものが心底信じられなくなった。
それから半年が経ち――――クラスメイトが総変わりする高校1年になっても、俺の中でくすぶる暗く濁った感情が消える事はなかった。