テラーノベル
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今日も今日とて此処に居るドールたちは賑やかに笑い声が飛び交っている。訳では無く、今日は比較的穏やかな空気が流ていた。
事務所の片隅ではパラオ共和国のドール、和華が折り紙で可愛らしい鶴や犬、猫、何を思ったのかドラゴンまで器用な手付きで量産していた。
何やらその隣では、カナダのドール、炎加が和華を愛おしそうな目で見つめている。実は、彼は和華に片思い中なのだ。まぁ、当の本人には気付いてもらえず、未だ片想いなのだが。
事務所の中央に置かれている大きなテーブルには、台湾のドール、湾華が定位置となっている席に座り、スマホを見つめながらニヤニヤしている。彼女の姉と連絡でも取っているのだろう。彼女は、鈴華や北華と並び、3大シスコンと呼ばれているのだ。
そんな三人を見守るようにして愛華は茶を啜っている。時折何かを考え込むような素振りを見せて。
そんな愛華の右横には、大日本帝国時代のドールであり、愛華の弟の炎帝が熱心に本を読んでいる。表紙の文字を見る限り、とても難しそうな内容だ。
そんな穏やかな空間に高らかに電話の音が響いた。
「はい、日常の小さなトラブル解決隊です。今回はどのようなトラブルでしょうか?」
本に栞を挟むと、炎帝がそっと受話器を手にし、声を発した。
普段なら鈴華が出ている所なのだが、本日は鈴華はサボっていた仕事を妹の陸華に監視されながら、半泣きでやっているので、手が空いた者がやるしか無いのだ。
だが、愛華は基本的に電話にはでず、湾華は姉や一部のドール以外には面倒くさそうに話す。和華は今電話に出る時の作法を習っている最中であり、炎加は穏やかにゆっくりと話すので話が進まない。何が言いたいかと言うと、消去法で炎帝が出ているという事だ。
「本が水没?!」
目を少し見開いた炎帝が普段は出さないような大きな声を出した。それ程までに驚いたのだろう。読書家の彼にとって本の水没とは、小さいトラブルなんかでは済まされない。
炎帝の声を聞いて、和華はメモ帳とペンを持ち、炎帝の隣に立ち、音量を上げて事務所に居る全員に聞こえるようにした。彼女が慕っているドールの一人、陸華の真似だろうか。なんとも可愛らしいものだ。
炎加は静かに炎帝の方に目を向けた。微かに受話器を睨んでいるのは気の所為だろう。
湾華の顔からはニヤニヤとした表情が消え、面倒くさそうにしている。
そんな中、愛華だけは平然として、茶を啜っている。だが、そんな彼女の瞳には微かな関心が有るのは見て分かるだろう。
「どうして、本が水没してしまったか教えてくれますか?」
穏やかに、されど真剣な声色で炎帝は受話器の向こうの人物にそう問う。
「コップに手が当たっちゃって、い、妹の本をずぶ濡れにしちゃったんです……」
受話器の向こうから聞こえてくる声は、青年の焦りと絶望の混じった声だった。
「あの本、…妹のお気に入りの本で……、お、俺、殺されるのかな……」
絶望に打ちのめされるような声で受話器越しに青年はそう語った。本好きの妹の本を水没させたとなると、妹に殺される可能性を考えてしまうのは、多分よくある事なのだ。
「本の状態、種類によって対処法は異なりますので、今は何とも言えませんね。ご自宅の場所と、本が水没した時の詳しい状況を説明して下さい」
青年の焦りと絶望とは裏腹に、炎帝は落ち着いた声で話しかけている。
「えっと、家は、本野町紙丁目水番没む号です」
住所が大分ふざけたような物の気がするが、此の世界ではそれが普通なのだ。気にしては負けだ。
「…本の紙水没」
住所を聞いた湾華が必死に笑いをこらえている。
「リビングでただちょっと、ポテチを食べようと手を伸ばしただけなんです……。…さっきまで俺が飲んでた、コップの水が…、妹の置いていった本の隣にあって……、コップに手が触れた時、…コップが倒れて…、妹の本が水没したんです…」
受話器越しに聞こえる青年の声は震えているようだ。それは、妹の本を水没させた事による死への恐怖か、ただ単に焦っているだけだからか。
「あるあるだねぇ〜。炎利兄さんの本も、ずぶ濡れになった事、有ったなぁ〜」
いつも通りの穏やかな表情を取り戻した炎加が目を瞑り、のんびりとした声でそんな事を呟く。目を閉じているので、心の内ではどんな事を思っているかは分からない。
「はい、では、二分後にそちらにお伺いさせて頂きますね」
炎加がのんびりの独り言を呟いていると、トントン拍子で話が進んでいたようだ。
「え?!二分後?!まぁ、いっか。取り敢えず、お願いします!」
炎帝の二分後という言葉に驚いたようだが、青年は藁にもすがる思いで発したと思われる声を発している。
「承知いたしました。では、失礼します」
至って冷静に、炎帝は受話器をそっと置いた。
「ダル」
机に突っ伏した状態の湾華からそんな声が聞こえる。自身の姉との連絡を中断させられた事自体不愉快なのだろう。
「ふむ、二分か。準備に一分かかるのであれば、その程度が妥当だろうが、本というのは早急に乾かした方が良い。時間が掛かる湾華は置いていけ」
空になった湯呑みに目をやりながら愛華は炎帝達にそう告げた。
「もし僕たちが依頼に言っている時に電話が来たらどうするの?」
炎加は、穏やかな口調だが、その声の奥底を読み取ると、まるで愛華を試しているようにも聞き取れる。
「心配するな。私も湾華と共に留守番している。何かあれば連絡してこい」
愛華は、そっと立ち上がり、冷蔵庫の中にあるポットの麦茶を湯呑みに注ぎながら応えた。
「そっかぁ〜。りょ~か〜い」
炎加は穏やかに、期待通りと言ったような声でそう言った。
「愛姉さんお留守番するんですか?そうですか…。じゃあ、和華、いっしょうけんめいに頑張ってきます!」
和華は彼女が一番慕っているドールである愛華が留守番と聞いて少し落ち込んだような素振りを見せたが、直ぐに可愛らしいエンジェルスマイルでそう宣言した。
「和華の事は僕に任せといてねぇ~」
そんなエンジェルスマイルを振り撒いている和華を愛おしそうに見つめながら、炎加は炎帝と愛華に向けてそう言った。
「そろそろ和華も嫁に出さねば、です、か」
少し寂しいような、嬉しいような、そんな複雑な表情を浮かべて炎帝は独り言を呟いた。炎帝も和華を実の妹のように可愛がっている者達の一人なのだ。
「茶番はいいから早く行け」
炎帝の言葉に愛華は少し眉を顰めつつも、優しい声色でそう告げた。
「あ!また姉貴から連絡来た!はぁ?何で彼奴の事話すの?最悪何だけど」
湾華は姉から連絡が来たらしくテンションが上がったと思われたが、湾華の姉が別のドールの話をするものだから一気にテンションが地の底まで落ちたようだ。テンションの落差が激しいのはいつもの事なのか、愛華達は気にも留めていない。
「イヤホン、よし!メモ帳、よし!ハンカチ、よし!ディッシュ、よし!準備万端です!」
和華は手動の硝子扉の前で、持ち物を一つ一つ確認して、元気良くそう声を上げた。
「和華、僕は姉貴と連絡してるから行けないけど、頑張ってね!」
湾華は意外にも和華に懐いている……、和華と親友なのだ。湾華曰く、和華は姉貴の次に大事。だそうだ。
「泣きながらサボった分の仕事をしている鈴姉さんの分まで頑張ってきますね」
いつもの定位置でまた、茶を啜っている愛華に向けて炎帝は声をかけた。
「あぁ。無理の無いように頑張れ。私も湾華の子守をしておく」
ちゃっかり、いや、しっかり湾華の子守と愛華は言った。彼女の辛辣な所は健全なようだ。
「じゃあ、いってきまぁ~す」
炎加のその穏やかな声を合図に炎帝達は事務所を飛び出した。
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