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月夜の晩には死者が出る。
それは噂ではなく、純然たる事実だ。
深夜、月の出る帝都にて。
切り刻まれ、もだえる浮浪者の息の根を、主人の魔法剣が止めた。
「今日はいい月ですねぇ」
断末魔の後に歌うような声が響く。
「そう思いませんか、ハガネ」
血塗れの主人に奴隷(わたし)は傅(かしづ)く。
おおぶりのカンテラが重い。
8歳のわたしにとって大振りなだけで、実は通常サイズなのかもしれないけれど、それでも重いものは重かった。
生まれてくる子が親を選べないように。
奴隷は主人を選べない。
殺人を繰り返す主人。
道徳的に考えれば、止めるべきだろう。
自由民の騎士ならば、胸に熱を帯びて、正義を叫ぶかもしれない。
しかし、奴隷ならどうだろう。
正義に則(のっと)って、主人を止めるべきだろうか。
それとも、主人の盾となって道徳に立ち向かうべきだろうか。
主人を止めたところで、拷問呪文を唱えられるだけかもしれない。
主人の盾となったところで、正義を掲げる聖堂騎士団に殺されるだけかもしれない。
奴隷は物だと言うけれど、ならば何故わたしには思考がある。考える力がある。
ああ、何故ですか。神よ。
何も思わぬ物ならば、この苦しみはなかったのに。
「ははっ♪ 【震えよ《シェイカー》!】」
主人が幅広の魔法剣に魔力を込めると、刀身が高速で振動する。
理屈はわからないが、あの震える剣は骨すら容易く切断するのだ。
肉を裂き、骨を切り、生首ができた。
わたしはただ、主人を見ている。
わたしが夜道を照らさねば、この浮浪者は殺されなかっただろうか。なんて、思いながら。
わたしは病気だった。
ゼゲルというどうしようもないクズに売春を強要されているうちに、病気になった。
咳や熱が出るわけではない、ただずっとずっと頭の中で誰かが呟くのだ。
「殺せ、殺せ」と。
あの腹のでばったゼゲルを見た時、殺したいと思った。
クズを殺したいと思うのはわかる。だってクズだからだ。
でも、わたしはそれ以外も殺したくなった。
同じ奴隷部屋に住むミーシャもベルッティも殺したくなった。
リネイに至っては、ベルッティにやれと言われたとはいえ、実際に殺してしまった。
恐ろしいのは、それで心がスッとしたことだ。
リネイは別に悪いやつではなかった。
それどころか、リネイは気高いエルフだった。
わたしの暴力にも屈さず、ベルッティにゲロを食わされそうになっても最後まで拒んだ。
でも、殺した。
かわいそうだとは思う。
それでも、心は楽になるのだ。
気高く美しいものが無意味に死んでいくのを見ると、気分がいい。
自分と同じ無価値なものに変わっていくのを見ていると、心が落ち着く。
そういう趣向が自分にあると知った時、死にたくなった。
なのに、わたしの殺意はいつだって外向きで、誰かを殺したくてたまらない。
これが病気でなくて、何なのだろう。
ある日、わたしを買った男が言っていた。
わたしがやっていることは児童売春で、許されないことなのだと。
だから叱ってやると言って、わたしを犯した。
悪事は神が許さないと、そう言った。
神、神様。
すべてを創り給(たも)うたもの。
もし、そんなものがいるのなら。
どうか、わたしをなかったことにして欲しかった。
そんなことを願う癖に、わたしは他の奴隷仲間を殴り、吐かせ、そのゲロを啜ってまで生きようとするのだ。矛盾している。
ある日、アーカードという奴隷商人が何か複雑でよくわからないことをして、わたしたちを救った。
温かい食事と寝床は奴隷仲間を癒やしたが、わたしの心は変わらなかった。
弱いけれど、明るく優しいミーシャ。
卑怯だけれど、強い野心のあるベルッティ。
二人とも素敵な心を持っている。
だというのに、わたしはただ殺したいだけだ。
そんなものが、どうやって人を幸せにするのだ。
人を害さずにはいられないものが、どうやって生きていけばいいのだ。
わたしはこの悪心を、人を殺したいと思う気持ちを、隠さなければならないと思った。
それでも、夜な夜な街へ出て小動物や魔物を殺して悦に入ってみたり。奴隷仲間に「殺してやる」とか言ってしまうのだけど、本気ではないと思って貰う必要があった。
この新しい場所では奴隷であっても互いに協力する。
仲間を傷つけたり、殺そうとするものは。
罰されたり、売り払われたりする。
また、不思議なことに争う必要もなかった。
休日以外は作業場へ行き、武器や防具を造り、茨の刻印をする。
その繰り返しだ。
毎日食事が出るし、売春を強要されないし、誰かに脅かされるということもない。
天国のような場所だ。
自由民だって毎日働いて、飯を食べて、寝るだろう。
もしかしたら、同じくらい裕福な暮らしをしているのかもしれない。
それ以上、何も必要ないくらいに。
だというのに、わたしの殺意は消えてくれない。
むしろ、強くなっていく。
ずっとずっと頭の中で「殺せ、殺せ」と声がするのだ。
この病気を誰にも気づかれてはいけない。
気づかれればみんなに嫌われるだろうし、病気というのはうつるものだから、アーカードはわたしを売るだろう。
病気が他の奴隷にうつったら大変だから、仕方ないことだ。
そうなれば、もうここでは暮らせない。
ああ、そうだ。
わたしは殺したがりのクズだ。
そんなやつが幸せになれるとは思えない。
物語ではクズはだいたい不幸な目にあって死ぬと決まっている。
だから、わたしもそうなのだろう。
でも、それでも幸せになりたかった。
浅ましいことにわたしは幸せになりたかった。
そして、その日がやってきた。