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「さあ!京介さん!行くわよ!」
お咲に負けてはいられないと、芳子が舞台へ向かって踏み出す。
「ちょっと!義姉《あね》上?!」
おに太郎の大合唱の中、芳子は、優雅に舞台に歩み出た。
そして、負けず、にぎにぎーー!とお咲の後ろで高音を発した。
いきなり響き渡った唄声に、お咲はびっくりして固まった。
「さあさあ、お咲ちゃん!おに太郎を唄いますよ!」
芳子の言葉に、観客が沸く。
大きな拍手が巻き起こり、さらに、皆の勢いは高まっていく。
「なんだ!これわっっ!!何が、にぎにぎーー!だっ!」
岩崎は、怒鳴り付ける寸前だった。
「まあ、いいじゃないか。皆喜んでるんだし。けど、そろそろ終わらせないと……」
「そうゆうことだっ!中村!学生の発表ができないだろうがっ!!」
「というより……」
怒る岩崎に中村が困り果てた顔で呟いた。
「この後だよ……岩崎。さすがにこの勢いの後の演奏はきついだろう……」
「ええ、中村さんの言う通りですね。やってくれるなぁ」
中村の後ろで、男子学生が苦笑いしている。
お咲が音楽学校で練習した時にピアノ演奏をした学生、戸田だった。
「あっ!二幕目のトップは、戸田、お前だったんだよなぁ」
ため息を付きながら、戸田は頷く。
「まあ、ある程度は予想しておりましたよ。男爵夫人、子供が唄うとなれば、物珍しいでしょうからね……だけど、新聞記者まで現れては……」
戸田が言葉を濁すほど、カメラ担当は男爵夫人の写真を撮ることに没頭し、もう少し右へ、今度は左へなどなど、写り栄えを考え注文を出している。
そんな賑やかさも加わり、どうやって、本来の学生による音楽発表会にもどせばよいのかと、岩崎も顔をしかめきる。
「……中村、すまんが、演奏してくれ」
岩崎に何か考えがあるようで、言うと、すうっと息をすった。
中村は言われたまま、バイオリンを構える。
「桃太郎を頼む」
それだけ言うと、岩崎も舞台へ足を向けた。
「桃太郎ーー!!」
颯爽と登場し、大きな声で美声を響き渡らせる岩崎に、観客達は度肝を抜かれた状態で、ポカンとしている。
中村がすかさず桃太郎のサビの部分を演奏した。
「あら、桃太郎……よね、そうだったわ……」
芳子は、はたとして、唄を止めた。
そして、
「あーー!桃太郎ーー!!」
オベラ風味の桃太郎が響き渡り、 それを聞いたお咲が、
「桃太郎ーーーー!!」
芳子の唄声に被せる。
岩崎は、側で演奏している中村へ目配せした。
中村も、わかっているとばかりに、小さく頷き、曲を終わらせる。
同時に、岩崎は、恭しく芳子の手を取った。
終わり、という合図だと芳子も理解しているようで、岩崎と共に優雅な一礼を行う。
それを見たお咲も真似をして、観客へお辞儀をした。
サラサラと絹すれの音を立てながら、芳子は岩崎にエスコートされて舞台を下がる。
うん、と、中村に頷かれたお咲も、中村と共に、ちょこちょこと舞台から下がった。
「まあ、本当に大変だったこと!」
舞台裏に下がり、観客の大拍手を聞きなから芳子が息をつく。
たちまち、岩崎が芳子の手を振り払い、
「そ、それは、こちらの!」
と、怒鳴りかけるが、待機している戸田と続いて下がって来た中村に、観客へ聞こえるからと制された。
そんな不機嫌極まる岩崎の事などお構いなしで、終わったのかと支配人が現れ、上着のポケットを探り……。
「こ、こちらを!」
ポケットから、キャラメルの小箱を取り出し、支配人が芳子へ差し出した。
あら?と、芳子が首をかしげている側で、戸田が言う。
「中村さん、なんですか?あれ?なんで、キャラメルを?」
「えーと、そうそう、あんパンとキャラメルで出演しないかってとこから、男爵夫人とお咲が唄うことになったんだ……と思うんだけど?」
そうだったよなぁ?と、中村は岩崎へ問うた。
「……なんですか?それ?」
戸田は、話が見えないと呆れ返り、
「岩崎先生、そろそろ私は行きます」
真顔になって、楽譜を手に舞台のピアノへ向かった。
「支配人。幕間の騒ぎは終わりだ。二幕目の合図と幕を引いてくれ!」
岩崎が演奏会再開の指示を出す。
「は、はい!ただいま!」
バタバタと舞台裏が慌ただしくなり、チョンと拍子木が鳴る。それを合図に、舞台の幕が開かれた。
鍵盤に向かって座っている戸田の後ろ姿を、岩崎と中村が心配そうに見ている。
劇場は、ざわめきを越えた騒がしさで、誰も舞台へ注目などしていない。弁当を広げて食べ始めと、舞台どころか各々なごみきっている。
「……戸田も気の毒に……」
「中村、しかし、ここは戸田君しか適任者はいないだろう……」
諦めのような言葉を吐く岩崎と中村の側では、なぜキャラメル一箱なのか、あんパンはどうしたのだと、芳子が支配人へせめぎ寄っていた。