テラーノベル
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第二十章 世界から一拍遅れて
朝、目が覚めた時、
一瞬だけ、蓮がまだ隣にいる気がした。
腕を伸ばして、空を掴む。
触れるはずの体温はなくて、冷たい床が日常を戻していく。
起き上がるまで、少し時間がかかった。
「もういない」と理解するまでに、ほんの数秒の猶予が必要だった。
ベッドから起き上がると、後孔を伝う生ぬるい感触があった。下腹部に少しの違和感と、ずんと重たい痛みがあった。
「蓮が居る」
それだけで心が少しだけ軽くなった気がした。
カーテンに手を掛けちょっとだけ外を覗いた。眩しい朝の光に面食らってすぐに閉じた。
キッチンに立って、マグカップを二つ出す。
青と黒のお揃いのカップ。
お湯を注いでカップを温め、ペーパーフィルター湯通しする。
これが美味しさのコツ……蓮にはナイショ――
香り経つコーヒーの香りが二人の朝を告げる。
二杯分のコーヒーを淹れて、ふと我に返った。
蓮の分と……あっ俺の分。
いや、俺の分だけで良かったんだ。
香りだけが部屋に広がって、蓮と向かい合って飲んでいる錯覚がなかなか消えなかった。
仕事に行く支度をする。
鍵、財布、スマホ。
順番はいつも同じなのに、今日は何度も確認した。
玄関で靴を履きながら、
「行ってきます」と言いかけて、口を閉じる。
外はよく晴れていた。
蓮と見上げた青と、同じ色のはずなのに、今日は少し遠い。
コンビニに寄った。
アイスの棚の前で、足が止まる。
二個入り。
家族用。
一人用。
どれも、しっくりこなかった。
結局、何も買わずに店を出る。
自動ドアが閉まる音だけが、やけに大きく聞こえた。
「おはようござい……ます?」
楽屋で打ち合わせ中のメンバーが驚いた顔をして、扉の前に立つ俺の方を一斉に見た。
「あれ?時間、間違えちゃった?」
慌ててスマホを確認する。時間は合ってるはずだけど……
直前に変わった集合に一時間も遅刻していたらしい。謝罪したものの、誰も俺の不在に気付かなかったようで、返って悪かったと謝られる始末だ。
後から分かった事だが、集合時間が前日に変わっていたようで、その変更を俺にだけ連絡するのを忘れていたらしい。
亮平の隣に腰掛けた。それぞれのメンバーカラーで色分けされた、打ち合わせの資料。スケジュールなどの確認をするものの、青色で書かれた俺のスケジュールだけが、書かれていない。
亮平が資料をめくる音が、やけに乾いて聞こえた。
もう一度、青の欄を指でなぞる。インクの凹凸も、予定の文字もない。
「……俺の、ここ」
声に出しかけて、やめた。
紙の白さが、指先の冷たさと同じ温度に思えた。
「翔太、次ここ確認しといて」
人差し指でトントンと弾かれた別紙の端が、少しだけ湿っている。握りしめていたことに気付いて、そっと力を抜いた。
読み上げられる日付と時間が、頭の中で並ばない。
青の欄だけが、どうしても埋まらない。
「具合悪い?―――っ――しょうた」
亮平の呼びかけが、半拍だけ遅れて届く。
名を呼ばれた気がして、振り向くまでに時間がかかった。顔を覗き込むようにして、視界に入ってきた亮平の表情は険しかった。胸に込み上げてきたのは、恐怖だった。
世界から〝オレ〟が消えゆく日。
吐き気を催し、慌てて口を塞ぐと、部屋を飛び出しトイレに駆け込んだ。
気付いていたのに、触れないでいた。
それでも、蓮に会えた朝の温度だけは手放せない。
それでいい、と言い聞かせる。
蓮だけ俺のことを覚えていてくれるならそれだけで良かった。
トイレに響いた俺の嗚咽は、誰もいない部屋みたいに静かだった。
踊り慣れた音楽で、佐久間と肩がぶつかった。立ち位置は、何度も身体に叩き込んだはずなのに、俺がいるべき場所に、康二が佇んでいる。
世界が俺抜きで回り出した?
一拍遅れて踏み込んだ足。
俺の小脇を抱えて、心配そうに「大丈夫?」と言った幼馴染の顔は、深刻だった。
「今日はここまでにしよう……照、翔太家まで送ってくるよ。体調が悪そうだ」
タクシーの車内。
聞こえてきたのは俺たちの音楽だった。俺は歌うことが大好きだ。ラジオから聞こえてきた俺の声はちゃんとまだそこに有って、少しホッとした。
「やっぱお前歌上手いな」
涼太に褒められるのは嫌じゃない。
握られた手のひらに、熱が戻ってくる。
「何が起きてるの?最近お前の周り可笑しくないか?」
「さぁ?頑張らなきゃね……九人も居たら大変だ……分かるだろ?個性を出さなきゃ選んでもらえない世界だ」
「なに?悩んでんの?お前はおまえで、それで十分だろ」
久しぶりに幼馴染の涼太の前で泣いた。肩を震わせなく俺に
「参ったね……デビューしたてのガキじゃないんだしっかりしなさいよ」
言葉は乱暴なくせに、肩を抱く右手が優しく、そっと引き寄せ涼太の胸を借りるとそのままゆっくり目を閉じた。
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翔太透明パート読むの悲しい😢