すっかり拠点と化したログハウスの前までリアンが戻って来た。 荷物には毛皮が大量に入っており、使い切れなかった攻撃用の小石も中に入ったままだ。でもパッと見は村人1的な軽装で、大量の荷物は、ソフィアの時の様に全てステータス確認画面内にある『持ち物』欄にデータとして記録されている。中途半端にリアルな世界だが、リアンにとっては何処の誰とも知らぬ存在が、その辺は企画通りに創ってくれて本当に良かったと思う。
「只今戻りました」
木製の扉を開けて中に入る。焔とソフィアはリアンが出掛ける前とほぼ変わらぬ位置におり、二杯目のお茶を啜っているところだった。
「早かったんだな、お疲れ様」
椅子に座り、湯呑みを片手に持った焔がリアンの方へ顔を向ける。でもソフィアはキョロキョロと顔を動かすみたいに体を振るばかりだ。
『……ワタクシ、今何かしましたでしょうか?』
ソフィアは『お疲れ様』と焔が言った理由がわからず、きょとんとした声でそう訊いた。
「ん?いや特には何もしていないと思うが」
「早かったですか?まぁ、確かに、ソフィアさんの外出時間と比べればそうかもしれませんね。あ、でもそれなりの量の毛皮を取っては来ましたよ。今は丁度お昼ですよね、ついでに生肉も大量に入手出来たので、此処にある食材次第ですが、何か作ろうかと思うんですけど、どうし——」まで言ったリアンの声は、ソフィアの『ひゃっ⁉︎』という奇声に遮られてしまった。
『……今、リアン様が饒舌に話す声が聴こえた様な気が!』
気がするレベルで収まる声量では無かったのに、ソフィアには姿が確認出来ない。そのせいで、自分だって十二分過ぎる程不可思議な存在だっていうのに、まるでオバケでも居るみたいな反応をした。
「そりゃそこに居るからな、聴こえるだろうさ」
『いやいや、おりませんよ?』と慌てながら、体を開いてマップのページを開く。そしてパーティーメンバーの居場所を確認し、前言撤回して『おりますね!』とソフィアは叫んだ。
『ですが……一体何処に?』
再び体を左右に振りながら不安気な空気をソフィアが纏う。そんな姿を見て、焔は何故ソフィアが怯えているみたいな状態になっているのかわからないままリアンの姿を改めて見返してみた。
「リアン……お前の見え方が少しオカシイんだが、何かあったのか?」
白い布で目隠しをした状態である焔にそう訊かれ、リアンは自分の姿が消えている状態である事を思い出した。
「あ、すみません。実は毛皮狩りをしている最中にマジックアイテムを偶然入手出来まして、それを装備したままでした」
焔の事ばかりを考えて戻って来た道中の間で、白い蛇への罪悪感はすっかり鳴りを潜めていたのだが、仮面にそっと触れると切ない気持ちを思い出してしまう。彼に対して申し訳ないと感じつつも、このままいつまでも引きずってもいられない。流石にそろそろ割り切らねばとリアンが思う。
「それでか。効果は何なんだ?」
『訊かずとも、姿を隠す何らかのアイテムである事は間違い無いかと』
そう言うソフィアは先程と違ってちょっと自信満々だ。
「正解です、ソフィアさん」
そう返答したものの、リアンは念の為にマジックアイテムの名前は伏せておくことにした。
「へぇ、そうなのか。この世界にはそんな物もあるんだな」
『RPGゲームの定番ですよ、主人。ネットワーク対応のオープンワールドゲームになりますと、レアアイテムの取り合いでプレイヤー同士が骨肉の争いにもなるそうです』
「此処ではそうじゃないといいな。まぁ……そこまでしてでも欲しい物も無いと思うが」
焔はソフィアの話の内容をほぼ理解出来なかったが、珍しい物を手に入れたっぽい事と、骨肉の争いだけはかろうじてわかった。
「でも、マジックアイテムは上限を気にせず能力値を加算する事が出来るので、無駄では無いですよ」
「そうなのか。じゃあ手に入りそうだったら挑戦してみてもいいかもしれないな」
「その程度の気持ちが丁度いいと思いますよ。探してまでとなると、詳細を教えてくれる攻略サイトがあるでも無し、鬱になるくらいに見付からないでしょうから。それにしても——」とまで言って、リアンが軽く首を傾げた。
「先程から不思議に思っていたのですが、主人には、この状態でも私の姿が見えているのですか?」
そう訊きながら室内に進み、リアンが姿を消したまま椅子に座った。 テーブルを挟んで対面に居る焔の手を取ると、自分の肌が透けていて彼の手の形がありありと見て取れる。マジックアイテムを使って姿を隠すのはこれが初めてだが、ちょっと面白いかもしれないとリアンは感じ始めた。
「あぁ。でもちょっと透け感のある状態だがな。俺はそもそも視覚で物を見ていないから、それのおかげで認知出来るんだろ」
「なるほど、納得です」と言ってリアンが頷く。
(……焔には見えたとしても、魔族の者からは見えないならそれでいいか)
一人で勝手にうんうんと納得しながら数度頷き、焔の手をそのまま撫で続けていると、「おい……いつまで人の手を触っているつもりだ?」と言われてしまったが、それでもリアンは離さない。
「嫌でしたか?」
「……嫌では、無いが」
「なら、このままでいいですよね」
嫌かと訊いた時のしゅんとした顔が嘘の様に変わり、柔らかな笑顔でそのまま手を手を撫で続ける。そんな状態のまましばらくは過ごしていたのだが、五分経とうが、十分経とうがそのままだった為、流石に焔が痺れを切らした。
「ところで、料理がどうこういう話は、どうなったんだ?」
『そう言えばそうですね、生肉がどうとか』
「そうでした!すみません、主人の肌の感触があまりに……と、食べますか?肉料理」
「あるなら食うぞ、肉も好きだからな」
『やはり一番はお酒でしょうか?』
「当然だろう?酒が嫌いな鬼はおるまい」
くっくっくっと口元に手を当てて焔が笑う。そんな様子を見て、リアンは両手で顔面を覆い、肩を震わせながら『可愛いぃぃな、おい!』と心の中で叫んだ。
「ではおまかせ下さい!この私、牛フィレ肉のステーキだろうがビトックだろうがコートレット・ド・アニョーだろうが作ってみせますよ」
ぐっと拳をつくり、リアンが気合の入った顔をしたが、焔はきょとん顔だ。
「びとっく?こーと……?」
『主人は横文字が苦手ですからねぇ。かくいうワタクシも肉料理の話をしているくらいでしか、わかっていませんけどね、ははは』
「すみません……ついテンションが上がってしまいました。でも、主人が食べたいのであれば、いつだって、どこからだろうが材料を引っ張ってきてでも作ってみせますので、少々お待ち下さいね」
無理矢理トーンダウンさせつつ、リアンが椅子から立ち上がる。台所の方へ向かおうとする彼の姿をじっと見て、焔はふと仮面の事が気になった。
「……真っ白な仮面、か」
オペラ座の怪人を彷彿させながらも、目元のみを隠すタイプのシンプルな仮面を焔が興味深々といった雰囲気で見詰めている。指先では湯呑みの縁を撫でていて、空っぽになってしまったお茶に名残惜しさも感じていた。
「他のデザインも似合いそうだな、お前だったら」
「変える事も出来ますよ。変えましょうか?」
そう言って、リアンが仮面に触れ、固有スキル『企画者権限』を使ってマジックアイテムの見た目だけを変更する。それにより、白くてシンプルだった仮面は『狐』を思わせる和風な物へと瞬時に変化した。
「ついでに角も、ちょっと耳っぽくしてみましょうか」
黒くて大きめな角にも触れて狐の様な獣耳に変化させた。ここまでするなら徹底的にやるかと、大きくてフサフサとした尻尾もにょきりと生えさせてみたが、全てが全てソフィアには見えていないままだ。
そんなリアンの姿を前にして、焔の肩が一瞬跳ねた。
そして次の瞬間には彼の座っていた椅子がその場でガタンッと音をたてて倒れ、魔導士の様な服を翻しながらリアンとの距離を一足飛びで詰める。右手の爪はナイフの様に伸びていて完全に臨戦態勢だ。目隠しをした顔に表情は無く、音も立てぬまま焔はリアンの喉笛目掛けて武器のような手を突き刺そうとしていた。
それらの流れは全て、リアンにもかろうじて補足出来ていた。避ける事がギリギリで出来る程度に、だ。だがしかし彼は動けなかった。恐怖や驚愕による硬直では無く、コレは当然の流れの様な気がしたからだった。
ソフィアの叫びを聞き、焔の動きがピタリと止まった。 軽く爪の先がリアンの首に刺さり、うっすらと切れた肌から血が滴り落ちている。
「す、すまん……。何故か急に、お前を殺さなければいけない気がして……」
慌てて首元から手を離し、焔がリアンから距離を取ろうとする。だが彼はそんな焔をギュッと自分から抱き締め、胸の中に収めた。
「大丈夫ですか?……まさか、この格好がお気に召さなかったとか?」
「いや、似合ってる。すごく……似合っているんだが——」
心臓がバクンバクンッと激しく脈打つ。呼吸が苦しく、焔の固く閉ざされた目蓋の奥には血塗れで倒れている男の姿がある。前と同じくほぼ全てが白黒の光景で現実味が無い。だけど血の色だけは鮮明に赤黒く、強烈なインパクトがあった。
(前にも見たが……この記憶は、何だ?)
クラッと目の前がふらつき、焔がリアンの白いシャツにしがみついた。目蓋の奥に広がる記憶に実感が持てず、こんな光景を見てしまう理由を思い出せない事に腹が立つ。だけど何となく、自分で己の記憶の分厚い蓋を踏み抜いた様な、地雷原のど真ん中に飛び込んでいる様な……そんな気分だ。
『大丈夫ですか?主人』
気遣ってソフィアは声をかけたが、リアン側の姿が見えないままなせいで、何が起きているのかイマイチわからない。だが主人の行動から何やらかなりマズイ状態にあった事だけはちゃんと理解していた。
「大丈夫だ、もう平気だから……離せリアン」
強く抱き締められ、頭には頬擦りをされているせいで焔はもうすっかり冷静さを取り戻していた。だけどリアン側はまだちょっと高揚気味で、離す気に全くなれないでいる。
「もう少しだけ!もう少しだけ、このままでお願いします」
焔を抱き締める腕に力が入る。数十秒前まで殺される寸前だったというのに、もう二人の間にそんな雰囲気は微塵も無い。相変わらずリアンに恐怖を感じていた様子はまるで無く、流石は魔王様というよりは、ただただ危機感の無さに呆れてしまいそうなレベルだ。
「元の姿に戻しましょうか?」
「そのままでいい、むしろ……そのままの方が……」と言った焔の顔が真っ赤に染まる。彼のシャツを掴む手は少し震えていて、まるで好きな相手にしがみついているみたいな感じにすら思えた。
「今すぐベッドに行きましょう!主人」
ソフィアが側に居るのも構わずにリアンがそう言った次の瞬間、彼は顔面に力強い拳を喰らっていたのであった。
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