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マリエッタを無事に屋敷まで送り届けた後、僕はその足で彼の元に戻った。
「――ミズキ」
ノックもなしに扉を開けた僕に、窓際で煙管をふかしていたミズキが「おかえり」と笑む。
さして驚いていないのは、僕が戻ってくると予想していたからだろう。
いや、もしかしたら。今日僕がマリエッタを連れてくることも、なんとなく察知していたのかもしれない。
なぜならミズキは普段、今のように煙管を手にしていることが多い。
なのにマリエッタと訪ねてきた時は、煙管どころか残り香さえ感じ取れなかった。
机の上には急須と、空の湯呑みがひとつ。僕の好んで座る席だ。
ミズキが片手でお茶を注いでくれている間に、僕はその席へと向かい、腰かける。
「ルキウスの話を信じていなかったわけではないのだけどね」
コトリと急須を置いて、ミズキが口を開く。
「マリエッタ様、とんでもない嵐の渦中にあるね。このまま星に導かれるままにアベル様と婚約を結んでしまっては、おそらく……ルキウスの見た夢の通り、破滅の道を歩んじまうだろうよ」
僕がその夢を最初に見たのは、マリエッタとの婚約を結ぶ前。七歳になってすぐだった。
シャンデリアの眩い会場に集まるのは、煌びやかなドレスとジャケットを纏った、数多の紳士淑女たち。
その中央で、他者を寄せ付けない黒の色をした男が、氷のような凍てつく眼でひとりの令嬢を見下ろしている。
彼は薄い唇を開き、低い声で告げた。
「マリエッタ・ウィセル。今日この場を持って、お前との婚約を破棄する」
(マリエッタだって?)
驚きに令嬢を見遣れば、確かに彼女の髪は僕の良く知る薔薇のごときローズピンク。
愕然と見開かれた眼は僕の知るそれよりも大人になっていたけれど、瞳は変わらない、美しい翡翠色。
(このご令嬢は、マリエッタの成長した姿……!?)
まさか、と思考を整理しているうちに、顔面蒼白なご令嬢――マリエッタは、震える唇を必死に動かし、
「アベル様、なぜ」
「なぜ? それはお前が一番よく心得ているはずだ。神聖なる聖女を陥れようとした愚行の数々を、忘れたとは言わせない」
「それは……っ! ですが全ては、アベル様への愛を貫くために――っ!」
「黙れ。お前の犯した数々の外道な振る舞いが、俺への愛だと? 許しがたい侮辱だ」
「アベル様……っ!!」
(どういうことだ? マリエッタは、将来アベル様と婚約を?)
たしかにマリエッタは侯爵令嬢。それも、十本の指に入る有力貴族の一人だ。
アベル様とは年が近いし、将来的に婚約を結んでもおかしくはない。
けれども、けれどもだ。
(聖女を陥れようとして、婚約破棄? マリエッタが?)
信じられない。
だって僕の知るマリエッタは、部屋に飾っていた気に入りの花が萎んでしまったと心を痛める子だ。
まだ文字を覚えたばかりだというのに、なんとか元気にならないかと必死に本を調べ、庭師に訊ね。
そうして自ずから花を世話して、「みて、ルキウスさま! こんなにげんきになりましたのよ!」と、眩しい笑顔で得意げに見せてくれる。
そんなマリエッタが、聖女を……他者を、陥れようとするなんて。
けれども成長したマリエッタは、アベル様の追及を否定してはくれない。
そればかりか、自分に否はないとでも言いたげに、「どうして……どうして分かってくださらないのです」と恨めし気に繰り返している。
彼女は力なくその場に両膝をつくと、妙に通る声で「アベル様」と呟いた。嫌な感じがする。
「貴方様の愛は、かの聖女に?」
俯いたままの問いに、アベル様は数秒の沈黙の後、
「……ああ」
刹那、マリエッタの身体を紫の霧が包んだ。会場がどよめく。
アベル様が焦った様子で腰元の剣を手にした。
「まさか、その霧は”人柱”に――っ」
人柱。出会ったことはないけれど、王立黒騎士団に務める父上から話を聞いたことがある。
己の魔力を媒介に、紫焔獣を生み出す反逆者。精神を闇に落とした者の末路。
その人柱に、マリエッタが。
「――いけない、マリエッタ!」
彼女に駆け寄り肩に触れようとするも、伸ばした手はするりと通り抜けてしまう。
僕の存在など気づかない彼女は、ゆらりと立ち上がり、涙にぬれた頬を上げ美しく微笑んだ。
「たとえその愛が他所にあろうとも。心より、愛しておりますわ。アベル様」
その言葉を合図に、マリエッタを覆う紫の霧から二体の紫焔獣が飛び出した。
轟いた咆哮に悲鳴を上げ、逃げ惑う人々。その中でアベル様と護衛の騎士たちが、剣を手に紫焔獣と応戦する。
マリエッタは、静かにその様子を見つめていた。
彼女の意志なのか、そうではないのか。たとえ騎士らが一体を斬り捨てようと、新たな紫焔獣が生まれ彼らを襲う。
「っ! 己が何をしているのか、わかっているのかマリエッタ!」
牙をむき出しにした紫焔獣と応戦しながら、アベル様が叫ぶ。
「心を静め、魔力の暴走をおさえつけろ! お前には出来るはずだ!! これ以上は罪を重ねるだけで――」
「嫌ですわ」
「マリエッタ!!」
叱咤するように叫ぶアベル様に、マリエッタは笑みを浮かべたまま悠然と両手を広げる。
「貴方様を愛する心が罪だとおっしゃるのなら、どうか、その手で裁きを与えてくださいませ」