開店時間をいつもと変更しているのに、店の入口では開店待ちの客が数名待っていた。
「ほら日菜、いつまでも浮かれてないで、さっさと仕事始めるぞ」
「あ、はい…!」
すっかり解放感にひたって暁兄と談笑している日菜を叱咤すると、俺は店の看板を「OPEN」に変えた。
※
平日にもかかわらず、今日も客入りは多い。
俺と日菜しかいないホールは大忙しだ。
撮影の成功に自信を持ったのか、日菜は目立った失敗も少なくよく働いていた。
心なしか客に向ける笑顔が可愛く見えてしまうのは、そのためなんだろうか。
…それとも、日菜に対する俺の見方が変化したからだろうか…。
「日菜、5番にコーヒー出したか?」
「うん、出したよ。追加でイチゴケーキの注文入ったから、出してくるね」
と、ケーキをデザート皿に乗せると、ぽそりと日菜がつぶやいた。
「ああ、このイチゴケーキも紹介してほしかったなー」
「……あ?」
「実はわたし、これが一番好きなの。このお店に来て初めて食べたものだから」
「ふぅん…」
もちろん、俺はそんな時のことは覚えていない。
どうしてか、そのことが悔しかった。
俺は意を決して、さっきからずっと言いたくて仕方なかったことを言った。
「よくやったな、撮影」
「え…?」
「前言は撤回してやるよ」
ラテをつくりながら、そっけなく言った言葉は、ちゃんと日菜の小さな耳に届いたようだった。
見る間に顔が真っ赤になって、あたふた動揺し始めた。…フォーク、ケーキに落とすんじゃねぇぞ。
「よかったぁ…!で、でも…かなり好き勝手に思ったことを言ってしまったんだけれど…大丈夫…?晴友くんが思ってないことを言ってたらどうしようって…さっきからずっと心配だったんだけど…」
「んなこと、ねぇよ…」
むしろ、すべて見透かされたような気がして…すげぇ、ドキドキしたっちゅーか。なんかもう、だめだって思ったんだ。
「ほんと?じゃあ…成功って思っていい?…わたし、ここやめなくていい…?」
「ああ。いんじゃね」
「よかったぁ…!」
飛び上がりそうにうれしそうなのに、その顔は真っ赤になったまま今にも泣きそうになっていた。
意外に芯の有るやつって思ったけど、どっちにしたって泣き虫なんだな。
くすり、と笑みを漏らしそうになってはっとなる。
「実はね、休憩の時に晴友くんに言われた言葉で閃いたの。覚えたことよりも、自分の思っていることを話そう。それならいくらでも言葉が浮かぶから、って」
「……」
「だって、ずーっと大好きな晴友くんのケーキだもの。いくらだって、いろんなことを話せちゃう。むしろ、足りないくらいだったよ」
めずしく、たくさんしゃべる日菜。
赤くなりながらこぼす笑顔は、ほんとうにうれしくてしょうがないという様子だ。
思わず、日菜の頬をぐいっとつねった。
「ひ、ひたいよっ…!はるほろくん…っ」
「るせぇな。ちょっと認めてやったくらいで調子にのるな」
…なんでこんなにムカつくんだ。
工夫を凝らして作っているケーキを好きと言ってもらえたのに、全然うれしくない。
むしろ、くやしい。
どうして。
どうして、ケーキなんだ。
なんで、『俺』じゃないんだよ。
次の瞬間、力が抜けたようにつねった手が弱まった。
俺、今なんて思った…?
「晴友くん…どうしたの…?」
「…ほんとムカつくんだよ…おまえ」
「え…?」
「おまえなんか…」
おまえなんかーーー
その続きが浮かばなくて、口ごもった。
「おまえ…なんか」
「……キライ…?」
代わりに続けたのは日菜だった。
ぽつり、と悲しげな声で。
「ごめんね…。わたし、いつもドジでいつも迷惑かけて。キライだよね、こんなわたしのことなんか…」
「……」
「嫌いなんだよね…」
俺は言葉を続けられなかった。
嫌い。
そう。
嫌いになりたいと思っていた。
でも、今、解かってしまった。
今にも泣きそうに眼に涙をためて、それでもこらえている日菜を見て。
胸が引き裂かれそうな思いになっている自分を知って。
解かってしまったんだ…。
俺、コイツのこと、好きでたまんねぇんだ、って。
俺は視線を合わせないまま日菜を突き離した。
「嫌いじゃねぇよ、バーカ」
「え…」
嫌いになんて、なれるわけねぇよ…。
くそ…もう、おかしくなりそうだ…。今さら…今さら気づくなんて。
「くそ…早くホール戻れよ」
「う…は、はい…」
「あと、これだしたらおまえ、もう今日帰っていいから」
「え、でもまだお客さん…」
「いいからとっと帰れよ!…姉貴ももうそろそろ帰ってくるし」
「……はい」
ゆっくりと休憩室から出て行く日菜の背中を、見つめることができなかった。
あの華奢な背中を見たら、おかしくなりそうだから…。
強く抱き締めて、
『俺だけのものになれ』
って命じたくなるから…。
くそ…。
こんなにイジワルした挙句、今さら『好き』だなんて気づくなんて…。
俺は最低の大バカだ。
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