コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
皆が、喜怒哀楽を見せている頃、渦中の守近は、顔をほころばせていた。
「いやぁーなかなか、筋が、いい。守恵子《もりえこ》や、まるで、母上の、若かりし頃のようだ」
それ、はいっ、と、守恵子は、若人タマと、組み合っていた。
タマは、鞘に納めた太刀で、守恵子からの鯨尺《ものさし》を受け止めている。
「守恵子様、もう少し、肩の力をお抜きください」
「わかったわ、それっ!こうかしら?!」
鞘に当たった鯨尺が、コツンと音を立てる。
「タマや、お前の背中は、この守恵子が、守りますからね。ふらち者には、反撃あるのみです!」
「父上も、母上も、守恵子を止めてください。何が、背中を守るですか!そんなこと、不可能でしょ!」
「あら?守満《もりみつ》男女の二人舞いも、なかなか、絵になりますよ?ねぇ、守近様?次の宴で、守恵子と、タマの舞いを披露するのは、いかがでしょうか?
あっ、守恵子?そこは、指先まで、しっかりと、気を行き届かせて!」
「はい、母上」
母、徳子《なりこ》の助言を受けて、守恵子は、鯨尺を構え直す。
「ええ、随分、よくなりましたよ」
「ありがとうございます。母上」
絶対に、父と母は、大きな勘違いをしていると、守満は、頭を悩ます。
先ほどから、守恵子は、ふらち者が、乱入して来たら、反撃するのだと息巻いて、自身の武器である、鯨尺を握り、タマと、剣の稽古とやらに励んでいるのに、守近、徳子には、新しい舞の稽古に、励んでいるかのように、見えているようだった。
そもそも、タマ、お守り致します。などと、言っているが、お前は、さっきまで、腹を見せて寝転んでいた子犬だったろう。あ、あ、常春《つねはる》!助けくれ!と、守満は、叫びそうになっている。
「ん?呼ばれた?」
染め殿脇の小屋、髭モジャ一家の住みかに居る常春は、呟いた。
「呼んでますね……」
晴康《はるやす》も、同意する。
「ええ、呼びたがっておりましたよ」
ふふふと、含み笑いしながら、橘が、戻って来た。
「守近様ご一家は、和やかにお過ごしで、守恵子様は、鯨尺を持って舞っておられましたね。そういえば、タマ、とか、呼ばれる若人がいたのですけど」
「何を呑気に。それでは、守満様も、逃げ出したくなりますよ」
「そう!常春様!」
橘は、二人の食事を用意する為に、台所《くりや》へ向かったが、屋敷の裏方は、もぬけの殻だったと言う。
「食材も、この通り。乾飯《ほしいい》に、粕漬け位しか、残っていないのです」
干魚や、干肉、新鮮な野菜や果物など、手に入りにくい物は、何故か無くなっていた。
「下女達が、逃げ出すついでに、持ち出したに違いありません」
言いながら、橘、竈《かまど》の鍋に、乾飯を入れて、粥の準備をしながら、漬物を刻むと、器に盛り付ける。
「やはり、今宵ですね。女房達も、荷物をまとめておりましたし」
はい、どうぞ、と、橘は、晴康と常春に、粥と、漬物を差し出した。
「すみません。このような物しか用意できず」
「いえ、とんでもございません!」
「ええ、私など、独り身ですから、食事が摂れるだけでも、ありがたいことです」
二人共、橘に礼を言いつつ、かき込む様に、食した。
「あら、そんなに、勢いをつけて」
くすくすと、橘は、笑ったが、そうそう、と、言いながら、春康を見た。
「鍾馗《しょうき》は、室《むろ》の中身を出し終えました。念のため、穴を掘らせております」
「それは、それは。あの間に、様子を伺って頂けるとは、ありがたい。して、常春、出番だよ。屋敷の、帳簿、書き付け類、を、室へ移すんだ」