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彼を見つめると、痛いほどに心臓が跳ねる。
サラサラの黒く短いストレートヘア。ハウスメーカーの社員として、真面目そうに見えるように少しだけ伸ばされた前髪。これまた真面目そうに見えるように掛けられた、細いメタリックシルバーのフレームの伊達眼鏡。
この男――新藤博人(しんどうひろと)は、全部カムフラージュの、偽の男。
一見、誠実で真面目そうな容姿だから、こんなに意地悪で酷い男だと、誰も気づかない。私も、気が付かなかった。
「急がないと、さっき俺に挨拶して出てった旦那が帰って来るやろ。今日は、俺ともうシたくないか? それともヤッてる時に鉢合わせしたいか? だったら、ゆっくり時間かけてしてもいいけど。旦那に見られたら、めっちゃ興奮するかもな?」
時折混じる関西弁のイントネーションに言葉尻。端正な彼の顔とは相反するようなものだと思うけれど、どういう訳か聞き馴染んでしまった。それは恐らく、自分が関西出身の人間だからというつまらない理由ではなく、目の前の彼の体内に染み付いた、この人の生き様のようだったから。
そして先程から意地悪な笑みを浮かべている。笑う時、少しだけ鼻に皺が寄る彼のこの笑い方、めっちゃ好き。
でも、それだけじゃない。
時折覗かせる全てを射殺すような鋭い目線も、無情な所も、細く長い指も、綺麗な鎖骨も、意外に筋肉質で逞しい二の腕をしているその身体も、全部。
全部、好き。
そんな笑顔の彼に、ぎゅっと強く胸を掴まれた。
それだけで私の内部が熱を帯び、わき目もふらずに彼を愛したい、愛して欲しいと願い、歌ってしまう。
「律」
甘く低い私の好きな声で名前を呼ばれた。
光貴は私の事を、結婚する前から恥ずかしがって「おい」、とか「なあ」としか呼んでくれなくなった。私の名前はもう一生呼ばれる事は無いだろうから、『律』と名前を呼ばれるだけで、とても嬉しくなる。
光貴とはもう、随分長い間肌を重ねてない。あんなことがあったから、夫婦揃ってそこへ踏み込めないでいる。
傷を埋めるには抱き合うしか無いのに、私は――それを拒絶した。
だから今、私はこんな事になっているんだと思う。本当だったらこのマイホームで、家族で幸せに暮らしていくはずだった。
でも、私が光貴を拒絶するきっかけを作ってしまった。彼自身にもいくつか原因はあったと思う。ただ、原因があるからとはいえ、他の男と逢瀬する言い訳にはならない。光貴を裏切ってる私が一番最低だ。
「新藤さん――」
赤いソファーへ乱暴に腰を落とした彼が、私を強引に抱き寄せた。
「呼び方。どう教えた? 今は何の時間? ハウスメーカーの新藤とシたいのか? 律が好きな男は誰や、答えろ」
「あ――……博人(はくと)さ……ん……」
この人の名前を呟くだけで、欲にまみれた花が開いていく。
何時でも私は罪の歌を口ずさみ、堕ちていく。あなたに奪われる――
「博人って教えたよな? 呼べよ、ホラ」
「っ……博人」
「よくできた、律。ご褒美や、受け取れ」
激しく口づけされた。彼の口内から溢れる蜜を舌と共に押し付けられる。喉を鳴らしてそれを飲んだ。
博人――名前を呼ぶだけで、高揚して、胸が切なくなって、身体が熱くなる。