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「もうお加減は大丈夫なのですか!?」とレモニカは失礼にならない程度に声を上げる。
リューデシアが目覚めた日の夕暮れのこと、レモニカは兄ラーガに呼び出され、一人執務室へとやって来た。入るたびに家具の位置だけでなく、部屋の形まで変わっている気がしている。どうやら使い魔たちは大いにこき使われているらしい。今は家具も何もなく、繊維に温もりを孕んだ毛足の長い絨毯と沢山の豪奢な座布団、金象嵌でガレインに伝わる神話を描かれた見慣れぬ意匠の火炉だけがあった。暖炉はなくなっていた。そして大きめの座布団にもたれかかったラーガと談笑するリューデシアの姿があった。
「体には何の問題もないの。ただ、私が聖女だった時期の記憶が無い、というか薄いのよね。ところでレモニカ? 私の妹、なのよね。貴女の方こそ大丈夫なの?」リューデシアは眩しそうに目を細め、じっとレモニカの顔を見つめる。
モディーハンナの姿は随分と窶れ、肌は生気を失い、目の下に隈ができているからだ。そしてリューデシアはモディーハンナの顔自体覚えていないようだ。
レモニカは呪いのことについて姉に説明する。目の前の姉、聖女アルメノンこそがレモニカを呪ったことについては、この場では省略した。
「ですので、本来の姿はまた今度の機会に御覧に入れますわ」レモニカもまた招かれるままに座布団に身を預け、兄姉と向き合う。
小さな火炉の割に大きな部屋は十分に暖められていて、ガレイン半島に名高い邪な冷気が侵入する余地はないようだった。
「それで、何から話そうかとうずうずしていたの。まず言いたいのは妹が出来ていたことがとっても嬉しいってことね。調べた限り兄上のことくらいしかシグニカには詳しく伝わっていなかったから」
「お兄さまのことは覚えていらっしゃったのですか?」
「どうかな。朧気に覚えていたような気もするけど、自分で調べた情報と混ざっているような気もする。でもだからこそ会うのが楽しみ」
レモニカは控えめに驚いてラーガの方に目をやる。ラーガも驚いているようだった。
「おい。分かっていなかったのか? 俺がお前の兄ラーガだ」と不滅公が呆れたように訴える。
リューデシアはくすくすと笑い、レモニカに悪戯っぽい笑みを向ける。
「ごめんなさい。姉上ったら、さっきからこの調子で、どちらの姉上かも教えてくださらないの。姉上の、ライゼンの冗談の文脈がよく分からなくて。レモニカ、教えてくれない?」
レモニカはまごつきつつ言葉を選んで順番に提示する。
「あの、冗談ではなく、お兄さまはちょっとした事故、呪いみたいなもので今は女性の体になっているのです。目の前の方がお兄さまですわ」
「つい最近元に戻れる目星をお前自身が持ってきてくれたんだがな」とラーガがリューデシアに教える。
が、これに関してはあまりにも錯綜した事態なので説明は後々ということになった。
「そうなの?」まだ半信半疑だという様子でリューデシアはラーガの頭の先から足の先まで眺める。「私だけでなく、ヴェガネラの子、三兄妹揃って踏んだり蹴ったりな人生を送っているんだね」
「妹といえば、お前にはもう一人妹が出来たんだ」とラーガが茶目っ気を見せて言う。
「そうなの? どんな子? 末の妹は今どこに?」とリューデシアはレモニカに畳みかけるように問いかける。
「わたくしにとってはお姉さまですわ」とレモニカも兄の揶揄いに便乗して勿体ぶる。
「へえ、じゃあその子も私が機構にいる間に生まれたんだね」
「いいえ。お姉さまのよく知っている人です」
「……これも冗談ではないの?」とリューデシアは揶揄われているらしいことに気づいて不満顔になる。「ただでさえ話がややこしいんだから簡潔に説明して欲しいんだけど」
「これは……、半分だけ冗談と言ったところでしょうか」少し悩んでからレモニカはそう言った。
「シャリューレだ」とラーガが種明かしする。「お袋は養子にするつもりだったらしい。その前に死んだから公式には認められていないが、我々と同じ加護の予言を与えられている」
「シャリューレが!?」一瞬リューデシアの表情が曇ったのをレモニカは見逃さなかった。しかしすぐにその顔貌は晴れ渡る。「ああ、早く会いたい! 一番の友達なんだよ」
「まずはレモニカの呪いを解くのが先決だろう」とラーガは言った。「奴の腑抜けぶりの原因だ」
「そのことは後で話すつもりだったのです」とレモニカが説明する。
「どうしたの? その嫌われる呪い? を解けるの? 私なら」とリューデシアは何か希望を見出したように尋ねた。
しかしレモニカがレモニカを呪った者について語るとその見出した光は消え失せてしまったようだった。
「私が、聖女アルメノンが妹を呪った?」リューデシアは与えられた情報が信じられないという様子で呟く。
「覚えてはおられないのですね?」とレモニカは確認する。
「ええ、何も。でも貴女は確信しているんだね?」
「はい。お姉さまご自身が仰ったことですので」
果たして記憶にない罪は裁かれるべきなのだろうか。レモニカには分からなかった。
「とにかく記憶を取り戻さなくては話にならないよね」と自分に言い聞かせるようにリューデシアは言った。
翌日の昼過ぎのこと、今の所用途の無さそうな一室にて、一脚の粗末な椅子に座るリューデシアを囲むようにレモニカ、ベルニージュ、そして使い魔誘う者が立っていた。冷たく無骨な石に囲まれ、小さな明かり採りでは温もりを感じられない。ただしベルニージュといくつかの使い魔によって多重の結界が張られており、見た目以上に堅牢かつ秘匿された空間になっている。
「緊張するね」とシャリューレが慎ましげに笑みを浮かべる。「私の罪深い日々が明らかになってしまうんだね」
「随分余裕そうに見えますけど」とベルニージュが裁判官の如く指摘する。「言っちゃなんですが、貴女を恨んでいる人物が世の中には沢山いるんですよ?」
ベルニージュもまたその一人だ。ソラマリアの実の妹、ベルニージュととても親しい関係になったネドマリアを死に追いやったのが聖女アルメノンだ。
「覚えていないんだもの。思い出せば、罪悪感を抱くかも?」とレモニカは軽い調子で答える。
「元の人格に戻ったなら、罪悪感を抱きそうにはありませんが。喋っていても仕方ありません。始めましょう」
誘う者がどこからともなく取り出した蝋燭に呪文を吹き付けて火を灯す。まるで渦のように外炎と内炎が捻じれて立ち昇り、炎心を取り巻くように螺旋を形成する奇妙な火だ。それをリューデシアの前にかざす。
「炎心、火の中心を見つめてください。そして私の言葉に耳を傾けてください。」誘う者は甘い香水の吹き付けるような囁きで語り掛ける。「さあ、火の揺らめくたびに貴女は少しずつ過去へと戻っていきます。一つ、二つ、三つ……」
リューデシアは暫く火を見つめた後、申し訳なさそうに火と誘う者を見比べる。
「おかしいですね」催眠術師の使い魔は蝋燭を吹き消して、リューデシアの瞳を覗き込む。「目は見えているんですよね?」
「当たり前でしょ。次はワタシの番ね」そう言ってベルニージュは誘う者を押し退け、もはや使い慣れた記憶の蝶を暴くための呪文を唱える。
現れ出でた蝶は弱々しく羽ばたく、鉛のような色の翅だった。ベルニージュはそれを捕まえ、翅を眺めつつ首をひねる。
「レモニカ。念のために念視の魔術を使ってみて」
ベルニージュにそう言われ、レモニカは慌てて準備する。姉の付き添いのつもりで来ていたのだ。
三つの指で輪を作り、呪文を唱える。すると輪の中のリューデシアから靄が湧き出る。しかし元々特定の時期の記憶を読むような魔術ではなく、特に違和感もなかった。と、ベルニージュに説明する。
「何もおかしなところは見つかりません」とレモニカは正直に答える。「お二人は、何か見つけたのですか?」
「いいえ、私も何も。異変などありません。ですが……、何か違和感があります」と誘う者。
「そう。言うなれば、むしろ異変が無いのが異変。怪我や病気によるものなら必ず断片のような残滓が残る」とベルニージュは呟く。「アルメノンが聖女になって以降、ずっと眠っていたかのような状態だよ。あくまで情報が無いだけで、その期間を過ごしたかのような記憶はあるんだよね。何か身に覚えはあります?」
「ある」とリューデシアは簡潔に答える。「というか、聖女になってからの記憶がないということは、聖女着座の儀式で何かされたに違いないよね」
「つまり、聖女アルメノンは傀儡だったということですか? 一体何者に操られていたのでしょう?」とレモニカはリューデシアに尋ねる。
「それはやはり大聖君よ」とリューデシアが断言する。「聖女は救済の乙女降臨までの代理人として尊崇されているけれど、歴代大聖君こそが救済機構の指導者なのだから」
「ですが聖女アルメノンは大聖君を兼ねていましたよ」とベルニージュが意見する。
「え!? そんなのありなの?」と張本人のリューデシアは初めて聞いたかのように驚く。「それなら、評議院かな。議長か三聖会の長官か。絞り切れないね」
「手詰まりですね。ですが結論を急ぐべきでもないでしょう」そう言ってベルニージュは誘う者に【命じる】。「日常に戻っていいよ。あ、でも、ワタシの許可なく催眠術を使うな、この【命令】は継続だから」そう言われた誘う者は渋々と部屋を出て行く。
「あの方、ユカリ派ではありませんでしたか?」とレモニカは恐る恐る尋ねる。
「だからといってまともな奴とは限らないってことだね」とベルニージュは吐き捨てるように言い、リューデシアに向き直る。「リューデシアさん。まだ何か見落としがあるかもしれないので、何回か実験に付き合ってください」
「うん。もちろん。私のことなんだからこちらからお願いするよ。ところでレモニカ、何か聞きたいことがあるの? そういう顔をしてるけど」
「ああ、いいえ、疑う訳ではないのですが、お姉さまが目覚めたばかりの時、まるで状況を把握なさっているかのようだったので」
医務室で療養していた戦士たちの前で功を労う姿は、何もかもを分かっているかのように大王国の王女として自信に溢れていた。
「そういうことね。可能な限り把握しようとはしたよ。ライゼンの戦士たちがいて、王女が他の怪我人と一緒に寝かされていた。理由は分からないけど皆の表情には不安と不信があった。かといって憎悪や恐怖、侮蔑というほどでもなかった。単に攫われた私を助けに来たのではなさそうだったし、むしろこちらは全面的に信頼する態度を見せるべきかなって思ったんだ。まずは安心させないとってね」
言葉にすれば簡単かもしれないが、長い眠りから目覚めたばかりで同じように出来る者はそう多くないだろう。レモニカは憧憬と畏怖を抱く。と同時に自分のことばかり考えている未熟さに辟易する。
「わたくしにはとても出来そうにはありませんわ。ただ慌てふためくことになりそうです」
「そんな機会、無いに越したことないよ」とリューデシアに慰められる。
「それでは少し休憩しましょうか」とベルニージュが空気を変えてくれる。「ソラマリアさんのお見舞いにでも行きませんか?」
「ソラマリアって?」とリューデシアが首を傾げる。
「言っていませんでしたか? シャリューレのことですよ。ソラマリアが本名なのです」とレモニカが説明する。
「リューデシアがここにいるの!? 先に言ってよ!」そう言ってリューデシアが部屋を飛び出した。
レモニカとベルニージュは慌てて追いかける。