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その時、涼ちゃんがふっと立ち上がって、棚の前に行った。
小さな箱をひとつ、
両手で抱えるみたいにして戻ってくる。
「……刺繍が趣味なんだけど…..」
ぽつりとそう言って、
箱を開けた。
中には、
きれいに畳まれたハンカチや布、
色とりどりの糸、針。
どれも使い込まれているのに、
大事にされているのが一目で分かる。
「見て。これ、お母さんが作ったやつ」
一枚一枚、
指でなぞるみたいに取り出して見せてくれる。
花の模様、
小さな文字、
端まで丁寧。
「すご……」
思わず声が漏れる。
元貴は、
涼ちゃんの膝にもうひとつの箱があるのに気づいた。
少し小さくて、
角が少し擦れている箱。
「じゃあ……これは?」
そう言って指さすと、
涼ちゃんは一瞬だけ迷うような顔をしてから、
「……これは、僕が縫ったやつ」
そう言って、
箱を手渡してきた。
受け取って開ける。
中には、
少し不揃いだけど、
丁寧に縫われたハンカチや小物。
糸の始末も、
角の処理も、
真面目すぎるくらい真面目。
「……すごいね」
考えるより先に、
言葉が出ていた。
涼ちゃんは、
ほんの一瞬だけ目を丸くして、
「……ほんと?」
と、小さく聞き返す。
「ほんと。めちゃくちゃ」
元貴はそう言って、
一枚のハンカチを持ち上げた。
「これ、売り物みたいじゃん」
涼ちゃんは照れたように視線を逸らす。
「……暇なときに、縫ってるだけ」
(暇、じゃないだろ)
きっと、
縫ってる時間だけが
考えなくていい時間なんだ。
元貴は、
箱をそっと閉じて返した。
「大事なもの、見せてくれてありがと」
そう言うと、
涼ちゃんは小さく笑った。
その笑顔は、
学校で見せる“先輩の顔”より、
ずっと素だった。