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もう、これは運命だ!としか言いようがないのよね。
この日まで怜香によって事故が起こされていたと知らなかったんだね…。知った時の尊さんの気持ちは計り知れない。 でもそんな時、朱里ちゃんが気付き介護する事になったのは、初めからこうなるようになっていたんだと思う。
「………………マジか…………」
仰向けになった尊さんは、両手で顔を覆っている。
「ふふ、そういう反応になりますよね。めちゃ大変でした」
彼の横に寝転がっている私は、苦笑いする。
尊さんは大きな溜め息をついたあと、顔から手を離した。
「……あの時、不思議だったんだよ。しこたま飲んだあと記憶をなくして、気がついたら家で寝てた。トイレで脱ぎ散らかしていて、酷い状態だったのは察したけど、コンシェルジュに聞いても一人で戻ってきたと言われたから、てっきり……」
「まぁ、今は沢山いい思いをさせてもらってますから、プライマイゼロっていうか、めっちゃプラスですけどね」
「……いや、悪い。本当に悪い。今度四年越しに侘びをさせてくれ」
落ち込んでいる彼を見て、私はクスクス笑う。
「じゃあ、期待しておきます。何がいいか考えておきますね」
言ったあと、私は彼の手を握った。
「あの時、何があったんですか?」
質問された尊さんは、しばらく天井を見て黙っていたけれど、溜め息混じりに言った。
「命日になって墓参りに行ったら、先客がいた。……母と妹を轢いた男の妻と娘だった」
それを聞いて私は静かに衝撃を受け、納得する。
「何をしているのか聞けば、『父がこの墓の人に迷惑を掛けたから』と言って……」
尊さんは荒々しく息を吐き、私の手をギュッと握ってくる。
「母と妹を轢いた犯人が、いかに温厚で優しい人だったかを滾々と聞かされたよ。犯人の息子は定職に就かずフラフラしているらしく、そいつが作った借金の連帯保証人にされたんだと。貯金を崩してもまだ足りず、どう死んだら保険金が下りるかを考えていた時、あの女に声を掛けられたそうだ」
私は何とも言えず、彼の手を握り返す。
「継母に疎まれているのは分かっていたが、まさか母と妹があの女に殺されたとは思わなかった。当時はもう家を出て一人暮らししたあとだったが、八年も黒幕と同じ家で暮らしていたと思うと、怒りと憎しみで感情が荒れ狂って収集がつかなくなった。……考えが纏まらず、ショックをまともに受け止めたら壊れちまいそうで、酒をしこたま飲んだ。墓前に供えるつもりの花は衝動のまま叩きつけ、手放す事すら忘れていた。……そのまま、近くの駅まで歩いて潰れたんだと思う」
「……あそこ、近くに霊園ありますもんね」
私は小さな声で言い、尊さんを抱き締めた。
彼の性格はいいとは言いがたいけど、常識人で基本的に善人だ。
母親と妹を轢いた相手を完全な悪としたいのに、本当はどんな人か聞かされて、大いに困惑し、悩んだだろう。
実行犯の|為人《ひととなり》を教えられ、本当は彼は悪くないと理解しただろう。
でも当時の彼は、誰かを憎まないと生きていけなかった。
事件があった当時、逮捕された犯人に対し、『死刑になれ』と思ったかもしれない。
家族を奪った人殺しを憎んでいたのに、その人殺しはごく普通の、同情すべき事情を持った、ただの老人だったと聞かされ、『ふざけるな』と思っただろう。
さらに彼を打ちのめしたのは、自分もろとも、母子に死んでほしいと願っていた黒幕は継母だったという事実だ。
篠宮家に住んでいた八年間、尊さんは怜香さんに冷遇され、憎まれて、針のむしろの生活を送っていた。
録音データにあったように『死ねば?』と酷い言葉を毎日のように浴びせられていたけれど、まさか継母が自分の母と妹を殺すよう指示したとは思っていなかっただろう。
どれだけ『母と妹と一緒に死にたかった』と願ったか分からない。
気がおかしくなりそうなほど苦しんだ尊さんは復讐のために生き、誰かを愛して気を紛らわせる事すら許されなかった。
私は彼の壮絶な人生を思い、ギュッと目を閉じる。
「……あの人、どこから狂っていったんだろうな」
尊さんは悲しみと怒りにまみれながらも、しみじみと呟く。
「許すつもりはない。今後もずっと嫌い、憎み続けていくつもりだ。……でも殺人を犯すまで堕ちた女を見て、『どうしようもねぇな』と呆れて、哀れに思う自分もいる」
「……そうですね。誰だって、怒りや悲しみ、嫉妬の感情を抱きます。でも普通の人は、人としてやってはいけない事はわきまえていると思います」
尊さんは疲れ切った表情で私を見て、額に唇を押しつけてくる。
「……どんなに我を忘れそうな怒りに囚われても、俺は最後の一線だけは守りきる。あの女が外道に堕ちても、俺は同じ地獄に堕ちてやらねぇ。あくまで法の裁きで決着をつけて、…………あとは、母と妹の分も幸せになりたい。……こんな俺でも、幸せになっていいんだと理解したい」
「幸せになりたい」と言った彼の声は、とても弱々しく消えてしまいそうだった。