「死んでしまえ」
俺は吐き捨てた。誰に?もちろん自分にだ。
なぜか?それは俺がダメ人間だからだ。
仕事もできなくて、ヤニカスで、友達を大切にできない。そんなやつに何が残る。死んでしまった方がいい。
俺は今16歳。現役の高校1年だ。早くにして俺は道を踏み外した。そんな俺の話をしよう。
俺は2007年にこの世に生み捨てられた。生まれてすぐ、俺は神から試練を授かった。生き残れと。俺は心肺停止の状態で生まれたのだ。もちろんそのときの記憶はない。そのとき俺は思っただろう。どうせ辛い人生を送るなら死んだ方がいいと。だけども、医療技術の発展の賜物、人工呼吸器で生かされたのだ。俺はそのときどう思ったのだろう。俺が生き残って3年後、親父は失踪した。失踪と言っても後々帰ってくるのだが。なぜ失踪したかって?その理由はすぐ出てくる。女だ。女を連れて県外に逃げたのだ。おかあは大変だっただろう。その状況でも祖父母が離婚を許さなかったからだ。おかあはすぐに仕事を始めた。そうなると自然に、俺は保育園に入れられる。だけれども、保育園に行く年代の子供など親から離れたくないものでたくさんあかあに迷惑をかけた。申し訳ない。そんなこんなで成長し、俺は幼稚園生となった。ここから俺の、悲劇の人生の幕は上がる。俺は当時、ぽっちゃりしていて温厚な性格だったため、なにかと理由をつけられいじめられた。とても辛かった。幼稚園生ながら、殺したいという気持ちも湧き出た。でもその気持ちが叶うことはない。なぜって?それはもちろん1対1のいじめではない。1対複数人のいじめだからだ。弁当も捨てられた。靴も隠された。それでも俺に反撃の余地もない。おかあにも相談した。でも聞く耳を持たない。俺はこのとき、全てを恨んだ。俺の通ってた幼稚園はエスカレート式で、同じメンバーで小学校に上がる。まさに地獄だ。「これから花の小学校生活を送る」という周りの子供のモチベーションとは別に、俺は「これ以上いじめられないように」そう思ってた。でもそれは叶わない。1人目の友人が現れるまでは。俺はそのままいじめられて2年生へと上がった。進級すると同時に、後に友人になるAが転校してきた。Aは明らかにいかつくて、強そうだった。俺はそいつもいじめに加わるのではないかと怯えていた。でも違った。Aは俺を庇って、助けてくれたのだ。俺は泣いてしまった。嬉しかったのだ。誰も助けてくれない地獄から、突然やってきた鬼神のような見た目のやつが、俺を助けてくれたからだ。俺はその直後からAと親しくなった。Aと過ごす毎日はとても楽しかった。いじめられもしない、見下されることもない。生まれて初めて自分と対等の立場になって話をしてくれるやつが現れたからだ。でも、そんな楽しい毎日にも崩壊の足跡が近づいてきた。それは何か。そう。親父が帰ってきたのだ。親父は一言だけ詫びをいれ、そのまま住み着いた。俺は理解が追いつかなかった。ある日いきなり親父が帰ってきて、一緒に生活をするのだ。それに加えて親父は、おかあの金を奪い酒を飲み、パチンコに足を運ぶ毎日だ。もうそろそろ君たちにも予想がつくだろう。何が起こったって?それはなにかというと、家庭崩壊だ。耐えられるわけがないだろう。一言でそのときの状況を例えるなら、カオスだ。親父はパチンコで負けると、家族に手を加えた。いわゆるDVだ。そんなこんなで1年が過ぎ、俺は3年生となった。俺が3年生になってすぐ、俺の人生のダーミングポイントが1つ訪れた。いつものようにご飯を食べ、眠りについて、物事がして起きたときにはもう地獄が広がっていた。おかあと親父の喧嘩だ。それも、軽い喧嘩などではない。殴り合いだ。俺は止めようとした。でも小学3年生に大人の殴り合いは止めれるはずがない。俺も巻き込まれた。俺が泣き叫ぶ声で、近所の人も起きてきた。近所の人がたまに入ろうとしたとき、親父がおかあを全力で殴ろうとした。次の瞬間、運良くおかあは腰が抜けて崩れ落ちた。親父の全力の拳はというと、窓にぶち当たっていた。血の海だ。リビングが血だらけになったのだ。俺はその状況をいまだに覚えている。最悪だった。お気に入りの洋服にも、おかあが気に入っていたカーテンにも、さらには朝ごはんにも血がかかっていた。すぐに警察が家の中に駆けつけてきた。親父は連れていかれ、俺はとりあえず学校に生かされた。当然、正気を保てる訳もなく保健室に立て籠ったのだが。学校から帰ってすぐ、母に衝撃の事実を告げられた。「明後日から転校だよ。ごめんね」と。俺は理解が追いつかなかった。やっと仲良くなった友達ともお別れになる。だけど決まってしまったことだったから仕方がなかった。なぜなら、親父からなるべく離れた場所に逃げてと警察の方に言われていたからだ。そして俺は転校した。
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