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朔月《しんげつ》で無いにも関わらず、夜空は暗かった。
松明の灯りも効きめが薄いようで、牛車《くるま》は、足元が見えぬと、のろのろ進んでいる。
「なんとも、難儀な事よ。しかし、いくら、夜とはいえ、これほどの闇に包まれるとは、まさか、あやかしに、狙われたか?」
乗る公達は、どこか、嬉しそうだった。
その時、うわー、と従者が声を上げた。
どこらからともなく、目映い光が発せられ、牛車の中にまで、その光が差し込んでくる。
「おやおや、これは、本当に出ましたか?」
つと、好奇心から、覗き窓である物見《ものみ》から、外を覗いてみると、すでに、光は、消えていた。が、牛飼いに、牛飼い童に、とにかく、車付きの従者は、蹴鞠《けまり》を、行っていた。
と、言うべきなのか、薄闇のせいで判断できないが、なにやら、毬のような丸い物が転がっていて、皆、あたふたしている、と、いうのが、正解のようだ。
「うわーん!転がさないでください!」
丸い物、否、丸まっている何かが、叫んでいた。
皆、それに驚き、声を上げて右往左往している。
ついに、牛まで、騒ぎに驚き、モウモウ鳴き始めた。
このままだと、暴れだすと、案じたのか、牛飼い達は、あたふたと、牛へ近づき、なだめようとしている。
そこへ、どすん、と、何かが、落ちて来た。そして、うわーと、これまた、叫び声が上がった。
「あ、兄様!ちょっと!どいて、くださいっよっ!お、重いっっ!!!」
「ちょ、ちょっと待て!好きで倒れているのではないのだっ!」
なにやら、男と女が争っている。
「あれ、あやかしでもなんでもなく、痴情のもつれですか」
残念と、ばかりに公達が、肩を落とした瞬間、
「タマーー!」
「あーーん!上野様ーー!!」
「ちょっ、紗奈《さな》動くなっ!起き上がれんっ!!」
と、騒ぎは、姦《かしま》しくなる一方なのだが、聞き覚えのある、名前が流れて来る。
これ、と、公達は、声をかけ、従者を呼んだ──。
「ふ、ふ、ふはははは!」
「もうー!守孝《もりたか》様!笑い事ではありませんっ!」
「まあまあ、そう、拗ねるな、紗奈よ」
さ、紗奈!と、隣で兄が小さくなっている。
「長良《ながら》いや、常春《つねはる》、そう、固くならんでもよい。互いに知っている仲であるし、なにより、紗奈とは、蹴鞠仲間だからなぁ。おお、舞の相棒でも、あったなあー」
「きゃー!それわっー!」
紗奈は、真っ赤になり、袖で顔を隠した。
女童子時代、この、公達──、守近の弟である、守孝は、宴の席で、必ず、紗奈を、からかい事の餌食にした。
蹴鞠に誘い、蹴ることなど出来ない毬を、蹴らせ、挙げ句、紗奈が、すてんと、転ぶその様を、皆で楽しんだ。
その、発起人とも言える、罪人が、守孝であり、ついでに、守近と共に舞う時も、どう仕込んだのか、紗奈に、酒を飲ませ、酔っ払った千鳥足の女童子を、舞台へ、乱入させ、その、よろよろよろける様を、皆で、楽しむ。という、一風変わった、洒落者なのだ。
「しかし、近道をしたら、遠回りになったとわなぁ。タマ、お前、面白い犬に育ったなあ」
「えっ!そうですか!守孝様!」
「あの?守孝様?タマと、面識が?」
常春が、恐る恐る言った。
「ああ、守恵子《もりえこ》の囲碁の相手をしていた時にな。あの、縁で、寝ていた子犬が、喋れるようになったとは!」
……いや、喋れるようになった、とかではなく……。
常春と紗奈は、顔を見合わせる。そこは、驚く所だろうと──。
そもそも、次男坊、ということなのか、育てられ方なのか、守孝は、兄、守近よりおっとりとした性格だった。
そして、不思議な事、おかしな事を、非常に好むという、いわゆる、物好きな男なのだ。
「して、二人とも、なぜ、兄上の所を飛び出したのだい?」
守孝に、半ば強引に乗せられている、牛車の中で、兄と妹とは、それは……、ちょっと、そこまで出かけようかなぁと。と、口を濁した。
仮にも、守近の弟。屋敷で起こっていること、そして、守近も、何か関わっていそうだ、などと、語れるはずもなく、そして、そんな屋敷を見切って飛び出して来た、などと言えるはずもない。
「うーん、かなり、訳ありのようだねぇ。兄上が、気に入らない、そんな、話でもないようだなぁ。二人が、飛び出すほどだ、とんでもない事が起こっていると言う事か」
渋い顔をしながらも、守孝は、常春と紗奈に、何か期待している視線を送って来る。