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#ワンナイトラブ
◆
『柿原さんは無害だったでしょ』
通い慣れたマンションに帰り着くと、エントランスだろうが一日張り詰めていた顔の緊張はやっと解ける。
安心して気が緩み、頬を摘みながらコンビニを横切っていれば、買い物中でその店内の窓側に居た常葉くん(少し嫌な顔をした)と目が合った。
飲み物が切れたから、と、片手に下がったビニール袋には何個かペットボトルの飲料水が入っていた。合流すれば、すぐさま予見していた様な言葉を彼はくれる。
反対に、むっと口を尖らせるのは私だ。
『なんで分かったんですか?』
『何となく。柿原さん、あんたに懐いてる感じでしたし。あんたと付き合い始めて急に話しかけて来るようになったし』
『気が利く子だとは思いましたけど…全然気付きませんでした』
『穂波さんに敵意は向けないだろうから、気付かないでしょうね』
そうは言われても、柿原さんと仲良くなったのは私が先なのになんだか悔しい。これもきっと常葉くんの勘が鋭いせいだ。
私の隠し事なんて幾ら無表情を貫いても、林檎の中に隠れた苺を探すみたいに、簡単に見つかってしまうだろう。
私の性格も多分すぐに見抜かれていたし、常葉くんには隠し事はしない方が吉だ。
次の日の朝も、私は性懲りも無くスマホと対決する。
「常葉くん、起きてー!」
起こすのを躊躇するくらい綺麗な寝顔を、心を鬼にして揺すってもやはりビクともしない。私の声はスマホよりも興味のない声なのか、今日も今日とて彼は起きそうもない。
但し、今日はいつもより早めの時間だからアラームに邪魔はされないだろう。
よし、と、ひとり頷き、ある決心をする。
……キスして起きなかったら、明日から常葉くんの目覚まし係はスマホに任せることにしよう。
いつもこれを躊躇っているからダメなんだ。よし、一気に行こう。
ぐっ、と、手のひらを結ぶとすぐにその場所にピリリとした刺激が走るので「いたっ」と小さく後悔をして顔を歪ませる。
「……大丈夫?」
しかし、寝起き特有の少し気だるげな声が聞こえて間抜けに視線を彼に戻す。
いつ起きたのだろう、うつ伏せで枕を胸板で潰す彼は怪訝そうに私を見上げていた。
「さっきオーブンで火傷して、水脹れが割れちゃったの忘れてて」
違和感は確かにあるのに素直に説明して、ここ、と、手のひらを差し出すと、常葉くんは「痛そー」と絆創膏越しに手のひらを撫でた。
そんな事よりも、だ。
「あの、常葉くん?」
これは……あれだよね?
今起きた感じじゃないですね?
いつもあんな小さな声拾える耳してませんもんね?
「…………起きて、ました?」
彼はその問いには答えてくれず、こちらを見上げて形のいい口角を上げるだけだった。
「え、絶対起きてましたよね、いまの」
「さぁ、どうだろ」
「絶対そうです、毎日必死で起こしてるのに、さっきの蚊みたいな声で起きるの、おかしいです!」
構わずベッドに乗り上げてゆさゆさとその身体を揺すると、くくっと気持ち良い音を鳴らしてその喉が鳴く。
「依愛ちゃんがさっさとキスしたら何度も醜態晒さずに済んだのに」
ほら、確信犯だこれは。
魚と化した口はパクパクと泡を食べる。
「い、い、意地悪……っ」
「ほらほら、しないの?」
「しません」
「あー時間切れ」
ブブ、と、重い振動音がベッドの端で揺れる。それとほぼ同時に手を引かれて距離が一気に詰まる。
カタン、急に重心が揺れて眼鏡がズレた。
掛け直さなきゃ、思う前に常葉くんは下から私の唇を覆った。
熱が溶け合うと同時に鳴り響くアラーム音。私たちの間で響く音はそれがかき消してしまう。
脳内でその音がループするのを聞き流していると、昨日聞いたばかりの会話が彼の熱の隙間に蘇る。
『常葉さん、穂波さんをあの飲み会に呼びたくなかったんですよ』
『…………え?』
『本間さんとも会っちゃいますし、男の人の隣に座らせたくなかった可能性も』
『…………そうでしょうか…………』
『私は常葉さん、ああ見えて割と独占欲あると思いますよ』
あの時は納得しちゃったけれど、
─…………そうだと嬉しいけれど、柿原さん。
「俺からばっかりだと飽きちゃうかも」
「あ、飽きちゃうんですか!?」
「はい。頑張ってくださいね」
常葉くんの心を覗くのは、中々に骨が折れそうだ。
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