テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
|臨床心理士《りんしょうしんりし》として、俺は数多の『依存』や『愛着障害』の人間を見てきた。
歪んだ関係性がどれほど脆く、破滅的で
そして当事者たちを危険な泥沼へと引きずり込んでいくか、嫌というほど知っている。
クライアントとカウンセラーの間であれば、絶対に一線を越えてはならない
「境界線」の重要性を、俺は誰よりも叩き込まれてきたはずだった。
……だが。
俺の腕の中でシクシクと頼りなく泣きじゃくりながら、縋るように服の裾を強く掴んでくる純一を見つめるときだけは
その積み上げてきた知識のすべてが、何の意味もなさない無価値なゴミと化すのだ。
俺の名は|東郷《とうごう》|理仁《りひと》、30歳。
臨床心理士として、普段は傷ついた人々の心を導き、客観的な視点から平穏を取り戻させる立場にいる。
そして、俺の腕の中でボロボロと涙を流し
ときに世界中の何よりも幸せいっぱいにその頬を緩ませるこの愛しい子は
|五十八《いそや》|純一《じゅんいち》、25歳。
大きな事故による「高次脳機能障害」というハンディキャップを抱え
長い休養期間を経てようやく職場復帰を果たしたばかりの、俺の年の離れた恋人だ。
純一は人一倍脳が疲れやすく、一度キャパシティを超えてしまうと
感情のコントロールが著しく難しくなる特性を持っている。
そんな彼を包み込むたび、俺の脳裏にはいつも、心理士としての冷徹な正論がよぎる。
『このまま、俺だけに甘えさせていていいのか。これは彼の自立を阻む、ただの共依存ではないのか』
そう自戒する反面、胸の奥底に巣食うドロドロとした本音が、醜く鎌首を|擡《もた》げるのだ。
──「俺だけにその弱さを見せていてほしい。誰にも触れられず、俺の庇護下だけで生きていけばいい」と。
「りひとさん、考えごと……?じゅんくん、お邪魔だった…??」
俺が思考の海に沈み、上の空になっていたからだろう。
純一は弾かれたように不安そうな表情を浮かべ、八の字に眉を寄せて
濡れた瞳で俺の顔を覗き込んできた。
嫌われたかもしれない、という怯えがその小さな身体を微かに震わせている。
俺はハッと我に返り、プロとしての仮面ではなく
ただ彼を愛おしむ一人の男として、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。
「もう、そんなわけないでしょ?純一と俺は恋人同士なんだから。遠慮なんていらないんだよ、たくさん甘えてくれていいんだからね?」
「えへへ、よかったぁ……! ねえねぇりひとさん、ちゅーも、ちゅーもたくさんしたいっ!」
安堵が広がった瞬間に、純一の表情がぱあっと明るくなる。
この極端な感情の起伏もまた、彼の特性の一部だ。
素直に愛情を乞うてくる純一がたまらなく愛おしく、俺は彼の細い顎をそっと指先で押し上げた。
「いいよ、ほら……舌出して?」
「んう…っ、! ふ、ぅ…んむ……」
深く唇を重ね、互いの熱を確かめ合うように貪る。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!