宿屋の飲食スペースの一角にあるカウンター席に二人が並んで座る。『随分と強引な人だな』とカーネは思いつつも、本心を口にする事に慣れていないせいか言葉には出来なかった。眼鏡越しに見る彼が纏う色から判断して、悪い人じゃないみたいだしという考えが警戒心が働く邪魔をする。
「改めまして、僕の名前はシス。シェアハウスの管理人を担っています」
「しぇあはうす?」
初めて聞く単語だった為、カーネはぽかんとしてしまった。もしかするとその単語は一般常識の範囲なのかな?と思うと少しずつ心が焦りだす。
「あぁ、“シェアハウス”は最近人気の新しいシステムですよ」
カウンター越しにそう教えてくれたのはこの宿で働く男性店員だった。宿泊の受付をした店員と似たような印象の制服を着ており、短めに切った茶色い髪には白いメッシュが入るというとても特徴的な容姿をしている。
「はーい、こちらどうぞ」と店員は言って、料理の乗ったトレーをカーネの前に置いた。
「彼の言う通りです。家族向けの大きな作りの部屋や屋敷を複数人で分けて使う感じの、新しい暮らし方なんです。家族で過ごすリビングに該当する部屋は共用スペースとして使用し、あとはそれぞれの個室を各人が借りている感じですね」
店員の言葉をシスが補足する。二人の方に体を向けて、カーネは知ったかぶりをせずに「なるほど」と素直に軽く頷いた。
「そそ。いいですよー、一人で一部屋借りるよりも断然安いのに、使える施設は家族向けなんで広めだし!」
「一人で暮らすよりも、近くに人が居る分健康面などでもお互いに頼れるので、いざという時に心強いですからね。——ああ、このままでは料理が冷めてしまいますね。僕は気にせずどうぞ召し上がって下さい」
メンシスにそう言われ、「じゃあ、遠慮なく」と控えめな声で返してカーネが夕食を口にする。夕飯を食べている間中、カーネは頭の中でシェアハウスの件が気になり続けていた。
「——美味しかったですか?」
カーネの隣を当然の様に陣取っているシスが、頬杖をつきながらニコニコとした笑顔を浮かべて訊いてきた。髪の隙間からちらりと見えた瞳の色は碧眼で、カーネの中でメンシス公爵の姿が一瞬浮かぶ。
(……瞳の色も、名前までメンシス様と似てるとか、変な偶然もあるものね)
「あ、はい。こんなにしっかり食べたのは……初めてです」
そうは言ったが、トレーに乗っている料理はほとんど残ったままだ。どれも二口、三口程度食べただけでもうお腹がいっぱいで、これ以上は食べられる気がしない。そのせいか『……しっかり食べタ、ネェ』とこぼすララは呆れ顔だ。
(私もこれはもったいないとは思うけど、もう本当にお腹がいっぱいで……)
すぐ傍にシスが居る為、ララに言い訳も出来ない。ずっと一日一食の生活だったから食べない事に慣れていて、気持ちがすぐに白旗をあげてしまう。ティアンは痩身が趣味だったからこの体も胃が小さいのかもしれない。まだどれも温かくて美味しそうなのに、食べられない事をカーネは悔しく思った。
「少食なんですね。でもそうだな、あと一口頑張ってみませんか?」
「一口、ですか?」
シスの方に向かってカーネが顔を上げると、目の前に、小さく切った猪肉を乗せたスプーンが口の側まで差し出されていた。
「はい、あーん」
口を開けながら言うもんだから、シスの真っ赤な舌と綺麗な歯並びが丸見えだ。八重歯が結構鋭く、大型の子犬みたいな印象のある彼とはちょっと不釣り合いだった。
「ほら、美味しいですよ。デミグラスソースで煮込んでいるから味もしっかり染みていますし」
「あの、自分で食——」まで言い、カーネがスプーンを受け取ろうとしたが、カーネが口を開けた隙に、口内にそのスプーンを突っ込まれた。さっきも食べたので美味しいと知ってはいたが、知っていようが美味しい物は何度食べようと美味しい。
「もう一口、いけそうですね」
「いえ、あの」なんてカーネのか細い声は物ともせずに今度は一口サイズに千切ったパンを差し出された。先程のスープに端っこを少しつけたのか、今にも汁気が滴りそうになっている。
「ほらほら。早くしないと、垂れちゃいますよー」
(あーもう!)
半分ヤケになりながら口を開け、ぱくっとカーネがパンにかぶりつく。勢いがあったせいでシスの指をカーネが少しだけ甘噛みしてしまった。気味悪がられる!とすぐにカーネは身を引いたが、彼は穏やかな笑みを湛えたまま頬を赤くしているだけだった。
(……気持ち悪くない、の、かな?)
彼の背後には霞草がふわりと咲いては消えていく。花が咲いているから悪感情を抱いている訳ではないと知り、カーネはホッと息をついたが、その時々で背負う花に違いがある事が少し気になった。
「——頑張りましたね」と嬉しそうに言って、シスがパンッと軽く手を叩いた。カーネは少し恨めしそうな瞳をしつつ、「そう、ですね……」と小さくこぼしている。もう流石にこれ以上は本当に絶対無理だ。食べ過ぎで胃がムカムカしそうなラインまであと少しといった感じがする。
『それでも半分残っちゃったわネ』
ララにそう言われても、もったいないけどもう本当に食べられない。残りはどうしたものかとカーネが考えていると、「残りは僕が頂いてもいいですか?」とシスが訊いてきた。頷きで返事をすると、シスはトレーの料理を綺麗に全て平らげていく。カトラリーの持ち方も美しく、流れるような手付きでカーネの残飯を食べ切り、ナフキンで口元を拭いて食事を終える。到底平民とは思えない所作だったが、まるで小さな舞台の演劇でも見終わった様な気分になってしまい、カーネはその事に気が付けずにいた。
「ご馳走様でした」
「あの……お腹が空いていたのなら、別に頼んでも良かったのでは?此処って、宿泊客じゃない人も注文出来ますよね?」
「あぁ、食事はもう済ませていたので、このくらいで充分ですよ」
(もう食べていたのに、更に追加で食べていたのか!)
少食の身では成人男性の食事量には驚きしかない。残っていたのが一人前の半分の量だったとはいえ、よく入るなと思いまじまじとシスのお腹をカーネが見ていると、彼がそっと自分のお腹を押さえた。
「そんなに見られると恥ずかしいですよ」
「あ、す、すみません」と言って慌ててカーネが顔を逸らす。「……視線だけで、勃つかと思った」という小さなシスの呟きは、「お食事の終わった食器をおさげしてもいいですかー?」と訊いてきた店員の大きな声で見事に掻き消されたのだった。
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