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食事を終え、店員の下げた食器の代わりに、今は食後のお茶がカウンター席に二つ並ぶ。隣り合って座っている彼女達の後ろ姿はカップルにしか見えず、微笑ましい眼差しを周囲から向けられているとも知らぬままカーネは店員に会釈をして礼を伝えた。
すっかり寝入ってしまったララはカーネの膝の上で休んでいる。ララを頼れない以上この先は自分でどうにかせねばとカーネは意を決してシスの方へ顔を向けた。
「それで、あの、お仕事というのは、どういった内容なんですか?」
どうにも断れないのならもう、詳しく訊く以外に道はないとの考えから出た質問である。
「先程も言った通り、僕はシェアハウスの管理人をしています。経営面の方は問題なく仕切れるのですが、その……恥ずかしい事に、掃除は苦手でして。それで掃除を担ってくれる者をこれから探す所だったんですよ」
「それでこの宿に?」
「はい。一応生活魔法は使えますし、掲示板に募集の紙を貼ろうかという程切羽詰まっている訳ではないんですが、こういった場所には情報が集まりますからね。誰かに、仕事を探している者を知らないか訊こうかと思いまして」
「そうだったんですか」
「貴女は住み込みでの使用人の仕事を探していたんですよね?」
「はい。街に到着したばかりなので、仕事も住む場所も、両方別々に探すのは手間ですから」
「まぁそうですよね。あれもこれもとなると、確かに。僕も事務作業がなければ掃除も頑張って自分でやろうかと思っていたんですが、どっちもとなると流石に大変で」
「経営以外に事務作業も、ですか。管理人の仕事って結構大変なんですね」
「あぁ、いえ。実は一つ前にやっていた仕事の雑務がまだ残っているので、その事務作業です。シェハウスの方はそれ程管理自体は大変ではないですよ」
「一つ前?シスさんは、以前はどんな仕事をなさっていたんですか?」
「店などの経営管理などを少し。他には治療院なんかも運営していました」
「治療院も、ですか」
強い興味があるのか、カーネの瞳に好奇が宿る。
「治療院にもご興味が?」
「いえ、その、住み込みでの使用人の仕事を見付けられそうになかったら、『治療院で働けないかな』とも思っていた程度です」
「じゃあ、治療師の資格を持っている、とか?」
「……し、資格?」
そんな資格があるとは初耳で、カーネが困惑してしまう。治療師は、魔力を使う治療魔法か、神力による治癒のどちらかが使えればそれで良いものと思っていた為、資格が必要かもとは考えてもいなかったのだ。
「そっか、貴女の祖国ではそういった制度が無かったみたいですね」
「そ、そうです」と言ってカーネがシスの言葉に便乗する。つい話に乗ってしまったが、これではもう後には引けない。
「ソレイユ王国内で治療魔法を使うには、十三年程前から資格が必要になったんです。治療師達の技術向上の為に取り入れられたシステムで、資格試験を受けるには二年間の実地経験が必要になります。随分前は治療行為は神殿が独占しているに近かった為、一箇所による独占はどうしたって不正を生みます。治療を受けるには高額なお布施が必要となり、民衆の多くが治療を受けられないという状態になっていました」
「確かにそうですね」
「はい。その状況を改善しようという流れが生まれ、その過程で治療の質の維持と向上の為に資格制度が制定されたんです。治療師の資格システムを作るにあたって、才能ある者には身分に関わらずその能力を伸ばす機会も与えられる様になりました。それにより、薬などを扱う医療師と同数程度にまで治療魔法を扱えるヒトの数を増やす事に成功し、常識的な金額で治療を受けられる平民が随分と増えたんですよ。病気みたいに長期的な治療が必要な者には医療師が、怪我などの外傷には治療師がといった具合に住み分けもしています。——そうそう、このシステムを作ったのはセレネ公爵家なんですよ。公爵家の傘下には医療師も常駐している治療院も随分とあり、病いや怪我で苦しむ人が減った事や、職種が増えた事で長期的な平民の生活の向上に繋がった功績で、現国王から褒美をもらったそうです。それにより神殿との仲は……当然著しく悪化したみたいですけどね」
「そうなんですか」
全然知らなかった、とは知人の話なので何となく口にし難い。メンシス公爵が多忙の身であると知ってはいたが、社会貢献にも尽力していたと知り、カーネはちょっと誇らしく思った。
「……幼馴染の怪我をきっかけに、治療師の育成に力を入れようと思ったらしいです。神殿に独占させたままでは、簡単に治る怪我すらも治せず、人生を壊してしまうヒトも多いからと」
「……素晴らしい、考え、ですね」
カーネはちょっと泣きそうになったが、ぐっと堪えた。長年、『自分はメンシス様に見捨てられた』と思っていたが少しでも心に留め置いてもらえていたのだと知ると、どうしたって心にじわりと歓喜が込み上げてくる。
「ちなみに貴女は、『神力』と『魔力』とでは、どちらの治療法が得意ですか?」
「あ、えっと」と呟きながら目頭を少し押さえ、カーネは自分が泣いていない事を確認した。
「私には神力は無いので、魔力による治療になります」
「——え?」と言って、シスが口元に手を当てた。そして無遠慮にじっとカーネの全身を見詰めてくる。
『——ア、言うのを忘れていたワ。カカ様は“あるべき正しい姿”に戻ったかラ、神力を使えるわヨ』
欠伸を噛み殺しながらララが呟いた。 その話を聞き、「——え⁉︎」とカーネが大声で言ってしまった為、「ん?」とシスが首を傾げる。ララが片目だけを閉じ、両方の前足をそっとくっつけ謝るみたいま仕草をシスの方へ向けているが、話の重大性で慌てているカーネはその事に気が付いていない。
「い、いえ、何でもありません。ちょっと、えっと……」まで言ってもカーネには言い訳が何も浮かばない。今まで会話らしい会話の経験をあまりしてこなかったから、咄嗟の誤魔化し方なんかわかるはずがなかった。
「虫でも飛んでいましたか?」
「そうです、それです!小さな虫がいた気がして、あ、でも気のせいです!気のせい、でした」
だが、飲食店に虫がいたかもなんてとんだ風評被害になりかねないので、肯定しつつもすぐに取り消した。
「えっと、治療魔法の件ですが、魔力を利用した方が得意です。神力の方は、扱い方が……その、さっぱりでして」
無いと思っていた能力の使い方なんか見当も付かず、テキトウに誤魔化す。
「そうでしたか。じゃあ、どちらも使えると色々便利なので、その点は今後僕がしっかり教育していきますね」
胸に手を当て、ニコッとシスが笑う。「ありがとうございます」とカーネが返しはしたが、挙動不審だった点を変に思われてやしないかと内心ヒヤヒヤしっぱなしだ。
「シェアハウスの仕事の方ですが、基本的には共有スペースの掃除をしてもらいます。魔法が扱えるとの話ですから生活魔法でぱっと済ませてもいいですし、掃除道具を使ってもいいですよ。その辺は体調や仕事量などと相談して決めて下さい。下宿ではありませんから食事は各人で食べていますので、その辺の心配はいりません」
「わかりました」と言い、カーネが頷く。何だかもうすっかり仕事の話を受ける流れになっているが、彼女はまだ気が付いてはいない。
「貴女の部屋ですが、シェアハウスの部屋は全て入居済なので、管理人の居住スペースに住んでもらう事になりますがそれでも良いですか?」
「管理人の……。ところで、その分の家賃は?」
「『住み込みでの仕事』という扱いになりますから、家賃や光熱費の支払いなどは不要ですよ。そうですねぇ……正確な額の断言はまだ出来ませんが、三千クラン以上は支払えるかと思います」
『——絶対に雇ってもらった方がいいワ。それっテ、破格のお値段ヨ』
ララがカーネを見上げ、赤い瞳をきらりと輝かせた。そして『未経験者をこんな値段で雇ってくれる場所は他には無いワ』と付け加える。
「わかりました。じゃあ、よろしくお願いします」
ララの言葉を信じ、カーネは即決した。確かにこれ以上の良い条件を探すのも難しいかもと自分でも思っていたので、彼女に後悔はなさそうだ。
「よかった。じゃあ、明日の朝に改めて迎えに来ますね。今日はゆっくりお休み下さい」
「ありがとございます」と言い、カーネが頭を下げる。
「十時半くらいで迎えに来てもいいですか?」
「はい、大丈夫です」などと、二、三やりとりをしてからカーネがララと共に宿の部屋に戻って行く。人付き合いの経験不足のせいで、結局自分の名前を伝え損ねている事はすっかり忘れたままだった。