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「インターネット掲示板における中傷、ですか?」

自分の目の前には、髪を短く刈り上げた少し小太りの男性が座っていた。

自分が依頼を頼んだ弁護士である唐澤貴洋だ。

「はい。とある掲示板において中傷を受けていて、自分の住所や本名も流出してしまって……」

「……そうですか。それは辛かったでしょう。もう大丈夫ですよ、当職に任せて頂ければ全て上手くいきます」

その言葉に、とても安心したことを覚えている。


しかし、その安心は唐突に裏切られることになる。

弁護士はインターネット掲示板において数度の対応を行ってはくれたものの、それらは具体的な解決には繋がらず、かえって火に油を注ぐ形となった。

そうして、掲示板において自分への憎悪が高まる一方で、弁護士の対応は、あからさまにおざなりになっていった。


「え? 対応は打ち切り、ですか?」

久しぶりに対面した弁護士は、酷く冷たい態度で対応の打ち切りを宣言した。

「ええ、こちらとしても残念ですが。もう手が付けられない状態となっていますので、これ以上何かをするよりは時間が経って忘れられるのを待つべきだと判断いたしました」

「だ、だって、お金だって払ったのに」

「頂いたのは、あくまで着手金ですから。対応はここで打ち切りとなるため成功報酬金はいただきませんよ」

相談を持ちかけた時とは別人のように突き放した声色と態度だった。

「そ、そんな……30万円も支払ったのに。おかしいじゃないですか」

「これは弁護士制度で定められていることです。それ以上文句を付けるというのであれば、弁護士制度に対する重大な挑戦と受け取りますが?」

その言葉に、自分は何も言い返すことができなかった。

「臥薪嘗胆の日々を送り、自分を改めなさい。当職は君の20年後を見ている」

弁護士は、その言葉を残して二度と俺の目の前には現れなかった。



軋むような頭痛と共に、過去の自分の姿がフラッシュバックする。

居場所のない家。

優秀な弟と、無能な自分。

周囲に馴染めず逃げ出した自分。

インターネット上の集合知に酔い、自分が優秀になったかのような錯覚。

責任が問われない掲示板において、どこまでも自分勝手に振る舞う愚かな自分の姿。

そして炎上し、自殺することで最後まで逃げ続けた哀れな人生。

思い出した過去の自分の姿は、途方もないほど矮小で惨めな負け犬だった。


記憶が戻ったにも関わらず、過去の自分の記憶はどこか他人事のようだった。

過去の自分と、この世界に来てからの自分、二つの人格が混ざることなく頭の中に存在しているような不思議な感覚。

そしてそんな状態に戸惑っているような時間は、今の自分には残されていなかった。


「尊師、ここにいるのは研磨ウサギじゃないですか! 持って帰れば高く売れますよ」


教団の一人の声が小屋の中にまで聞こえてくる。

後ろの藁の下でチヒロが息を呑む気配がした。

「全て籠に入れて持ち帰りなさい。後で行商に売りつけることにしよう」

そう指示した声は、間違えようもなく、過去に出会った弁護士のものであった。

何故あの男がこちらの世界に来ているのだろうか。

それを考える余裕すら、今の自分には存在しなかった。

「一匹だけ色が薄い失敗作がいますね。あれはどうします?」

「金にならない奴は無駄ですね。繁殖しないように殺しておいてください」

最後に自分と会った時と同じ冷たい声だった。

その言葉に、耐えきれなくなったように藁の下からチヒロが這い出てドアの隙間から外を覗いた。

「チヒロ、危険だから隠れて――」

小声で諭す暇もなかった。

ドアの隙間から覗いた外の世界では、ナイフを持った教団の男が、一匹だけいる色の薄いウサギに向かって歩いていく姿が見えた。

「やめてっ!」

瞬間、チヒロが小屋を飛び出した。

小屋の中に人がいるとは気づいていなかったようで、その場にいた50人ほどの教団の人間が一斉にこちらに視線を向けた。

チヒロは小屋を飛び出ると、まっすぐに色の薄いウサギの前まで走り、庇うように前に出た。

「殺さ……ないで……」

絞り出すように、震えた声で一言だけ発した。

声こそ震えていたものの、目線は睨むように強く、目の前のナイフを持った男に向けられている。

「なんだ、隠れていたやつがいたのか。……尊師、どうします?」

ナイフを持った男が、後ろにいる元弁護士の男に話しかけた。

しかし男は、その言葉に耳を向ける様子もなく、扉の前に立ちすくむ俺に視線を向けていた。

改めて見てもその顔は、紛れもなく元の世界で出会った弁護士のものだった。

「君も、こちらの世界に来ていたんですね」

元弁護士は俺に視線を向けたまま、にやけたような顔で近寄ってくる。

「じゃあ、やっぱりあんたは……」

「そうです。君と元いた世界で会った弁護士ですよ」

口元を邪悪に歪ませ、男は笑った。

「久しぶりですね。炎上していた惨めな少年」

「……あんたも、死んでこっちの世界に来たのか?」

「死ぬ……? 何を言っているのかわからないですね。あなたはそうやってこちらの世界に来たのですか?」

演技ではなく、本当にわからないというような様子だった。

「ほんの数ヶ月前のことです。目が覚めると同時に、当職はこちらの世界にきていた」

相変わらずのふざけた一人称。かつて会った時と変わらない、自分を”当職”と呼ぶ言葉づかい。

「そして確信しました! 見たこともない世界。基本的な知識すら持たない下等な人々。そして何より、与えられた”力”。神が当職に相応しい世界を与えてくれたのだと」

男は、演技がかった口調で話した。

「”力”……? 何を言ってるんだ、あんたは」

俺がそう言うと、目の前の男は心底馬鹿にしたような顔になった。

「やはり、あなたと当職は違うようですね。当職は選ばれ、あなたは捨てられた。当職が得た”力”とは、こういう事です」

男は右手を俺に向けてかざすと、口元を醜く歪めた。

「”倒れろ”」

男の言葉を聞くと同時に、体が自然と前に倒れ始めた。手足は動かず、受け身を取ることもできないまま、正面から地面に倒れ込んだ。

「つッ!」

肺から空気が漏れ、正面からまともに全身を打った衝撃で体が痺れる。

「な、なにが……」

「これが、当職が与えられた力です。”洗脳”。もう誰も当職の言葉に逆らうことはできない。貴様ら屑とは違うんだよ!」

本性を表したかのように、剥き出しの敵意と害意のこもった言葉だった。

「そ、尊師……さっきから何を話して――」

後ろに控えていた部下の一人の言葉が言い終わらないうちに、元弁護士は視線を後ろに向けて言葉を放った。

「”止まれ”」

その言葉で、後ろにいた部下全ての動きが制止した。体の動きだけでなく、意識すらも”止まっている”かのように空ろな瞳で立ち尽くしている。

人間だけではない。教団が連れてきた荷馬車を引いている馬さえ、どこを見ているのかもわからない視線のままで”止まっている”。

「そうやって洗脳することで、教団を作ったのか、あんたは!」

「そうです。誰も当職が統率していることに違和感を持たない。敵対する組織すらも、当職の力で”洗脳”してしまえば当職の道具となる。まさに支配のための力、私は選ばれたのですよ!」

両手を広げ、必要以上に肉のついた頬を歪めた男の顔は、まるで人間では無くなってしまったかのようだった。

このままにしておくわけにはいかない。そうは思っていても体が言うことを聞かない。俺は倒れた状態から起き上がることすらできないままだった。

「惨めですね。あなたは元の世界にいた時とまるで変わらない」

男は憐れむような、そして汚いものを見るような目で俺を見下した。

そして唐突に思いついたとでもいう様に、俺から目線を外し、チヒロの方を見た。

チヒロは教団の部下達と同じように、ウサギを庇うような姿勢のままで”止まっている”。

「あの女の子は、あなたの御友人ですか?」

男は口元に笑みを携えながら、チヒロの元に歩み寄っていく。

「やめろ! その子は関係ないだろう!」

俺の言葉に、男は振り返ることもなく歩みを進める。

「過去にあなたのくだらない依頼を請け負ったせいで、少なからず当職の方にも誹謗中傷の被害がでましたからね。これは、その復讐です」

止めようとしても、体は動かない。地面にうつ伏せに倒れたまま、這いずることすらできなかった。

男はチヒロの前に行くと、手を目の前にかざし、言葉を発した。

「”自分の首を絞めろ”」

言葉を言い終えると共に、チヒロは自分の両手で自分の首を絞め始めた。

「やめろ!」

俺が叫ぶと、男はこちらを見て嘲笑した。

「君はそこで、少女が自殺するのを眺めていなさい。絞殺死体は汚いですよ、糞尿を垂れ流す尊厳の欠片もない死に方だ。君のせいで、少女はむごたらしい死に様を晒す。そこで這いつくばりながら、しっかり罪を認識しなさい」

男が語る間にも、チヒロの両手にかかる力が増していくのが見てとれた。

「ぐ……うぅ――」

チヒロの口から呻き声が漏れる。目は空ろなまま、涙をこぼしていた。

「――や……だよ……」

意識が朦朧としたまま、抵抗の言葉が口から洩れていた。

「やはり、強い抵抗があると洗脳にも時間がかかりますね。まあ、時間の問題でしょうが」

男がつまらなそうに話した。

必死に体を動かそうとしても、一向に体は言う事を聞かない。

あまりにも惨めな姿。元の世界にいた時と何一つ変わらない無力な自分。


『もう……いいだろ……』

頭の中にあった、元の世界の自分の姿が諦めたように口にする。

『下手に抵抗しようとするなよ。このまま黙って大人しくしていれば生かしてもらえるかもしれないだろ』

過去の自分。他人を攻撃することでしか承認欲求を満たすことができなかった哀れな自分。

出来ないことがあればすぐに諦め、嫌なことがあればすぐに逃げ出す、努力を放棄した負け犬の姿。

「……黙れ――」

『あの子が死んだら別の町に行けばいいだけじゃないか。ここで無理して死ぬなんて馬鹿のやることだろ』

「――黙れ!」

世話をしているウサギ一匹のために自分の体を盾に出来る少女と、自分を助けてくれた少女すら見捨てようとしている過去の自分。

比較にすらならないほど、臆病な自分の姿。

『俺は嫌な思いしてないから……』

「だからといって、他人がどうなっても良いなんて俺は思わない!」

あまりにも惨めな自分に怒りを感じた。

その怒りは形となって、目の前に立つ過去の自分の姿を燃やしていく。

『後悔するぞ…………』

最後まで遠吠えを続けた負け犬の様相。

自分への怒りが、形を伴って現実までもを侵食する感覚。

指先に熱と強い痛みを感じた。右手を見ると、指先に僅かに火が灯っている。

脳を縛り付けていた”倒れろ”という言葉が、熱と痛みで掻き消されていくのが分かった。

手を地面につき、膝を立てて立ち上がる。

手を強く握りしめると、指先の火が右手を包んだ。

「その手をどけろ! ○○○○!」

全力でチヒロの元まで走り、男の名前を叫びながら、横顔を思い切り殴りつける――。

「ど、どうして洗脳がッ――」

男は言葉を言い終える事も出来ず、殴りつけられた衝撃で倒れる。右手の炎が燃え移り、男の髪が少し焦げているのが見えた。

気持ちを少し落ち着けると、自分の右手の火は火傷の痕だけを残して消えた。

「これ以上、好き勝手はさせない。唐澤貴洋、お前は俺が殺す!」

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