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俺は嬉しくて、思わず笑顔を浮かべていた。
その笑顔は、これまでの不安や悲しみを全て吹き飛ばすかのように輝いていた。
「ありがとうございます……仁さん。絶対、認めてもらいましょう」
そんな俺の言葉を聞いた後、彼は静かに頷いてくれた。
彼の表情は、まるで長年の重荷が降りたかのように、晴れやかだった。
その後、互いに体を離すと、目線を合わせるように向かい合う形になった。
お互い自然と微笑みあうと、どちらからともなく、ゆっくりと唇が重なった。
柔らかく、そして温かい感触が、俺の全身を包み込む。
しばらく経って唇同士が離れると
仁さんの指先が俺の頬にそっと触れ、そのまま髪をさらっと撫でられた。
その優しい仕草に、俺の心は温かさで満たされる
「仁さん……」
彼の指の感触が、俺の頬に心地よく残った。
仁さんと、初めてのキスがこんな形になるなんて、思いもしなかった。
「楓くん」
仁さんも、俺の名前を呼ぶと、優しく頭を撫でてくれた。
その手つきは、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧で、俺は思わず顔が綻んだ。
こんなに幸せだと感じるのはいつぶりだろうか…
それぐらい長かったような、でもあっという間だったような気さえしてくる。
この瞬間が、永遠に続けばいいのにとさえ思った。
彼の温かい手が、俺の心を癒してくれた。
すると再び名前を呼ばれ、顔を上げると
仁さんは少し真剣な表情で唐突に尋ねた。
彼の瞳は、何かを確かめるかのように、俺の目をじっと見つめていた。
「…楓くんは、マサから俺の兄弟のこと聞いたのか?」
「あ、はい…名前だけ」
俺は正直に答えた。
仁さんは、俺の返事を聞くと、小さく「そっか」と呟いた。
その声には、どこか複雑な感情が混じっているようだった。
彼は、遠くを見つめるように視線を逸らした。
仁さんはそう言うと、一呼吸置きながら、ゆっくりと言葉を続けた。
彼の視線は、ここからも十分見上げることのできる、先程の高円寺総合病院に向けられていた。
「ちょっと、見てやってくれないか」
「いいんですか……?」
俺がそう聞き返すと、仁さんは寂しげに微笑みながら答えた。
彼の瞳は、遠い過去を懐かしむかのように、かすかに潤んでいた。
「一人で見舞いに行く度に心苦しくてな。楓くんには、一目でも見て欲しい」
そう言った直後に、仁さんは寂しそうに目を伏せ
悲しげに眉を下げていた。
その横顔は、あまりにも痛々しくて、俺の胸が締め付けられるようだった。
「もちろんです」
彼の心の中に、どれほどの苦しみが渦巻いているのか
想像するだけで胸が痛んだ。
(仁さんの、大切な人…………)
その事実だけで、俺の胸は締め付けられるような感覚になった。
仁さんの大切な人だからこそ、俺も同じように大切にしたい。
そんな思いが、俺の心の中に芽生えた。
俺は、兼五郎さんに会うことへの緊張と
仁さんの悲しみに寄り添いたいという気持ちで胸がいっぱいだった。
◆◇◆◇
俺が病室の扉をノックしようとする前に、仁さんが先に手を伸ばし、ゆっくりと扉に触れた。
彼の指先が、わずかに震えているのが分かった。
そして、静かに「失礼します」と断りを入れた後に
扉をゆっくりと開けた。
部屋の中には、先ほど見た男性が静かにベッドに寝ていた。
チューブや機械に繋がれた彼の体は、まるで眠っているかのように穏やかだった。
俺たち二人が来たことに気づかない様子で、ただ穏やかに眠っていた。
部屋の空気は、消毒液の匂いと、静寂に包まれていた。
仁さんがベッドの側にある椅子に静かに座った。
彼の視線は、兼五郎さんの顔に釘付けになっていた。
俺も、その隣の空いている場所へと、ゆっくりと腰を下ろした。
部屋の中には、機械の規則的な音と俺たちの静かな呼吸だけが響いていた。
その静寂の中で、仁さんの悲しみがひしひしと伝わってきた。
俺は、兼五郎さんの寝顔をじっと見つめた。
その顔は、穏やかで、まるで深い眠りについているかのようだった。
しかし、仁さんの横顔を見ると、彼の心の中に渦巻く感情が伝わってくるようだった。
彼の瞳は、兼五郎さんの顔から離れることなく
その奥には、深い愛情と、どうしようもない悲しみが入り混じっていた。
俺は、意を決して、さんに尋ねた。
「仁さんにとってはかけがえのない兄弟、だったんですよね。どんな人だったんですか…………?」
その問いに、仁さんはしばらく悩んでいるようだった。
彼の視線は、兼五郎さんの顔から離れることなく
その瞳の奥には、遠い日の記憶が蘇っているようだった。
彼の口元は、何かを言いたげに、しかし言葉を選んでいるかのように微かに動いた。
そして、まるで心の奥底に大切にしまっていた宝物を一つずつ取り出すかのように、ぽつりぽつりと話し始めた。
「兼五郎は……俺とは正反対の人間だったな」
「俺が不器用で口下手なのに対して、あいつは誰とでもすぐに打ち解けられる、世渡り上手で、本当に変な奴だった」
「いつも俺の心配ばかりして、俺が一人で抱え込もうとすると、すぐに気づいて『仁、お前はもっと周りを頼れ』って、そう言ってた」
仁さんの声は、まるで遠い記憶を辿るかのように、少しずつ震えを帯びていった。
彼の視線は、ベッドに横たわる兼五郎さんから離れることなく
その表情はどうしようもない悔恨に満ちていた。
「俺がまだ、その……あっちの世界にいた頃、殺人の片棒を担がされそうになったときでさえ、兼五郎だけは俺をじて、身の潔白を証明してくれた」
「どんなに周りから白い目で見られても、あいつとなら生きていけると確信していたほどだ」
「それに、あいつだけは俺を人間として見てくれたんだ。血の繋がりこそないが、その温かさに何度も救われたんだ」
「…本当に、本物の兄弟みたいな人だったんですね」
「…あぁ、あいつがいたから、俺はここまで生きてこられたんだ」
仁さんは、兼五郎さんの細くなった手をそっと握りしめた。
その指先が、微かに震えているのが見えた。
彼の目元には、うっすらと涙が浮かんでいるようだった。
彼の目元には、うっすらと涙が浮かんでいるようだった。
その涙は、彼の心の中に積もり積もった感情の結晶のように見えた。
「兼五郎は、俺の唯一の家族だった」
「魂の兄弟ってやつだ、俺がどんなに辛い時も、どんなに絶望の淵に立たされても、あいつの笑顔を思い出すだけで、もう一度立ち上がれた。あいつがいたから、俺は…」
言葉が途切れ、仁さんは深く息を吐いた。
その横顔は、あまりにも痛々しくて
俺は思わず手を伸ばし、彼の背中をそっと撫でていた。
彼の背中から伝わる震えが、俺の心を締め付けた。
仁さんは、俺の手に気づいたのか、少しだけ身体を震わせたが、振り払うことはなかった。
むしろ、俺の温もりに身を委ねるかのように、わずかに寄りかかってきた。
「それなのに、あいつは俺を庇って……岩渕にこんな体にされちまった」
仁さんの声は、もうほとんど聞こえないほどの囁きになっていた。
「……っ、い、岩渕…って、あっあの男、兼五郎さんにまで…?」
「…本当は人生捨てて復讐するつもりだったが、楓くんの一件で豚箱に30年って判決が出たからな……あの歳じゃ、30年もいれば無期懲役と一緒だ」
その声色は深く刻まれた傷跡を物語っていた。
「そう、でしたね…残虐性が高かったですし」
俺はただ、そんな彼の痛みに寄り添うことしかできなかった。
彼の肩を抱き寄せ、その怒りに似た震えを少しでも和らげようと努めた。
部屋全体が、その悲しみに包まれているかのようだった。
俺は、仁さんの隣で、兼五郎さんの手を握りしめる彼の姿を見つめながら
この人がどれほどのものを背負って生きてきたのかを、改めて痛感していた。
彼の背中には、あまりにも重い十字架が乗せられているように見えた。
そして同時に、仁さんを本当の兄弟のように接し
体を張って仁さんを護った兼五郎さんのためにも
彼を独りにはしないという決意を、心の中で強く
誓った。
すると仁さんは、振り向いて
「楓くん、もうひとつ相談したいことがあるんだ」
と、俺の目を真っ直ぐ見つめながら言ってきた。
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