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翌朝
俺を揺り起こしたのは、窓から差し込む強烈なまでの朝日と、耳に心地よい規則的な水の跳ねる音だった。
三階の寝室から、吹き抜けになった階段を通り一階のリビングへ下りていくと
そこには前世の記憶を合わせても見たことがないような、夢幻の光景が広がっていた。
朝日を浴びてキラキラと眩い反射を繰り返すクリスタル・バスタブ。
その澄み切った水の中で、アクアが自身の長い桃色の髪を、白く細い指先ですくい上げている。
「……あ、カイリ様! おはようございます!」
水面から顔を出したアクアが、弾けるような、それでいてどこか慈愛に満ちた笑顔で俺を呼ぶ。
昨夜の瀕死の状態が嘘だったかのように、彼女の疲労は完全に消え去っていた。
その肌は朝露に濡れた果実のように瑞々しく、水中でゆらめく尾びれの鱗は
一枚一枚が朝陽を複雑に屈折させ、まるで最高級のプリズムのように鮮やかな虹色の輝きを放っている。
「おはよう、アクア。よく眠れたか?」
「はい! あのバスタブ、本当に凄いです。体が羽のように軽くて……わたし、生まれて初めてこんなに爽やかで、健やかな朝を迎えました!」
「よし、それじゃあ記念すべき『この島で最初の朝食』にしようか」
俺はさっそく、二階の魔導キッチンへと向かった。
昨夜のうちに、広域展開した『水質浄化』スキルで海中から採取し、鮮度を保ったまま一晩熟成させておいた厳選食材を取り出す。
今朝のメインは、この島に自生していた大粒の「海藻の果実」───
プチプチとした食感が特徴の海中フルーツと
昨夜獲ったスズキの中でも特に脂の乗った腹身を使用した「特製オーシャン・カルパッチョ」だ。
「固有スキル『水質浄化(モレキュラー・フィルタリング)』───成分抽出」
指先から放つ淡い光。
それが食材に触れるたび、海藻に含まれる過剰な塩分と特有のエグみが瞬時に抜き取られ
代わりに深海の清浄な層から汲み上げた「高ミネラル成分」が細胞の一つ一つに注入されていく。
仕上げに、昨夜精製した不純物ゼロの究極の塩と、島の熱帯果実から抽出した
鼻に抜けるような酸味の強い果汁を贅沢にひと振りした。
「お待たせ、アクア。今朝は少しさっぱりとした仕立てだ」
バスタブの縁にスライド式で設置した、特製のクリスタル・テーブルに盛り付けた皿を置く。
すると、アクアが銀色の食器を見て、不思議そうに声を上げた。
「!これ知ってますわ」
「これって、フォークのこと?」
「ええ。海の中ではよく、これで髪をといていましたから」
「そうなの? 確かに童話の人魚姫はそうだけど……世界が変わっても、そこは変わらないんだな」
「どうわ……?」
「あっ、いや! なんでもない。これは『フォーク』といって、髪を整えるんじゃなくて、ご飯を食べるための道具なんだ」
俺がそう説明すると、アクアは納得したように目を輝かせた。
砂浜の珪素を分子レベルで再構成して成形したそのフォークを器用に使い、彼女は期待に胸を膨らませながら、カルパッチョを慎重に一口運んだ。
「……っ!! んんん〜っ! 昨日の温かいお魚も凄かったですけど、これは……シャキシャキして、お口の中がとっても涼しいです!」
「それに、この赤い果実のソース! 少しピリっとしていて、お魚の脂の甘さがぐんっと引き立ちますっ!」
彼女が幸せそうに頬を緩め、美味しさに身悶えするたび
背後に設置した「共鳴水晶」が、彼女の感情に呼応して柔らかな桜色に拍動する。
彼女の幸福感が純粋な魔力となって家全体を循環し
生命の息吹を与えているのだ。海洋オタクとして、これ以上の「やり甲斐」と「至福」は他にない。
◆◇◆◇
朝食を終え
英気を養った俺たちは、いよいよこの拠点の周囲を本格的に調査することにした。
とはいえ、俺は肺呼吸の人間、彼女は鰓呼吸の人魚だ。
「アクア、少し待っててくれ。一緒に海へ潜るための準備をするから」
俺はリビングを横切る水路の傍らに立ち、空中の水分と周囲の魔力を練り上げた。
現代の潜水工学と魔導理論を融合させ、作り出したのは
俺の全身を第二の皮膚のように包み込む透明な「超高圧耐性・魔導ダイビングスーツ」。
そして、背中に背負うのは
水中の酸素を分子レベルで取り込み永久供給する「水質浄化型リブリーザー」だ。
「カイリ様、その不思議な姿は……?」
「これで俺も、君と同じ景色、同じ世界を共有できる。……行こうか、アクア」
「…はい!」
アクアがしなやかに水路へと潜り、俺もその後を追って、重力を振り切るように水の中へと飛び込んだ。
水路を抜けた先には、思わず呼吸を忘れるほどの「蒼の世界」が広がっていた。
昨夜、魔毒が徹底的に浄化され
さらにアクアの歌声によってエネルギー的に励起されたこの海域は、もはや通常の海とは一線を画している。
「見てください、カイリ様! サンゴが……あんなに鮮やかに光っています!」
アクアが指差す先、海底には巨大な脳サンゴや枝サンゴの群生が、青、緑、紫
そして幻想的なピンクへとネオンのように発光し、光の森を形成していた。
その光の枝の間を、宝石の欠片のような小魚たちが幾千もの群れをなして泳ぎ去っていく。
アクアは水を得た魚───文字通り、その本来の姿を解き放ち、圧倒的な躍動感を見せていた。
彼女がしなやかな尾びれをひと振りするたび、周囲の魔力がキラキラと輝く真珠のような泡となって弾ける。
彼女は俺の周りを自由自在に、円を描くように泳ぎ回り
時折、いたずらっぽく俺の手を引いて海中を導いてくれた。
しかし、その「楽園」の奥底で、俺たちの視線はある一点に釘付けになった。
「カイリ様、あそこ! 何か大きな、建物のようなものが見えます!」
彼女の指差す先。海底の深い谷の底、光も届かぬはずの深淵に、古代の石造りのような、しかし極めて緻密で複雑な幾何学模様が刻まれた「沈没した遺跡」が、静かにその巨躯を横たえていた。
(……ただの無人島じゃないとは思っていたが。まさか、歴史から抹消された『超古代魔法文明』の遺構か……?)
その光景を目にした瞬間、俺の海洋オタクとしての、そして開拓者としての血が、かつてないほど激しく沸騰した。
この遺跡に眠るエネルギーを『水質浄化』で再起動させることができれば
この島はただのリゾートを越え、現存する国々すら凌駕する「魔導帝国」の礎にすらなり得る。
「アクア、行ってみよう。あそこに、俺たちの国の『さらなる鍵』があるかもしれない」
深い、深い蒼の底へ向かって。
俺たちは互いの手を強く繋いだまま、未知なる深淵へと潜り進んでいった。