「ちっ・・また始まったよ。勘弁してくれよ」
彼は薄暗い部屋でベッドの上に座り、左右の耳を両手で押さえている。
彼は不眠症に悩まされていた。
彼が住む部屋の隣のでは、50代の息子と、80代の母親が2人で暮らしているのだが
毎日のように2人の口論が昼夜問わず聞こえてくる為、いつしかそのストレスにより、不眠症になっていた。
そしてつい今しがた、またもや2人の口論が始まっていた。
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「ババァ!するならこの瓶にしろっつってんだろーが!誰が掃除すると思ってんだよ!クソがぁ!」
「ご、ごめんなさい・・・」
「謝るくらいなら、瓶にしろよ!見えねーのか?あ?これだよ!これ!この瓶だよ!」
息子が瓶を投げつけ、瓶がパリィンと音を立てて割れる。
同時に、頬っぺたを何度も平手打ちする音も聞こえてくる。
おそらく息子が母親の頬を叩いているのだろう。
聞くに堪えない、痛々しい音がする。
「い、痛い・・叩かないで!お願い」
恐怖に慄いた声で、助けを乞う母親の声。
「うるせぇよ!殺すぞ!」
それからしばらく、口論、いや、息子の一方的な暴力は続いた。
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「毎日毎日・・いい加減にしろよ!」
おそらく在宅介護でもしているのだろう。
彼自身、介護など経験してこなかった為、在宅介護にどんな辛さがあるのかは、正直言って分からない。
しかし、在宅介護は様々な問題が山積みで、ストレスで限界を感じている人が多いというのは知っている。
また、こういった問題には、これと言った解決策が無く、近隣住民との和解くらいしか解決策ないというのも知っている。
本人の強い希望により、老人ホームへの入居を拒むケースもすくなからずあるらしいから、仕方がないとは言ってしまえは、そうなのかもしれない。
しかし、そうと分かってはいても、こうも毎日、人が人を罵る声と、助けを乞う人の声聞いていては、心がもたない。
いずれノイローゼになってしまう。
いや、彼に既にノイローゼになっているのかもしれない。
それほどまでにストレスを感じていた。
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そんな生活をしているものだから、生活リズムは言わずもがなボロボロになってしまう。
金があれば、すぐにでも引っ越したいが、収入の少ないフリーターである彼には、そんな事は無理だった。
唯一の希望と言えば、母親が死に、介護に終止符が打たれる事くらいだが、それもいつになるかは分からない。
前にも後ろにも、右にも左にも、どこにも逃げ場がない。
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そんな悩みを抱えていたが、ついに、そんなストレスばかりの生活が終わりを迎えた。
隣の部屋の息子が、自宅を訪ねてきて、差し入れを渡して来た。
なんでも、母親の病気が悪化して、先日息を引き取ったとの事だった。
そのため、日ごろ迷惑をかけてきた、隣の部屋に暮らす彼に、せめてものお詫びの品を届けに来たらしい。
彼は死んでくれてせいせいする。やっと気持ちよく眠れる日がくるのだと、内心歓喜していたが
さすがに身内を病気で亡くした人の前で、あからさまに喜ぶわけにはいかない。
「そ、そうだったんですね。お悔やみ申し上げます。」とそれっぽい詭弁を並べながら、ありがたく差し入れの品を受け取った。
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彼は内心、喜んでいたが、同時に息子に対して同情の気持ちも持っていた。
差し入れを渡しに来た息子は、見た目で分かるほどに衰弱し、心身ともに疲れ果てている様子だったからだ。
やはり在宅介護は、頭で考えているよりもずっと大変なのだろう。
そう思いながら、差し入れが入っている箱を開けた。
そこには、大量の冷凍肉がビッシリと敷き詰められていた。
「すげー!大量の肉だなぁ」
フリーターである彼にとって、これほどまでの大量の肉を自分で買おうとすれば、それなりに出費しなければならない。
「今日は焼肉だなぁ!」
彼は口の中から溢れ出る大量のヨダレを掌で拭う。
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ストレス生活から解放されてしばらく経過した頃。
彼は、いままでの不眠症が嘘のように、ぐっすり眠れる生活を送れていた。
そんな頃テレビでは、ある報道が世間を賑わせていた。
[介護によるストレスで84歳の母親を殺害した53歳の息子を逮捕]
なんでも、警察署に、自宅で介護をしていた母親を殺害したから逮捕してほしいと、50代の息子が出頭して来たらしい。
「介護のストレスで殺人かぁ・・・」
世の中には怖い人間がいるなぁ、などと考えながら、彼は、差し入れされた肉を貪っている。
しかし、その後、彼の橋は止まった。
−また、殺害した遺体は、バラバラに切り刻み
近所の住人に食べさせてた!と供述しており−
「え・・・・」
彼は思い当たる節があった。
50代の息子が80代の母親を在宅介護。
息子は母親を殺害したのちに、遺体をバラバラにして、近所の人間に食べさせた。
「ま、まさか・・この肉って・・」
男はとてつもない吐き気を催し、その場で嘔吐してしまった。