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「悪く思わないでくれ──全ては国のために」
吹雪の吹き荒れる山の麓にその娘は捨てられた。
「分かっておりますわ。私の身一つで国が救われるのであれば、これほど名誉な事はありません」
娘も承知の上でという事だが、この極寒の地で1人放り出されれば生きる事は難しい。
「山神様が待っておる。無事にこの山を登り役目を全うされよ」
そう告げる男は奥歯を噛み締め、口の端から血が流れている。
「では、これまでお世話になりました。宮司さま。お父様──」
この厳しい冬に閉じ込められたような国の状況は悪化を辿り、早急に解決せねば国の存亡に関わるであろう。
国教の頂点にあり、国王からこの数年もの間、止む事ない吹雪を止めるため勅命を受けたこの親子が選んだ方法は、古くから行われていてしかし近代には廃れた習慣である生贄であった。
それも穢れなき乙女で、かつ神に仕えるものとしての教育を施された者しか認められない。宮司といえど、そうと知っていて自身の娘がそれであるのに他者に強要することが出来なかった。
そして打ち明けられた娘は、「分かりました」と。それだけを告げて禊に入ったのだ。
国に仕え娘を巫女として育ててきたのは生贄にするためなどではない。山に入る娘を見送る父は、奥歯が砕ける音を聞いた。
スウォードという街は周囲に広い草原と点在する林や丘があり、その西には海を、南には広大な森を、東には長く続く街道と森もあるが隣の人里までがどれほど離れているかを知るものは街におらず人の行き来もない。そして北にはドワーフが住む山をはじめ、いくつかの山々が連なる連峰となっており、事実上この街は孤立している。
そして街の者たちは外の世界を忘れている。それほどに孤立した街ではあるが、たまに外部から人が迷い込むこともある。魔獣から命からがら逃げおおせたビリーがそうだ。
そして巫女の娘はいまその街の北に位置する山を登っているのだ。
吹き付ける風と雪。足元には分厚い積雪。
生贄として放たれた娘には、防寒具などない。薄着の巫女装束に薄いベール。足元は足袋で頭と首元、手首足首には高価な儀礼用の装飾品。娘を含めそれらが全て山神への貢物である。
もはや足も手も末端の感覚などとうにない。足元はふらつき、木々を支えに登れども頂は遥か頭上。あちこちを怪我して血は垂れたそばから凍りつき、飾り付けた装束もあちこちが濡れて凍りつきもはや今自分が生きているかどうかも定かではない。
これでいい。貢物としては少し見た目が悪くなった事が山神さまに嫌われないか不安もあるが、この先に国の平穏があるならと。
しかし芋虫よりも遅い足もいよいよ止まってしまった。震えることもなくなり、感覚を失っている腰から下は自分のものでないかのよう。
(いえ、もはやこの命さえここにきた時より山神さまのもの……)
やがて薄れゆく娘の意識の中、それでもと頂を見上げるその瞳に、白銀に輝く四つ足のシルエットが見えた。それが鹿か狼かももはや分からない。今映るのは光のみで、これが最後の光景というのは
「きっと悪くはないのでしょう……」
それは口の中だけではあるが確かな呟きであった。