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眠狂四郎
661
すみっこの文字
37
いとー
40
レジーナは暗闇の中にいた。
痛くて苦しい。
けれど、それはレジーナの痛みではない。
「誰か」の感情が流れ込んでくる。
大量のヴィジョンが押し寄せた。
レジーナは頭が割れそうなほどの痛みに襲われる。
村が視えた。
見知らぬ村だ。しかし、レジーナには分かった。
ヴィジョンの持ち主の故郷。
笑いかけてくる見知らぬ人々は、彼の大切な人たち。
碧い瞳の綺麗な女性――彼の母親が、彼を「クロード」と呼んだ。
切り替わるヴィジョン。
村を襲う魔物の群れ。血に濡れた家族を背に、彼は一人戦っていた。
傷つき、絶望し、家族の命が尽きたことに気づきながらも、剣を振るい続ける。
やがて、地に立つ者が自分一人だと気づいた時、彼は痛みに吠え、悲しみに絶叫した。
そして、長い長い慟哭の末、彼は新たな人生を歩み始める。
始まったのは魔物との戦い。
時を越え、場所を変え、立場を変えて、彼は戦い続けた。
戦って、戦って、もう何のために戦うのか――
彼自身がその理由を見失った頃、彼は王国の騎士となっていた。
それで漸く、レジーナは男の正体を知る。
彼女の記憶にある「彼」とはかけ離れた姿。
生い立ちなど知るべくもなかったが、彼はレジーナが知るよりずっと過酷な修羅を生き、そして、その生に絶望していた。
忠誠を捧げた国の中枢から向けられる、疎ましげな視線。
共に戦ってきた仲間にすら妬まれ、恐れられる。
彼は気づいていた。気づいていたが、変われなかった。
変わり方を知らぬまま、戦いを続けた。
それが、彼にとってたった一つの生きる意味だった。
結果、行きついた先。
レジーナには酷く残酷なものに思えた。
――クロード、貴様はこの場に残れ。
彼――クロードに下された命令は、ダンジョンの崩落阻止。それをたった一人でやれという。
命じたのはダンジョン調査の責任者、当時の騎士団長だった男だ。
レジーナはその男をよく知っていた。
――ダンジョン内に残る民のため。彼らの脱出まで持ち堪えろ。
金の髪に緑の瞳をした上官。
彼の命令に、クロードはただ「諾」と答えた。その命の意味するところを理解しながら。
――最後の任務、しかと果たせよ。
クロードは「死」を望まれていた。
ダンジョンを人間一人の魔力で支えるなど、端から不可能。
理不尽で非情な命令に、レジーナは憤った。全てを諦め、受け入れた男の代わりに。
(なんでっ!? どうして怒らないのっ!)
ダンジョン最下層に残されたクロード。
それからの彼の生には何もなかった。
音も光もない空間。クロードの秀でた目には、ただ暗闇に浮かぶ球体が映る。
魔力を奪われるだけの時が過ぎゆく。やがて、クロードはその両の目を静かに閉じた。
それでも、彼の生は終わらない。虚無――何もない世界。
(無理、こんなの無理よっ……!)
ヴィジョンを見ているだけ、クロードの過去を追体験しているだけなのに。
レジーナは気が狂いそうだった。
しかし、クロードは狂うことさえできない。
ずっと正気を保ったまま。彼が自我を手放すと決めたのは、ダンジョンを訪れる者が完全に途絶えてからだ。
闇に霞みゆく意識。
消えかけたクロードの自我は、けれど、たった一つの存在によって呼び戻された。
コアが人の反応を伝える。
久方ぶりに開いた彼の目。そこに鮮烈に映ったもの。
認識した途端、失ったはずの彼の心が揺り動かされた。
レジーナは息を呑む。
クロードの目に映った人影。
コアルームの天井から落ちてきたのは、見間違いようもなく――
――守らねば。
(っ! な、に……?)
クロードの内に生まれた衝動がレジーナの胸を打つ。
長い時間の中で磨耗してしまったクロードの原点、その意志が蘇る。
彼が魔物との戦いに明け暮れたのは、疎まれ謗られようと騎士であり続けたのは、守りたかったからだ。人の命を、彼らの生活を。
自分と同じ思いをするものがもう二度と現れぬように。
クロードが鎖を断ち切る。向かった先は意識のないレジーナ。
レジーナを救った彼は、しかし、「すまない」と謝る。
(……なぜ、あなたが謝るの?)
レジーナは腹が立った。
既に枯れ果てたダンジョンの崩落。クロードはそれを自身の責と考えていた。
(あなたのせいじゃないでしょうっ!?)
何もかも、クロードのせいではなかった。
レジーナがこんな場所に跳ばされたのも、崩落が起きたことさえ。
なのに――
――守る。必ず、守ってみせる……
レジーナに覆いかぶさる彼の誓い。
思いの強さは、「声」の大きさとなる。
彼の声は大きすぎて――
(なんでっ!? あなたがそこまで……!?)
頭の中でグワングワンと響き渡る。
レジーナの意識が急速に浮上し始めた。
耳元で囁くほどの声。
「……この命に代えても」
「っ!?」
雷鳴。
内に響いたクロードの声に、レジーナは叩き起こされる。
レジーナの目に、覆い被さる獣のような巨体が映った。
髪も髭も伸び放題。薄汚れて、ゾッとするような臭気を放つ。
けれど、その獣はレジーナを圧し潰さぬよう、まるで宝物のように抱きしめていた。
――守る。
ただ一意に、誓いを繰り返しながら。
――必ず、守り抜く。
堪らず、レジーナは叫んだ。
「放しなさいっ!」
男の思いの強さ。
レジーナは恐慌を来たした。
誰からも、こんな感情を向けられたことがない。
だから、レジーナは叫んだ。
男のヴィジョンで見たはずの天井の崩落も、身を挺してくれた男の行動も、全て頭から抜け落ちていた。
「放してっ! 離れなさいよ!」
これ以上、男の声を聞きたくなかった。ひたむきに、自身を守ろうとする男の声など。
男がノソリと動く。
男は、レジーナが意識を取り戻したことにひどく安堵していた。
――良かった……
心からの安堵。
しかし直ぐに、男はレジーナの身体を案じ始めた。
――ちゃんと守れただろうか。怪我は、圧し潰しはしなかったか……
「いいから! さっさと離れて!」
三度目の叫び。
男が漸く身体を起こした。無言のまま、自身の背中に受けた瓦礫を押し退ける。
レジーナは上体を起こした。
「あ……」
周囲が見えて、自分の置かれた状況を思い出す。
コアルームの天井は完全に抜け落ち、上階から光が差していた。散らばる残骸が、床一面を覆いつくす。
レジーナの血の気が引いた。
これだけの瓦礫。男――クロードが庇ってくれなければ、間違いなく死んでいた。呆けていると、目の前に武骨な手が差し出される。
クロードの手だ。
しかし、レジーナは顔を背ける。
「……必要ないわ」
今の精神状態では、彼の手を取ることはできない。
レジーナは支えを断り、立ち上がる。しかし、立ち上がった途端にふらついた。瞬時に伸びてきた手が、難なくレジーナの身体を抱きとめる。
また、聞こえる。
――怯えないで欲しい。傷つけはしない。必ず……
「触らないでっ!」
咄嗟に、レジーナはクロードの手を振り払った。
沈黙の間。
しかし、彼は表情を変えない。ただ静かにレジーナを見下ろしていた。
レジーナはクロードを睨み上げる。長い前髪の隙間に覗く碧い瞳。レジーナの心臓は痛いくらいに鳴っている。抑えきれない熱が身を焦がす。
顔が真っ赤なことを、レジーナは自覚していた。
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