静かに始まった勝負だが、別に本で殴り合ったりするわけではないため、どうにもシュールな場面が続く。
一宮の隣には、禍々(まがまが)しいオーラをまとう桃太郎が、そして八橋の隣には、これまた禍々しいオーラを放つ北風と太陽が、宙に浮いていた。
これだけでも奇妙な光景なのに、なぜゆえにサウナでやり合わねばならないのか。
八橋
まぁ、そんなに緊張しなくていいからさ、とりあえず座らない?

一宮
(どの行動が八橋のセットしたストーリーを踏むか分からない。気をつけないと)

八橋
あー、大丈夫だって。座るって行為はさ、どんな物語でもある表現じゃん。

八橋
それに、私はなにも君を殺したいわけじゃない。

一宮
じゃあ、なんで俺に勝負を仕掛けてきた?

八橋
まぁ、色々と事情があるのよ。

八橋
この勝負、譲ってくれたら教えてあげるわ。

なぜ、自分が彼女に狙われたのか。それはどうやら、現時点では聞き出せそうになかった。
一宮
(見たところ、彼女は俺よりもゲームのことを知っている。下手したら、実戦経験があるのかもしれない)

一宮
(つまり、彼女にとって俺は素人で、あまり勝負のことも知らないカモだ)

一宮
(それを逆手にストーリーを仕掛けたけど、そこまでどうやって誘導すべきか)

八橋
ねぇ、その格好暑くない?
上着くらい脱いだら?

インナーにはキャミソールを着ていたようで、そのたわわな胸が、嫌でも視線に入る。
思わず目を逸らした一宮を見て、八橋はくすりと妖艶な笑みを漏らした。
八橋
ふふっ、どこ見てんの?

一宮
べ、別に……。

一宮はそう答えると、わざと八橋から離れた場所へと座った。
一宮
(北風と太陽の物語はシンプルすきるくらいだ)

一宮
(北風と太陽が、力比べをしようとする話)

一宮
(ある通りすがりの旅人のマントを脱がしたら勝ち……というルールで、北風と太陽が勝負をする)

一宮
(北風は風を吹かせて強引にマントを脱がそうとしたが、逆にマントが脱げまいと、旅人がマントをおさえてしまい失敗)

一宮
(次に太陽が、暖かい日差しで照り続ける。結果、旅人は暑くてマントを脱いでしまう)

一宮
(そして、八橋が選んだ勝負の場は、なぜかサウナ。暑くてたまったもんじゃないけど……)

一宮
(もし、八橋のストーリーが【上着を脱ぐ】だとしたしたら?)

一宮
(俺が上着を脱いでしまった時点で負けとなる)

一宮
(そのために、わざわざサウナに?)

一宮
(いや、でもそれは安直すぎるような気がする)

一宮
(とにかく、こちらから仕掛けるのはまだ早い。八橋の出方をもう少し伺ったほうがいいだろう)

八橋
ねぇ、そっち行ってもいい?

一宮
(その言葉には何の意図がある?)

一宮
(あいつは何を狙っているんだ?)

下はロングスカートなのであるが、ももが見えるくらいまで足を上げると、足を組む八橋。
八橋
ねぇ、あんたさ……こうやって見るといい男じゃん。

一宮
(……なるほど、色仕掛けで俺の上着を脱がそうってことか?)

一宮
(いや、でも引っかかる。それだったら、サウナの暑さだけでも充分だ。待っているだけで、俺が上着を脱ぐ可能性はあり得る)

八橋
殺すのは趣味じゃないし、素直に私に服従しない?

一宮
その服従ってことについて、少し話を聞かせて欲しいんだけど。

八橋
あら、まだ教えてもらってないの?

八橋
まぁ、絵本によって性格の違いみたいなのもあるみたいだし、伝えそびれたのかも。

八橋
分かった。
私が教えてあげるわ。

両腕で挟まれて強調された胸の谷間は、やはりわざとやっているとしか思えない。
八橋
この勝負に負けた人間と絵本は、相手の絵本に一時的に魂を捕縛されることになるの。

一宮
……絵本も?

八橋
そう、私達と絵本は一心同体。私達の死は絵本にとっての死に等しい。

八橋
勝ったほうの絵本は、負けた人間と絵本を捕食できるんだけど、あることを担保に、捕食せずにいることができるの。

八橋
捕縛状態を維持できるってこと。

八橋
その担保ってのは、勝った人間の願いをひとつだけ叶えること。

八橋
それがどんな無茶な願いであっても、負けたほうは応えなければならない。応えなければ、魂と絵本が捕食されることになるわ。

八橋
で、この、界隈じゃその願いを【一生服従】にすることがセオリーになってるの。

八橋
嫌なら死ぬしかないけど、死にたくないなら、勝ったほうに服従し続けなければならないってわけ。

一宮
それは、絶対に服従しなければならないってわけじゃないのか。

八橋
そういうこと。

八橋
例えば、私が【家のトイレをお掃除して欲しい】って願いをして、あなたがそれを叶えたら、魂と絵本の捕食は解除されるの。

八橋
まぁ、もったいないからそんなことはしないけどね。

一宮
例えばだけど、金持ちを相手に【資産の譲渡】を願えば、馬鹿みたいな金が手に入るとか――。

八橋
そう、欲望のままに扱うことができる。
だから、この本はある市場で馬鹿みたいな金額がついてるのよ。

八橋
下手をすれば、世の中さえひっくり返せる力を持っているからね。

八橋
それで、魂が捕食されてしまった人間が所持していた絵本は、どういうわけだか勝ったほうの所持物になるの。

八橋
それが狙いで、勝負を仕掛ける人間がいるくらいだからね。

八橋
まぁ、あんたは運がいいわ。

八橋
一生、性奴隷として飼ってあげようか?

一宮
(やっぱり、誘導されているような気がする)

一宮
(自然とそっち方面に持って行って、俺が自ら上着を脱ぐ流れに持って行くつもりだ)

八橋
ねぇ、なんか言ったらどう?

思考ばかりに忙しく、ほとんど八橋に返答していないのだから当然だ。
あまりにも反応が薄いからなのか、八橋は一宮の両肩を掴んでくる。
八橋
一回、試してみる?

そして、一宮の上着を脱がせようと、ボタンに手をかける八橋。
一宮
(……サウナという環境と、明らかに俺が上着を脱ぐように誘導しているとしか思えない言動。それなのに、あちらから上着を脱がせようとしてきた)

一宮
(もしかして違うのか……。八橋のセットしたストーリーは【上着を脱ぐ】じゃない?)

一宮
(だとしたら、なにをセットした?)

一宮
(俺はなにをしたら負けになる?)

一宮
(こうなったら、先にこっちのストーリーを踏ませるしかない)

一宮
(ちょっと強引になるかもしれないけど、仕掛ける!)
