コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
香りは濃く強くなっていく
甘い香りが少しずつ脳を浸水させていくのがわかる
このまま……私は…
………
再びあの香りのなかに引きずりこまれるのは時間の問題だろう
錆び付き始めている脳を無理やり働かせる
出られない部屋……
こういう状況は怪談や怖い話でしか聞いたことがない
しかし、話を聞いていて思うことがあった
空想の思いつきではあるが…
どうしようもないこの状況なら、やってみる価値はある
ゆっくりと扉に背を向け、後ろ手にドアを開く
私はこの怪異に決定的な"欠陥"をみつけていた
しっかりと自分の来た部屋を見据える
だいたい、ああいう怖い話の主人公は諦めるのが早すぎ、もしくは焦って同じことを何度も繰り返してしまうのが敗因だ
だから抜け出せない
即 バッドエンド行きだ
でも私は今現実にいて、その怪異と対峙している
冷静に対処すれば、あっちだって手出しできないはず
後ずさるかたちでドアを通り抜けていく
いまだ、視線の先にはあの部屋がある
同時に同じ部屋が存在するはずがないのだ
体が完全に扉の外へ出た
必ずどこかに抜け道がある
出てきた部屋をにらみながら、慎重に扉を閉めていく
ぱた と静かに扉が閉じられた
………出れ、た…?
と、扉に影が伸びているのを目が認識する
まだ寝癖の残る短い髪のシルエット-
………私だ
傾いた日が差して、扉に小さな影をつくっていた
やった…外に出れたんだ……!
思わずガッツポーズをとってしまう
カシャッ
………え?
聞き慣れた人工音に、はっとして振り返る
リサだった
片手のスマホは撮影モードになっているらしく、ライトが点いている
しかし、それよりも今の自分にとって問題なのは…
依然として自分がまだ店のなかにいることだった
なん で……
確かに私は自分の出た部屋をこの目で見た
さっきまで『ああいう怖い話は――』と豪語していたくせして、自らも抜けなくなってる
しかも、スマホのライトを日の光と勘違いして喜んでいた
私も相当な間抜けだったようだ
甘い香りが再び鼻を刺激する
理性の灯火が消えかけていた
考え続ける頭が…重い
時間切れだ……
そのまま私は意識を香りに飲み込まれた
カシャ カシャッ
志織
志織
志織
理彩
リサが意地悪な笑みを浮かべる
理彩
志織
理彩
理彩
理彩
志織
なんでだろう
そんなに眠かっただろうか
しかし何か思い出そうにも、記憶が曖昧になってしまっていた
理彩
志織
リサはくるりとかわしてスマホを掲げる
理彩
しばらく粘るも…
ぜいぜいと息を吐きながら、写真奪還は諦めた
理彩
志織
理彩
理彩
周りを見渡せば、確かに所々に貼られていた
しかしそれはどれも奇妙な内容のものばかりだった
『食事のとき 邪魔でしょうから、髪を整えて 服についた砂をお落としください』
理彩
志織
理彩
確かに 日本家屋にシャンデリアをぶら下げるという奇抜な内装からして、高級店には見えない
いや…逆にこういうのがレトロというものなのだろうか……
考え込んでいた私は砂を落としそびれてしまった
置かれていたブラシをリサが失くしてしまったのだ
確かに机に戻した、目を離したすきに消えていたと言っていたが…
"あの"リサのことだ
どうせどこかに放ってしまったんだろう
『靴はここでお脱ぎください』
名前・外見ともに 明らかな洋風料理店だったが、意外にも日本式のようだ
土足で歩き回っていたのに気づいて、リサと慌ててサンダルを脱いだ
『鉄砲・ペット(特に犬!)の持ち込みはお断りしております』
ペットはわかるけど、鉄砲…?
警察お断りってことかな…
理彩
志織
理彩
理彩
理彩
理彩
「私って天才!!」
短絡的すぎる友人にため息がもれる
私は無視して次の貼り紙へと向かった
『柑橘系の香水もお断り!!』
理彩
香水全般ダメなんじゃないだろうか…
わざわざ貼り紙にしてまで、ダメだと伝えようとしているのに、さっそくリサは鞄の香水を選び始めていた
可愛らしい小瓶に目が留まる
志織
透き通ったハートのガラスを手にとる
かくいう私も香水選びに参加している
理彩
理彩
志織
リサは苦い顔をする
理彩
クロとはリサの拾い猫だ
雨の日に段ボールという、いわば最高のタイミングで出会ってしまい、以後 ペット禁止のアパートでこっそり飼っているらしい
志織
志織
つうっと一筋 手首に液が流れる
志織
理彩
瓶には白い亀裂が走っていた
ヒビは上部にあったため、幸いにも今まで鞄の中で零れることはなかったみたいだ
代わりに私の手は みかんフレーバーになってしまったが…
蜜柑のすっきりとした香りとともに、いつか聞いた雑学が思い出される
理彩
理彩
リサは名残惜しそうに瓶を鞄に戻す
どんな話だったか思い出せないまま、次の貼り紙へと足を向けた
他にも色々ヘンテコな指示が書いてあったが、どれも相手の意図は不明
しかし、指示に従っていればよいという考えは頭から離れなかった
そして最後に、奥へと通じる扉に辿り着く
『料理はもうすぐできます』
『注文が多くて煩わしかったでしょう』
『5分とお待たせいたしません』
『これが最後の注文です』
『そこの壺に入っているクリームをよく肌に塗ってください』
見ればアンティークな壺が扉の横に置いてあった
志織
蓋を開けると中には真っ白なクリームが入っていた
私たちはうなずき合って、貼り紙の指示通りにすることにした
指で ひとすくい純白をとり、試しに ほっぺたに塗ってみる
ひんやりとしていて気持ちがいい
ひとしきり塗り終えたところで友人のほうを振り返る
志織
志織
理彩
彼女は ちろ と指につけたクリームを舐めていた
志織
理彩
理彩
志織
突然 口のなかに違和感が来た
気づけば リサの指が私の口に突っ込まれていた
志織
理彩
悪びれることもなく問いかけてくる
志織
確かにショートケーキのように甘い
何も言い返せないまま、何だか釈然としない気持ちで口に残ったクリームを味わう
ピロリン…
志織
理彩
見れば 間抜けな姿の私がスマホに送られてきていた
私がドアにもたれかかって――
ない……?
砂漠の上で眠ってる…?
訳がわからない
自分が自分でないような気がしてきて落ち着かない
私…何か忘れてる……
何を……忘れているんだろう
ふと顔を上げる
リサが扉を開けようとドアノブに手を伸ばしていた
突然 理性が目覚めた
今までのことがフラッシュバックする
ドア パラソル 看板……
ふわ とあの甘い香りがした
湧き上がった不安や恐怖が一斉に私の心に雪崩れ込む
志織
しかし何故か私の声は届かない
こんなにも近くにいるのに彼女は気づかない
吸い寄せられるようにリサはドアノブを回した
瞬間 闇が彼女を飲み込む
声ひとつ上げられなかった
静かな捕食
そして私も 闇に飲み込まれた
第三章 了