語り手
運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、
語り手
散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、
語り手
しきりに下馬評をやっていた。
語り手
山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、
語り手
その幹が斜めに山門の甍(いらか)を隠して、遠い青空まで伸びている。
語り手
松の緑と朱塗の門が互いに照り合ってみごとに見える。
語り手
その上松の位地が好い。
語り手
門の左の端を眼障にならないように、斜に切って行って、
語り手
上になるほど幅を広く屋根まで突出しているのが何となく古風である。
語り手
鎌倉時代とも思われる。
語り手
ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。
語り手
その中(うち)でも車夫が一番多い。
語り手
辻待をして退屈だから立っているに相違ない。
車夫A
大きなもんだなあ
車夫A
人間を拵えるよりもよっぽど骨が折れるだろう
語り手
と云っている。
語り手
そうかと思うと、
車夫B
へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。
車夫B
へえそうかね。
車夫B
私(わっし)ゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた
語り手
と云った男がある。
車夫C
どうも強そうですね。
車夫C
昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いって云いますぜ。
車夫C
何でも日本武尊(やまとだけのみこと)よりも強いんだってえからね
語り手
と話しかけた男もある。
語り手
この男は尻を端折って、帽子を被らずにいた。
語り手
よほど無教育な男と見える。
語り手
運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿(のみ)と槌(つち)を動かしている。
語り手
いっこう振り向きもしない。
語り手
高い所に乗って、仁王の顔の辺をしきりに彫り抜いて行く。
語り手
運慶は頭に小さい烏帽子のようなものを乗せて、
語り手
素袍(すおう)だか何だかわからない大きな袖を背中で括っている。
語り手
その様子がいかにも古くさい。
語り手
わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。
語り手
自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。
語り手
どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
語り手
しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で
語り手
一生懸命に彫っている。
語り手
仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
若い男
さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。
若い男
天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみと云う態度だ。
若い男
天晴だ
語り手
と云って賞め出した。
語り手
自分はこの言葉を面白いと思った。
語り手
それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
若い男
あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している
語り手
と云った。
語り手
運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、
語り手
鑿の歯を竪に返すや否や斜(は)すに、上から槌を打ち下した。
語り手
堅い木を一と刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、
語り手
小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。
語り手
その刀(とう)の入れ方がいかにも無遠慮であった。
語り手
そうして少しも疑念を挾んでおらんように見えた。
語り手
よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉(まみえ)や鼻ができるものだな
語り手
と自分はあんまり感心したから独言のように言った。
語り手
するとさっきの若い男が、
若い男
なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。
若い男
あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。
若い男
まるで土の中から石を掘り出すようなものだから
若い男
けっして間違うはずはない
語り手
と云った。
語り手
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。
語り手
はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。
語り手
それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから
語り手
見物をやめてさっそく家(うち)へ帰った。
語り手
道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、
語り手
せんだっての暴風(あらし)で倒れた樫(かし)を、薪にするつもりで、
語り手
木挽(こびき)に挽(ひ)かせた手頃な奴が、たくさん積んであった。
語り手
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、
語り手
不幸にして、仁王は見当らなかった。
語り手
その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。
語り手
三番目のにも仁王はいなかった。
語り手
自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、
語り手
どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。
語り手
ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。
語り手
それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。
終り






