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気がつくと、僕は三階のトイレの鏡の前に立っていた。鏡の中では、太郎さんが僕の後ろに立っていて、ネットリと笑いながら手招きしている。僕の体は、手招きにつられて勝手に動いて、前に出た。鏡が、急に大きくなったような気がした。僕はそのまま、吸い込まれそうになった。あわてて、両手で鏡の枠を掴んだが、太郎さんが手招きするたびに、ぐいぐい引きずりこまれそうになる。鏡の中の世界______そこは上も下も、右も左も灰色の靄がかかり、冷たかった。その中で、太郎さんが笑っている。僕は必死に鏡の枠を掴みながら、叫んだ。
コウキ
冷たい風のような息がかかった。
太郎さん
コウキ
僕が、嫌だ、と言った途端、急に僕を引っ張る力が弱くなった。太郎さんは、目をギラギラ光らせて、僕をにらんだ。
太郎さん
声が、突然低くなったと思うと、太郎さんの口がカッとさけ、目は釣り上がって赤く光った。僕は必死で叫んだ。
コウキ
不思議なことに、嫌だ、とゆうたびに、太郎さんは小さくなった。どんどん小さく、小さくなり、声も遠くなっていく。僕は言った。
コウキ
小さくなった太郎さんが、驚いたような顔をした______と思うと、泡がプチっと弾けるように消えてしまった。気がつくと、僕はぼんやりと、鏡の前に立っていた。後ろで個室のドアが、キイー、バタン、と風に揺れていた。勇也は、奇跡的な回復をして、一週間で退院した。頭を白い包帯で巻いた勇也は、僕を見ると言った。
勇也
他のみんなも、ニヤニヤして僕を見ている。僕は、奥歯を噛み締めた。拳を握って、低い声で言った。
コウキ
勇也
コウキ
裕也は驚いた顔をした。大きな体が、シューっとしぼんで、小さくなったような気がした。ちょうどあの時の太郎さんのように。僕は、きっぱりと言った。
コウキ
勇也はぽかんとして、僕を見た。次に、ほっぺたを赤くして、恥ずかしそうに目を伏せた。僕は、勇也の荷物を奪うように取ると、歩き出した。頭をあげて、背を伸ばして。見上げると、三階のトイレの窓があった。そこから僕らを見ている、誰かの影が見えた。