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#コメディ時々暗闇
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#恋愛
ばたっちゅ
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鐘の音が、夜を裂いていた。
港町ルーメルに響く警鐘。
それは火事でも、 嵐でもない。
もっと恐ろしい出来事を告げる音だった。
「禁忌が破られた。」
「逃亡者を追え。」
古い盟約の時代から、 その鐘だけは変わらない。
人々は家の扉を閉め、 窓に鍵をかける。
夜道を歩く者はいなくなる。
月明かりの下を走るのは、 狩る者と、 狩られる者だけだった。
「こっちだ!」
ルシアンがエレナの手を引く。
石畳を蹴り、 細い路地を駆け抜ける。
背後から羽音がした。
追撃隊。
屋根の上を、 黒い影が並走している。
「止まれ!」
鋭い声。
次の瞬間。
路地の先へ剣が突き刺さった。
石畳が砕ける。
エレナが息を呑む。
「あ……!」
「走れ!」
ルシアンは彼女を庇うように前へ出る。
また剣が飛ぶ。
今度は彼が腕で弾いた。
火花が散る。
その一瞬を利用して、 二人は角を曲がった。
「こっち!」
エレナが叫ぶ。
幼い頃から知っている道だった。
狭い階段。
市場の裏。
古い倉庫。
人一人がやっと通れる抜け道。
追撃隊の大柄な身体では入りにくい。
「急いで!」
二人は飛び込んだ。
その直後。
黒い影が頭上を通り過ぎる。
追撃隊は気づいていない。
エレナは壁にもたれ、 大きく息を吐いた。
「はぁ……はぁ……。」
ルシアンも肩で息をしていた。
そして。
小さく笑う。
「助かった。」
エレナは思わず言った。
「笑ってる場合?」
「少しだけ。」
「追われてるのに?」
「だから。」
ルシアンは苦笑した。
「こんな風に誰かと逃げるなんて、 考えたこともなかった。」
エレナは黙った。
さっきの言葉を思い出す。
――俺はヴァンパイアなんだ。
まだ信じきれていない。
けれど。
あの赤い瞳も。
月光に光った牙も。
夢ではなかった。
「……本当に。」
エレナが小さく聞く。
「本当に、ヴァンパイアなの?」
ルシアンは少しだけ目を伏せた。
「ああ。」
「……人を襲うの?」
「必要なら。」
エレナの肩が震えた。
ルシアンは視線を逸らす。
「怖いなら。」
静かな声だった。
「今のうちに離れろ。」
エレナは驚いた。
「え?」
「この先は、もっと危ない。」
ルシアンは壁にもたれた。
「追撃隊は諦めない。」
「俺を捕まえるまで。」
「いや。」
少し間を置いて。
「おまえを殺すまで。」
エレナの息が止まった。
「どうして?」
「掟を知った人間は、生かされない。」
夜風が吹いた。
遠くで鐘が鳴る。
「だから。」
ルシアンは笑った。
「さっき言っただろ。」
「まだ戻れるって。」
エレナは足元を見る。
家へ帰れば。
両親がいる。
幼馴染もいる。
いつもの日常がある。
朝になれば、 市場が開いて。
港には船が来て。
何事もなかったように、 今日が終わる。
……本当に?
エレナは思った。
本当に戻れるのだろうか。
ルシアンを置いて。
一人で。
さっき。
彼が剣から庇ってくれたことを。
震えながら、 「走れ」と叫んだことを。
忘れて。
普通に生きていけるのだろうか。
「……ねえ。」
「なんだ。」
「もし。」
エレナはゆっくり聞いた。
「私が帰ったら。」
ルシアンは黙る。
「あなたは?」
少しだけ笑った。
「捕まる。」
「逃げないの?」
「逃げても意味がない。」
「どうして!」
思わず声が大きくなった。
「生きて!」
ルシアンが目を見開く。
エレナは自分でも驚いた。
どうして。
こんなことを言ったのか。
出会ったばかりなのに。
名前しか知らないのに。
「……生きてほしい。」
ルシアンは何も言わなかった。
やがて。
静かに口を開く。
「困る。」
「え?」
「そんなこと言われたら。」
少しだけ困ったように笑う。
「逃げたくなる。」
その時。
頭上で瓦が割れた。
「いたぞ!」
追撃隊。
見つかった。
ルシアンが立ち上がる。
「行くぞ!」
二人は再び走った。
市場を抜け。
広場を抜け。
橋を渡る。
追撃隊は容赦なく迫る。
一人。
また一人。
前へ回り込む。
「ルシアン!」
エレナが叫ぶ。
前方にも敵。
後方にも敵。
逃げ道がない。
セラスが歩いてきた。
「終わりだ。」
静かな声だった。
「もう逃げられない。」
ルシアンはエレナを背に庇う。
「そうかもな。」
「投降しろ。」
「断る。」
「人間を渡せ。」
「断る。」
セラスは目を閉じた。
「変わったな。」
「昔のおまえなら。」
ルシアンは笑った。
「俺もそう思う。」
セラスは剣を向ける。
「ルシアン。」
静かな声だった。
「その手を離せ。」
エレナの指先を、 ルシアンの手が強く握る。
「今なら、まだ間に合う。」
「その人間を置いて来い。」
「そして――帰ってこい。」
夜風が吹いた。
長い沈黙。
ルシアンは、 一度だけエレナを見た。
震えるその手を、 もう一度握り直す。
そして、小さく笑った。
「……悪い。」
セラスは黙ったまま、 答えを待っている。
「帰る場所なんて。」
ルシアンは静かに言う。
「もう、なくなった。」
セラスが静かに告げた。
「……そうか。」
剣が構えられる。
「なら。」
追撃隊が動いた。
その瞬間。
ルシアンはエレナを抱き寄せた。
「掴まって!」
「え?」
次の瞬間。
地面を蹴る。
人間ではあり得ない速さ。
風が視界を奪う。
追撃隊の包囲を、 真正面から突き破った。
「逃がすな!」
怒号が響く。
だが。
ルシアンは止まらない。
街の門を越え。
石橋を渡り。
森へ飛び込む。
木々の間を駆け抜ける。
月明かりだけが、 二人を照らしていた。
やがて。
十分ほど走り続けた頃。
ルシアンは足を止めた。
森の奥。
古い祠の跡。
誰もいない。
静寂。
エレナは膝をついた。
「はぁ……。」
ルシアンも息を整える。
そして。
空を見上げた。
港町の方角。
まだ鐘が鳴っている。
「……エレナ。」
「うん。」
「本当に。」
ルシアンは静かに言った。
「もう戻れない。」
エレナも空を見た。
あの街には。
家族がいる。
友人がいる。
帰りを待つ人がいる。
けれど。
自分は今。
森の中にいる。
ヴァンパイアと一緒に。
追われる身として。
涙が出そうになった。
けれど。
泣かなかった。
代わりに。
ルシアンの手を握った。
「……知ってる。」
ルシアンが驚く。
エレナは小さく笑った。
「でも。」
「後悔は、してない。」
夜風が吹く。
遠くで狼が鳴いた。
ルシアンは、 ゆっくりとその手を握り返した。
「……そうか。」
短い言葉だった。
けれど。
その手は、 もう離れなかった。
二人の背後では、 街の灯が小さく揺れている。
前には、 果ての見えない夜の森。
戻る道は消えた。
振り返る場所もない。
それでも。
二人は並んで歩き出す。
夜の向こうへ。
誰にも許されない未来へ。
二人だけの、 逃避行の始まりだった。
――