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支店長、素晴らしい👍
職があるだけまだええやないか。町工場。上等やないか。おっ、せやせや。ちょうどええのおる。検査部のフジワラっちゅうねんけどな。君にぴったりな尻軽やで。ガハガハ。
正輝、失ったものは大きかったね。 でも、ちゃんと謝罪して許してもらえて良かったね。 実家に帰ってお父さんの工場でもしっかり働いて幸せを掴んで欲しい。 間違いは誰にでもあるけれど、それを真摯に受け止めて行動するのは難しい。 頑張って!!
三日間の検査は無事終わった。
今、検査部の行員は会議室で帰り支度をしている。
その時ちょうど外回りを終えて優弥が戻って来た。
優弥は得意先課の課長に用があったのでそのまま階段を上り始める。すると2階から京香が下りてきた。
「お帰りさない」
「お疲れ様です。検査はもう終わりましたか?」
「はい、今帰り支度をしています。黒崎さん、少しいいですか?」
「何でしょう?」
優弥は少し警戒気味だ。
「私黒崎さんの事が好きなんです、本部にいた時からずっと。だから今日私と一緒にお食事をしていただけませんか? 私、あなたに思いを伝えたいんです」
京香は優弥の少し上の階段から豊満なバスト突き出すようにして話した。
下から見上げるぽってりとした京香の唇はグロスで艶々と輝き、半開きの唇は誘うような色香を漂わせている。
普通だったらその色気にあっという間に惹き込まれてしまうだろう。しかし優弥には通用しない。
(ベッドの杏樹の方がよっぽど色っぽいな……それに杏樹はTPOをわきまえて職場ではこんな事はしない。それが余計にそそるんだが……)
優弥はフッと笑うと京香に言った。
「申し訳ないのですがご期待には添えませんね」
「どうしてですか? 一晩くらい付き合ってくれてもいいでしょう? 先輩後輩の仲なんだし」
京香は身体をくねらせながら階段を数段降りると優弥の真正面に立ちはだかる。
その立ち居振る舞いは堂々としていた。余程自分に自信があるのだろう。そして京香は挑むような視線で優弥を見つめる。
(はっきり言った方がよさそうだな……)
優弥は京香に自分には決まった人がいると伝えようと口を開く。その時2階から支店長の葛西が下りてきた。
「藤原さん、それはぁ駄目だなぁ。あなた検査部でしょう? だったら行内でそれはいかんっ!」
「支店長……」
優弥は驚く。足音は聞こえなかったので支店長は少し前からそこで二人の会話を聞いていたのだろう。
「ハハッ、悪いけど全部聞かせてもらったよ。それにしても今の検査部は一体どうなっているんだ? 支店には検査じゃなくて男漁りに来ているのか?」
葛西は今度は厳しい眼差しで京香を見つめた。その強い視線にギョッとしながら京香は答える。
「いっ、いえ……」
「藤原さん、検査中はさすがに私も控えていましたが今は検査が終了したのではっきり言わせてもらいますよ。あなたの黒崎君に対する付き纏いは酷過ぎる。他の行員からも苦情が上がっていましてね…ただ検査も今日で終わりだから今回は見逃そうかなぁと思っていたんですが今の君を見て考えを改めました。すぐに本部に報告します。いいですか? 検査部のあなた方の任務は支店がお客様の為に誠意を持ってきちんと運営されているかどうかを調べる事なんですよ。それなのにその検査する側の人間がこんなぁ事をやっていてはいかんですよ。もうちょっと真面目にやってもらわないと」
京香は青ざめていた。本部に報告すると聞いた後は額に脂汗も滲んていた。
「それとね、折角だからもう一つ教えてあげましょうか? 我が支店のエース黒崎君にはね、もう決まった人がいるんですよ。 だからあなたの出る幕なんてこれっぽっちもないんです。なんせ二人はラブラブチュッチュですからねぇ。ハッハッハッ」
葛西の追い打ちのような言葉を聞いて京香はガックリと肩を落とした。そして蚊の鳴くような声で葛西に謝罪をする。
「も、申し訳ありませんでしたっ」
そして京香は深く一礼をすると、逃げるように2階の会議室へ戻って行った。
京香がいなくなると優弥がホッと息を吐いてから言った。
「支店長助かりました、ありがとうございます」
「いやいや、君もモテて大変だねぇ。まるで私の若い頃を見ているようだよ」
葛西は優弥の肩をポンと叩くとガハガハと笑いながら階段を下りて行った。
その後検査部の6名は支店を後にした。緊張から解放された行員達はホッとして皆笑顔になる。
2階の得意先課では課長が、
「よーしっ、今日は飲みに行くぞーっ」
その掛け声と共に部下達は一斉に帰り支度を始める。
一方、営業フロアにいた女子行員達は仕事の後片付けを終えてからもまだのんびりとしていた。
その理由は先ほど支店長の葛西からケーキの差し入れがあったからだ。
女子行員達は椅子に座って嬉しそうにモグモグとケーキを食べていた。杏樹と美奈子も缶コーヒーを飲みながらケーキを頬張っている。
「あー、甘い物が染み入るー」
「ほんと、検査の後だとなおさらですね」
「うん、でも終わって良かったね。評価もなんか良さそうだし?」
「前回の検査の時は色々言われたけど今回はスルーでしたもんね」
「今回はみんなで一致団結したって感じだよね」
「ほんとそう思います」
杏樹は心からそう思っていた。これも優弥の尽力のお陰だ。
そして銀行を出た杏樹が帰りの電車に乗っていると優弥からメッセージが届いた。
【検査お疲れさん! 今夜は得意先課の飲み会に少し顔を出してから帰るよ。その後行ってもいい?】
メッセージを見て嬉しくなる。杏樹も優弥に会いたくて仕方がなかった。
【大丈夫です】
【OK。じゃあ後で】
【はーい】
そして駅に着いた杏樹は駅前のスーパーへ寄った。
もし優弥がお酒を飲みたいと言ったらつまみがいるだろう。杏樹は少し食材を買ってから家路についた。
マンションまでの道のりを歩いていると突然声が聞こえた。
「杏樹!」
びっくりして振り向くとそこには正輝がいた。
「!」
正輝はジーンズ姿のカジュアルな服装をしていた。
何も言えずに立ち尽くす杏樹の元へ正輝が近付いて来る。
「突然ごめん……でも田舎に帰る前にちゃんと謝っておこうと思って」
「……田舎に帰るの?」
「うん。実家に帰っておやじの町工場を継ぐ事にしたよ」
「そう…なんだ……」
正輝の実家は四国の小さな町にあり、正輝の父親はそこで町工場を経営していた。
「あの時は本当にごめん。色々上手くいかなくなってなんか変になってたんだ…」
正輝はそう言って深く頭を下げる。
そんな正輝の姿を道行く人達がチラチラと見ていた。
「う、うん……もういいから頭を上げて」
別れたとはいえ以前好きだった男性のみじめな姿は見たくない。
「うん……でも本当にごめん、悪かったと思ってるよ」
「もういいわ。わざわざ来てくれてありがとう」
「俺、今になって気付いたんだ。俺は杏樹と一緒にいる時だけは心が穏やかだったんだなって。自分から振っておいてこんな事を言うのも変だけど、杏樹と一緒にいる時だけは精神が安定していたような気がする。今頃気付くなんて馬鹿だよな。それに今更そんな事を言ってももう元には戻れないのにね。でもそれだけは伝えておこうと思って」
その時杏樹の目が潤んでくる。しかし涙はこぼれない。
(失ってから気付いても遅いんだよ。常に今目の前にある幸せを大切にしないと)
杏樹は心の中で呟いた。そして一度深呼吸をすると穏やかに言った。
「うん、わかった。四国に帰っても元気でね」
「ありがとう。それにしても杏樹は強くなったよな。きっと大事にされてるんだね」
「そうよ。今凄く大事にされてるわ」
「そっか。よっぽどいい男なんだろうな?」
「無茶苦茶いい男よ」
「チェッ、元彼にのろけるなよ」
「フフッ、仕返しくらいさせてよ」
そこで二人は声を出して笑う。
「じゃ、杏樹、幸せにな」
「うん、正輝さんも」
そこで二人はもう一度微笑みを交わすと反対方向へ歩き始めた。
正輝と付き合っていた頃の杏樹は別れ際必ず一度は振り返っていた。しかし今日はもう振り返らない。
杏樹は背筋をスッと伸ばすと一度も後ろを振り返らずにまっすぐ前に進んで行った。
一方、正輝は立ち止まって杏樹の方を振り返っていた。そして真っ直ぐに進んで行く杏樹の後ろ姿を見つめている。
その時の正輝は少し淋しそうな表情を浮かべていた。