テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
部屋の時計が、妙にゆっくりと針を進めていた。
窓の外で蝉が鳴いている。まるで誰かの喉を焼くように、苦しげに。
――今日の相談者は、少し風変わりだった。初めて扉を開けた瞬間から、彼女は謝っていた。
「ごめんなさい、私なんかが……来て……」
遥は顔を上げる。彼の瞳は、痛みを見慣れた色をしている。けれど、見捨てることはなかった。
「いいよ。座れば?」
少女はおそるおそる椅子に腰を下ろした。制服の袖が長すぎる。手首を隠すためだろう。
「――私、よく人に言われるんです。『もっと自分を大事にしなよ』って。でも、自分が大事だった記憶がないから、どうしたらいいのか、わからなくて」
遥は頷いた。すぐには言葉を返さない。その沈黙に、少女は焦ったように言葉を続ける。
「たとえば、誰かにひどいこと言われても……ああ、そっか、私だから仕方ないって。何か失敗しても、ああ、そうだよね、私だもんって……」
口元が引きつる。「泣く価値すらない」と、自分に言い聞かせているような笑みだった。
「いつからそうなんだ」
遥の声は低く静かだった。責めも、なだめもしない。ただ、寄り添うように。
「……小学校。親に、『お前は失敗作』って言われたのが最初かも」
沈黙。
「それ、今でも信じてる?」
「……はい。だって……証拠、いっぱいあるから」
遥は目を伏せた。
「そういうのってさ。言葉じゃなくて、証拠で残るんだよな。傷とか、記憶とか、逃げたかったのに逃げられなかった日とか」
少女は、小さく目を見開いた。
――あ、この人も知ってるんだ。
そんな表情だった。
「じゃあ……遥くんは、逃げた?」
問われて、遥は少しだけ笑った。
「逃げたつもりだった。でも、逃げ場所ってそう簡単にはないよな」
「うん」
「だから俺は、ここにこうしてるんだと思う」
相談室という名の小さな部屋。誰にも言えない声が、少しずつ置かれていく場所。
「今日ここに来たことは……逃げたってことでいい?」
少女は黙って頷いた。涙の代わりに、ただ静かに笑った。
遥は、黙ってうなずき返した。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!