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まだ私が高校生になったばかりの頃。当時住んでいた本家は1階にも2階にも太い霊道が通っていて、視える友人達は家には来たがらない程だった。
中でも異様な空気を放っている場所が幾つかある。仏間、人形を飾っている食器棚、私の遊び部屋、そして風呂場。それらの場所は、霊道の流れで入って来た霊体達も何故か避けて通って行く。
今回はその中でも3番目に酷かった『風呂場』での話だが、この話を直に聞いた友人の家でも同じ事が起きたと後に苦情をもらった為、読み手の方々にはもし何か起きても自己責任で読んで頂きたい。
毎日入る温かいお風呂は大好きだったが、私は幼少期から本家の風呂場は怖くて正直1人で入るのは嫌だった。
まず髪の毛を洗っていると、自分のではない髪の毛を必ず毎回触ってしまう。天井から長い髪の毛がゆっくり垂れてきて、それが自分の髪の毛と混ざるのだ。泡が入らないよう目を閉じていても、感触が違うからすぐわかる。ゴワゴワとした異質な長い毛を指で梳く感覚は、凄く不快感のあるものだった。そして上を向いて目を開ければ、逆さまの女の顔が目と鼻の先にある。最初こそ怖かったが、いつから居たのかも分からないほど古株な霊なので、毎日の日課だと慣れてしまう。
湯を沸かして湯船に入ればパーマ頭の若い男が真後ろに出てきて、冷たい息を吐いて何かをボソボソと呟いてくる。日本語ではなく、おそらく外国語だろう。それも冬場の日課だと慣れてしまい、背中が寒くて不快ではあるもののそれ以上の悪さをする訳でもないので気付かぬフリをしていた。
きっとその2体は肉眼ではっきりと常に視えていたので、かなり強い霊体だったのだと思う。故に他の雑多が風呂場を避けて通るのだと私は勝手に思っていたのだが。ある日を境にその2体は全く強くなかったのだと知る事になる。
その日は部活帰りでクタクタになり、帰ってすぐにリュックを投げ捨て急いでトイレに入ろうとした。が、洗面所のドアを開けた瞬間 突然の金縛りに遭い、不本意にも動けなくなった。
動かせるのは目だけで、暗がりの洗面所から風呂場のドアが全開になっているのが見えた。洗面所に続く廊下の電気が点いていたせいで風呂場の中まで光が届き、中が丸見え状態だ。
あまり見たくはなかったが、何かの気配を無自覚に察したのか自然と風呂場の鏡に目が止まった。誰もいない風呂場の鏡に、真っ白な能面のような顔が鏡の内側から貼り付いていた。細く吊り上がった目が獲物を探すようにギョロギョロと動き、ふと天井を見上げると小さな口の口角が上がった。
次の瞬間、真っ白な手が2本顔の横から飛び出し、勢いよく「ダンッ!」と鏡を内側から叩いた。それを合図にいつも天井から髪を垂らしている女と、浴槽に現れる男の霊が血相を変えて姿を消した。本気で怯えた顔が一瞬だけ視えて、それ程に鏡の中の能面が異様な霊なのだと感じ、途端に恐怖が襲って来た。
男女の霊体が逃げるように姿を消した後、能面顔が見るからに残念そうな顔付きになり、再び目を動かす。
嫌な予感が的中し、能面顔の目がこちらを見た。私は視線を若干外していたものの、視界には入っていたので能面顔が一瞬で笑顔になったのが分かった。得体の知れない顔が急に満面の笑みを浮かべているのは、かなりの恐怖だ。
能面顔は笑顔になった直後、「ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!」と内側から鏡を物凄い勢いで叩き始めた。私はびっくりして漏らしそうになりつつも、金縛りのせいで動けない。でもどうせ内側から叩いているだけだ、流石に霊体だもの、出ては来な………いものだと、安易に考えていた私が馬鹿だった。
連続で鏡を叩き続けた手は、何度目かの「ダンッ!」の後、バリンッ!!!とけたたましい音を立てて鏡を割って出てきたのだ。
思考と共に心臓も止まったかと思った。
妙に長い真っ白な陶器のような手が鏡を割って風呂場の椅子に手をかけ、能面顔が鏡からぬぅっと出て来た。髪はなく、まるで作りかけの球体人形の頭部のような能面は笑顔のまま、長い手を使ってズルリと這い出て来る。散らばった鏡の破片など気にする様子もなく、そのまま全身が顕になった。胴体も異様に長く、足はなかった。蛇の尻尾のような形状でそのままドロリと鏡から出た後、両腕で床を弾くように飛び上がり、こちらに向かって飛びかかって来た。
その瞬間 背後でパン!と手を叩くような音が鳴り、それと同時に私の金縛りが解けて、咄嗟に洗面所のドアを勢いよく閉めれば、ドア越しに能面顔がぶつかった鈍い音が響いた。人の霊とは思えない異形との遭遇はこの時人生で2度目で、とても生きた心地がしなかった。
尻もちをついた姿勢でドアを見上げれば、シャワシャワと形容し難い複数の囁き声がドア越しに聞こえ、何となく聞いてはいけない声音だと直感で感知したが、腰が抜けて動けない。すると生暖かいようなそれでいて冷たいような変わった空気がふわりと耳を塞いだ。人の手のような感触だった。不思議と耳栓をした時みたいに音が遮断され、自分の心拍だけが響く。次第に心拍も落ち着き、徐々に冷静になれば後ろの存在が気になり始める。振り向こうとするが頭がその位置から全く動かず、男なのか女なのか分からない声ではっきりと「まだ」と聞こえた。
私は幼少期から今に至るまで複数の霊体が守護として憑いているが、その中の誰のものでもない声音だった。不思議と背後の気配に恐怖感は一切なく、そのまま黙ってドアを見上げていた。
しばらくして、階段を駆け上がる音が微かに聞こえ、背後の気配がふっと消えた。いつの間にか目の前のドア越しの囁き声も気配も消えていて、階段を駆け上がって来た母と目が合った。
閉め切ったドアの前で尻もちをついている私を見下ろして、母は溜息混じりに「あんたこんな所で何してんの」と呟いた。私の本家は1階で自営業を営んでいて、母はその時1階にいたようだ。2階で突然何か砕けたような大きな音がして、皿でも割ったのかと驚いて様子を見に来たらしい。
私は信じてもらえないのを覚悟で風呂場の事を伝えると、怖がりな母は視線をドアに向けて身震いしながら「ちょっとやめてよ~」と言っていたがふと真顔になり、再度私の顔を見て「今の本当?あのね、兄さんが前に言ってたのよ。『風呂場の鏡に白い顔がいる』って」と切り出した。
私の本家には、祖父母と母、私からする叔母と叔父も住んでいて、叔父だけは皆と不仲で1階に別の店を持っていたので仕事も寝るのも1階で、キッチンと風呂だけを2階でサッと済ますのが日課となっていた。そして唯一私と同様に叔父だけは霊感があるようで、よく視えていたそうだ。ただ視えるだけで怖がりもしない性格の為、逆に母や祖父母に心霊話をしては怖がらせてふざけていたので、『風呂場の鏡』の件もどうせ冗談だろうと流していたらしい。
「兄さんが『あ~これはいつか割って出てくるぞ~』とか言ってたんだけど、それ本当に居たって事……?」と母は青ざめ、やだ怖い!とドアを開けるのを躊躇い「ちょっとあんた開けてみてよ」と私に開けるよう促した。
ドアの向こうに気配がないのを確認してから恐る恐る開けると、廊下の電気で風呂場が照らされる。砕け散った鏡の破片が差し込む電気の光に煌めいて、不思議と綺麗な光景だった。隣で母が「えーっ!?本当に割れてる!やだぁ怖くてお風呂入れないしょー!」とかなんとか騒いでいたのを聞き付けて、1階から祖母もやって来た。祖母は私と割れた鏡を見るなり「あんたちょっとさぁ……イラついたからって鏡割る事ないべさ~……」と嫌そうな顔をした。青ざめる母を他所に、頭ごなしに決め付けて怒り出す祖母と喧嘩し、心霊など全く信じない祖母は黙々と割れた鏡の破片を片付け始めた。
その晩、深夜の1時を回った頃。トイレに起きて洗面所へ向かうとリビングの電気が点いていて、珍しく母と祖父母が小声で話していた。洗面所を経由するとリビングの声も聞こえる為そっと洗面所から聞き耳を立てていると、途中からなので全ては聞けなかったが、どうも話題は『風呂場の鏡』についてのようだった。
祖母「いや~……鏡は置かん方がいいね」祖父「……『アレ』が出てくるわけないだろが」母「でも雪も兄さんも視てるって言ってる訳だから……」
と、何やら不穏な雰囲気で話し込んではいたものの、かなり小声の為詳細は聞き取れず思い切って「あれ?みんな起きてるの珍しいね!何の話?」と割り込むと、3人は驚いた顔をして口を揃えて「何でもない」と言い、どこかよそよそしい雰囲気で母は立ち上がり使っていたコップをシンクに下げて洗い物を始め、祖父は黙って酒をあおり、祖母は「さてそろそろ寝るわ~」と寝室へ行ってしまった。洗い物をしている母に再度「何の話をしてたの?」と聞くも、母は相変わらず話す気はないようで「何でもないのよ、あんたが見た白い顔の話をしてただけ。鏡割れちゃったでしょ、新しいの買うかどうかで話し合ってたの」と何事もないように振る舞う。祖父が言っていた『アレ』とは何かと聞くが、母は「さぁね、わたしも分からないわ~」と笑い飛ばす。
……本家の人達は、昔からこういう所がある。結局何度聞いても肝心な所は誰も教えてくれないまま、叔父でさえ「あの顔はお前が生まれる前からあったぞ~」くらいの事しか言わず、この件は幕を下ろしたのだった。
だがあれ以来、10年以上経った現在も本家の風呂場には鏡がない。暗黙の了解で誰も取り付けていないそうだ。何故か黒く焦げたような鏡の跡だけが今も残っていて、相変わらず不思議と霊体達も風呂場には近寄らない。一体あれは何だったのか、今でも奇妙な体験だった。
成人してからは本家で風呂場を借りる事もない為、あの一件の後本家の風呂場がどんな状態なのか分からないが、私の娘が時々本家に遊びに行く時は風呂場を異様に怖がっている。肌に刺さるような視線を感じて怖いそうで、祖父母にお泊まりにおいで、お風呂一緒に入ろう!と誘われても未だに断り続けている。やはりまだ、あの能面顔は消えていないのかもしれない。
そしてあの時私の耳を塞いだ気配も、未だに謎である。