テラーノベル
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第13算話 瞬間の光
その日、坂の町は妙に澄んでいた。
風は強くない。
用水路の音もいつも通り細い。
看板の紐も、店先の袋も、大きくは揺れていない。
なのに、何かが来る前の静けさだけが、先に町へ置かれていた。
ローリエは駄菓子屋の戸を開けた瞬間、それに気づいた。
甘い粉のにおい。
紙箱の乾いたにおい。
缶のふたの少し鉄鋼っぽい気配。
いつもの店の中だ。
けれど今日は、その真ん中に、細い線みたいな緊張が一本通っていた。
レジの前に、ひとり立っている。
知らない顔だった。
姿勢がやけに整っている。
壁にもたれもしない。
肩も流さない。
立っているだけなのに、もうそこが終点みたいに見える。
おばあちゃんがレジの奥から言う。
「ルクスじゃよ」
その名前が、店の木の壁へ薄く当たった。
ルクスは振り向いた。
動きに迷いがない。
速いわけではないのに、途中がひとつも余らない。
その目がローリエへ向く。
まっすぐだった。
まっすぐなのに、押しつけがましくない。
ただ、見た瞬間に、こちらの余計な考えだけを先に削ってくるような目だった。
「ローリエ」
ルクスが言う。
問いでも確認でもなく、置かれた名前の言い方だった。
「はい」
返した声が、少しだけ浅くなる。
たったそれだけのやりとりなのに、自分の呼吸が相手より遅いのが分かる。
ルクスはローリエのかばんを見た。
次に、そこへ収まっているそろばんのふくらみを見た。
最後に、またローリエの目へ戻る。
「聞いてる」
その一言だけ。
何を、とは言わない。
でも、たぶん全部だった。
速さに押されたことも、重さに沈んだことも、読めない形に崩されたことも。
短い髪の子と結び目のゆるい髪の子が、いつのまにか戸の外でじっとしている。
今日は声を出さない。
ふたりとも、店の中の空気が少し違うことだけは分かっている顔だった。
ルクスがそろばんを取り出す。
木枠は細く、珠の並びも静かだ。
飾り気がない。
それなのに、持ち上げた瞬間だけ、その静けさが逆に鋭くなる。
「やる?」
言い方は軽くない。
軽くないのに、そこに威圧はない。
逃げ道をふさがない代わりに、断った時の自分だけをはっきり見せてくる言い方だった。
ローリエは頷いた。
外へ出る。
石段の脇。
用水路の細い音。
短い草。
見慣れた場所。
見慣れているはずなのに、今日は全部の輪郭が少しだけ細い。
#第3回テノコン
ひなーびぃ@続編連載中✌️
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余分なものが削られて、必要な線だけが残っているみたいだった。
ルクスは空き地の真ん中へ立つ。
前でも横でもなく、ちょうど一歩先に決着が置かれているみたいな位置だ。
「雷って呼ぶ?」
唐突に、ルクスが言う。
ローリエは少しだけ目を細める。
「呼びます」
「ぼくは光って呼ぶ」
その言葉は、グラスが風を闇と呼んだ時より、ずっとまっすぐ入ってきた。
光。
速いもの。
連鎖するもの。
一瞬でつながるもの。
ローリエの中で、いつもの意味が少しだけずれる。
「雷だと、速さの方へ寄るから」
ルクスはそろばんを軽く持ち直した。
「光だと、終わり方になる」
終わり方。
その言葉を理解する前に、ルクスはもう珠を置いていた。
少ない。
見た瞬間、そう思う。
少なすぎて、むしろ構えにくい。
上段にひとつ。
下段にひとつ。
右へ軽い珠。
それだけに見える。
ローリエは、だからこそ逆に警戒した。
少ない構造は、たいてい次がある。
掛けるか、連ねるか、途中で変えるか。
今まで会ってきた相手なら、そこからまだ積んだ。
なら、自分は。
ローリエは水色を取る。
最初は広げる。
次で受ける。
最後は細く返す。
未定義を残しながら、向こうの次へ備える。
上から。
止める。
下から。
止める。
右へ軽く。
指は前より迷わない。
全部を完成させないまま立てることも、途中で切ることも、もう知っている。
弾く。
パチ。
浅い揺れが前へ出る。
遅れて、受けの形が立つ。
最後は細い押しに変えるつもりだった。
そのつもりだった。
ルクスは、その途中に入ってこなかった。
待たない。
でも、急ぎもしない。
ただ、一打だけ置く。
パチ。
音は細い。
なのに、その細さが耳へ届いた瞬間には、もう結果だけが目の前にあった。
ローリエの組んだ受けが、意味を持つ前に終わっている。
袋も板も置いていない空き地なのに、
まるで全部まとめて一度に切られたみたいに、
自分の構造の真ん中がすっと冷える。
足元の砂が、遅れて光ったように見えた。
「っ……!」
ローリエは反射で半歩ずれる。
でも、そのずれた先に何も残らない。
攻撃を受けた感触より先に、自分の式がそこで終わっていたことだけが残る。
「今ので」
短い髪の子が思わず声を漏らす。
「終わった?」
終わった。
ローリエは否定できなかった。
ダメージが大きかったわけじゃない。
倒れたわけでもない。
けれど、自分がこれから伸ばそうとしていた流れが、そこで全部意味を失った。
ルクスは少しも乱れていない。
「長いね」
静かに言う。
ローリエは顔を上げた。
「え」
「組み方」
その目は責めていない。
ただ、事実をそのまま見ている。
「きれいだし、深い」
「でも」
そこで一拍だけ置く。
「終わる前提が遅い」
ローリエは歯を食いしばる。
速さ、ではない。
イオウの時みたいに、先に詰められたわけじゃない。
かけのように積まれて沈んだわけでもない。
グラスみたいに意味を揺らされたわけでもない。
もっと単純だ。
向こうは、一撃で終わるつもりで置いている。
こっちは、途中をいくつも残したまま伸ばしている。
そこに差がある。
ルクスはまた珠を置く。
今度も少ない。
上段、下段、右。
しかし、その配置はさっきよりさらに無駄がない。
空きがあるだけではなく、無音の場所だけがある。
ローリエは次を組む。
今度は積み上げない。
最初から細く、速く、途中を減らす。
水色ではなく、軽い珠を先に。
そのあと茶色。
最後は未定義のまま残す。
弾く。
パチ。
パチ。
今までより短い。
それでも、まだ足りないと自分で分かる。
ルクスが一打を返す。
音はほとんど同じ長さなのに、向こうの方が短く感じる。
いや、結果までの距離が短いのだ。
ローリエの二打目が立つより先に、ルクスの一打がそこへ終わりを置く。
細い。
まっすぐ。
そして、容赦がない。
ローリエの肩が引かれる。
布が短く鳴る。
次の構造へ行くつもりだった指が、そこで止まる。
「一瞬で」
結び目のゆるい髪の子が、ほとんど息だけで言う。
ルクスは答えない。
答えなくても、もうその場に答えがある。
光。
たしかに、それは雷というより光だった。
速さを見せつけるためではなく、そこへ終わりを置くための細さだった。
ローリエは三打目へ行こうとして、指を止めた。
止めたのは迷ったからじゃない。
もう、三打目に意味が残っていないからだ。
自分の流れは、二打目までで切られている。
長く組んだ式も、積み上げた工夫も、途中で変える未定義も。
その全部が、向こうの完成された一撃の前では、立ち上がる前に終わってしまうことがある。
ローリエはその事実を、ようやく体で理解した。
「……終わらせる気なんだ」
思わずこぼれた声に、ルクスが小さく頷く。
「うん」
それだけだった。
でも、その、うん、に迷いがない。
だから余計に重かった。
終わらせる気で置く。
最初から決める時を決めている。
だから、短くても足りる。
浅くても刺さる。
途中をいくつも残す必要がない。
ローリエはそこで、自分がずっと途中を好んできたことに気づいた。
積み上げる。
広げる。
掛ける。
変える。
切る。
拾う。
どれも必要だった。
どれも間違いではなかった。
でも、決める時に決める覚悟だけは、まだ薄かった。
「もう一回」
ローリエは言った。
ルクスは少しだけ目を細める。
拒まない。
今度は、ローリエも最初から減らした。
水色を捨てる。
広がりを捨てる。
受けも薄く。
右へ、細い一打を通すためだけの並びを置く。
上から。
止める。
下から。
止める。
右へ、軽く、深く。
本当ならまだ足したい。
もう一枚、違う意味を重ねたい。
でも、その欲を切る。
ここで決める。
弾く。
パチ。
今までより短い。
自分でも分かる。
ただ、それでも、まだほんの少しだけ迷いが混じる。
迷いが重さではなく、微かな遅れとして残る。
ルクスが打つ。
一打。
ローリエの細い衝きは、たしかに前へ出た。
でも、その先に向こうの一撃が立っている。
ぶつかるというより、こちらの進行先に終点が置かれている感じだった。
光が走ったように見えた。
本当に光ったわけじゃない。
でも、そう見えるしかない短さだった。
「っ……!」
ローリエは今度こそ半歩では済まなかった。
足を取られ、膝が石段へ当たる。
前より深い。
でも、痛みの前に、敗北の形だけがはっきりした。
短い髪の子が、思わず声を上げる。
「ローリエ!」
結び目のゆるい髪の子も、塀の向こうから一歩出かけて止まる。
ルクスは追ってこない。
一歩も出ない。
その場でそろばんを下ろす。
「今のは近かった」
そう言った。
慰めではない。
本当に、近かったから言っただけの声だった。
ローリエは膝に手をつき、ゆっくり立ち上がる。
石が硬い。
制服の膝に土がつく。
近かった。
そうかもしれない。
でも、届かなかった。
積み上げるだけじゃ足りない。
掛けるだけでも足りない。
途中を変えることも、未定義を残すことも、それだけでは決め手にならない時がある。
いつか終わらせる、では遅い。
終わらせる時を、自分で先に決める必要がある。
「決めるって」
ローリエが息を整えながら言う。
「怖くないんですか」
ルクスはそこで初めて少しだけ口元をやわらげた。
「怖いよ」
答えはすぐだった。
「外したら、もうその形は終わるから」
ローリエは目を上げる。
外したら終わる。
その覚悟ごと、一打へ入れている。
ルクスはそろばんの珠を指先で戻しながら続けた。
「でも、終わらせる気がない一打は、だいたい途中で死ぬ」
その言葉が、ローリエの胸へまっすぐ入る。
途中で死ぬ。
今まで自分がたくさん組んできた式の中にも、そういうものがあったはずだ。
きれいで、深くて、意味もある。
けれど、最後に誰が終わらせるのかが曖昧なまま、長くなりすぎたもの。
おばあちゃんが店先から下りてくる。
「聞いときな」
ローリエは頷いた。
おばあちゃんは、ルクスの方ではなくローリエの手元を見ている。
「積み上げるのは悪くない」
「掛けるのも悪くない」
「でも、それで終わるとは限らん」
ローリエは歯を食いしばらずに聞いた。
今は反発より先に、納得が来ていたからだ。
「決める時に決める」
おばあちゃんが言う。
「それを避けてばかりだと、長い式ほど弱くなる」
ルクスは何も言わず、ただ一度だけ頷いた。
短い髪の子が、まだ少し悔しそうに言う。
「でも、一発で終わるのってずるい」
ルクスは、その子の方へやっと目を向けた。
「一発にするまで、捨ててるから」
その返事に、結び目のゆるい髪の子が小さく瞬いた。
捨てる。
ローリエの中で、その言葉が深く沈む。
そうだ。
ルクスは少ない。
短い。
でもそれは、足りないのではなく、捨てているからだ。
広がりも、途中の余りも、深い積み上げも。
全部を持ち込まず、その一撃に要るものだけを残す。
きれいに全部拾おうとしていた自分とは、そこが違う。
「……覚悟、なんだ」
ローリエが呟くと、ルクスは静かに返す。
「うん」
「次がなくてもいいって思うんじゃなくて」
ローリエは言葉を探しながら、続ける。
「ここが終わりだって、自分で決める」
ルクスは、そう、と短く答えた。
その短さが、かえって確かだった。
夕方の風が細く抜ける。
看板の紐が鳴り、用水路の音が少しだけ強く聞こえる。
ローリエはそろばんを見下ろした。
重い子。
未定義の余りを残すことを覚えた子。
崩して、途中で切って、次で拾うことを教えてくれた子。
でも、その先がまだある。
決める時に決める。
それはたぶん、今までの自分がいちばん避けてきた場所だった。
怖い。
外したら終わる。
途中の余りも、次の継ぎ目も、そこで切れる。
それでも、その怖さを抱えたまま置くしかない一手がある。
短い髪の子が、ローリエの顔を覗き込む。
「また考えてる」
「考えるよ」
「今のは、考えた方がいいやつ?」
ローリエは少しだけ笑った。
「たぶん」
結び目のゆるい髪の子が、そっと言う。
「でも、ちょっと顔が前と違う」
ローリエはその言葉に、少しだけ驚いた。
自分では分からない。
けれど、胸の奥ではたしかに何かが変わっていた。
前までは、積むか、掛けるか、崩すか、その途中ばかり見ていた。
今は、その先にある終わり方まで見えてしまった。
見えたから、もう知らないふりはできない。
ルクスはそろばんを布へ包む。
「またね」
その言い方は軽くない。
でも、今日だけで終わる相手の言い方でもない。
ローリエは頷いた。
ルクスが坂の下へ去っていく。
細い背中。
無駄のない歩き方。
見えなくなるまで、ひとつも余らない。
おばあちゃんがレジの方へ戻りながら言う。
「怖いって分かったなら、今日は上等じゃ」
ローリエは石段の端を見た。
さっき膝を打った場所。
土のついた制服。
まだ少し残る痛み。
でも、その痛みより、胸の中の方がはっきりしていた。
積み上げるだけでも足りない。
掛けるだけでも足りない。
変えるだけでも、読むだけでも足りない。
終わらせる覚悟がいる。
その一言が、夕方の坂へ一本、細い光みたいに残っていた。
ローリエはそろばんをかばんへしまう前に、木枠を指でなぞった。
古い手触り。
深く出やすい癖。
未定義を残せる幅。
そして、その先に置かなければいけない一撃。
まだ遠い。
でも、遠いこと自体はもう言い訳にならない。
短い髪の子がラムネの包みを握りしめる。
「今度は勝ってよ」
結び目のゆるい髪の子も、小さくうなずく。
「でも、こわいのはちょっと残して」
「なんでだよ」
短い髪の子が振り向く。
結び目のゆるい髪の子は、少しだけ笑った。
「その方が、最後がきれいだから」
その言い方に、ローリエは少しだけ息を漏らした。
笑いに近い。
でも、ただ笑うだけではない。
終わり方にも、きれいさがある。
今までは、途中の美しさばかりを見ていた。
これからは、終わる瞬間の形も見なければならない。
坂の町は、少しずつ夕方の色へ寄っていく。
屋根の端、用水路、石段、店先の木箱。
全部そのままなのに、どこか一度切り取られたみたいに、輪郭だけがきれいに残っていた。
ローリエは一歩、坂の下へ踏み出した。
決める時に決める。
その言葉はまだ、手の中で完全には馴染んでいない。
でも、もう知らないままではいられない言葉だった。
コメント
1件
うわあああルクスかっこよすぎない!?!?😭💕 「光って呼ぶ」って言った時の、あの一瞬で全部終わらせる信念…覚悟の重さが違うよ…。 ローリエが「途中を好む」って気づいて、でも「終わらせる覚悟がいる」って向き合う成長がもうエモすぎて胸がギュッてなった…。 「捨てる」って選択、勇気いるよね。でもそれが強さなんだなって思った。 膝ついてもまた立ち上がるローリエ、めっちゃ推せる…!次が楽しみすぎるよ柘榴先生!!🌸✨