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焔がソフィアの考えを図りかねていた頃。
外ではリアンが黒毛の馬に水をやり、餌箱を造ってやったり、馬小屋の用意をするといった類の雑用を真っ暗な夜空の下で済ませていた。焔からは指示されていない作業ばかりだが、生き物が相手だ、こういった事は早い方がいいだろう。
(……広い森の中で、生活感のあるこの拠点はかなり目立ちそうだな)
白い息を吐き出しながら、星で満たされた夜空を見上げてリアンが思う。
偶然に近い必然により焔の手で召喚されてしまった彼は、現在魔族達の捜索対象者となっている。誘拐されたであろう魔王を救おうと、魔族達は一丸となって誘拐犯である召喚士を探しているはずだ。意図せずいつの間にか重罪人になってしまった焔達を守る為、拠点の周囲に強固な結界を張り巡らせて、彼らの痕跡をリアンが勝手に消していく。
有能な部下を多く持っている為、辺境とも言えるこの地であろうがもうそろそろ油断は出来ない。名付けられた事で生物の増えて、魔族達の姿をちらほら見掛ける様にもなってきた。『城からは遠い此処ならば見つかるまい』と、いつまでも楽観視する程リアンも馬鹿では無いので、拠点の付近にまで魔族が出没し始める前に手を打ったのだ。幸か不幸かどちらも気が付いてはいなかったが、カバール村で一夜を過ごした晩に竜人族のケイトとニアミスしていたので、冷静な判断だと言えよう。
主人である焔と、魔導書の役目も果たしているソフィアがいないまま魔法を使えば、『召喚魔』となっている現状では魔力の消費量はかなり多い。毎夜以上の頻度で補充させてもらえてはいるが、自主的に捜索隊の隊長となりそうな竜人族のケイトを騙せるレベルのものとなるとかなり強固な術が必要となった。
「……今夜も魔力を補充させてもらわねばな」
半分程の魔力が一瞬で消えたような感覚のある手をじっと見て、リアンが「ふふっ」と嬉しそうに笑みをこぼす。人型の召喚魔と召喚士の関係性をこの様なモノに企画していた過去の自分を褒めちぎってやりたい心境だ。
ソフィアと五朗が戻って来ているので、今夜は声を我慢してもらわないとな。甘い声を彼等に聴かせない様に防音の魔法でも部屋にかけようか?いや……それではスリルが足りないから、口枷などでもいいかもしれないな——などと、欲に塗れた事を思うと、より一層笑いが止まらなくなった。
「随分と楽しそうだな、リアン」
「——主人!」
不意に声を掛けられ、リアンが慌てて振り返った。既に寝衣に着替え、その上に薄手のショールを纏っている焔がゆっくりとした足取りでリアンの元にやって来る。足は会った時の様に裸足で、靴を履いていない。そんな格好では寒くはないのかとリアンは少し心配になった。
様子を見に来たのが焔だけである事を確認し、「焔様……そのような格好では風邪をひいてしまいますよ?」と気遣う声で言う。何もなかった空間から手品の様に厚手のショールを一枚引っ張り出すと、それを薄手の物の上に重ねて掛けた。
「あぁ、すまんな。まぁ……確かに夜は少し冷えるな。でも平気だ。この格好で雪山登山だって出来るぞ」
「じゃあ、看病イベントは発生しそうにありませんね」
焔なりの冗句だろうと受け止め、リアンが「ははっ」と短く笑う。
「それが……一概にそうとも言えん」
「……やっぱり寒い、とか?」
何故そんな言葉が出たのかわからず、リアンが首を傾げた。
「なぁ……拠点から、変な臭いがするとは思わんか?」
目隠しですら隠し切れぬ程の渋い顔でそう言われ、リアンが視線を拠点の方へやり、慌てて匂いを嗅いだ。今までは馬の匂いに気を取られていて気が付かなかったが、言われてみれば……確かに、変な臭いがする。『悪臭』とまでは言わないが、気分のいいモノでは無い。何とも言葉に例え難く、自然と眉間にシワが寄る。ちょっと焦げた臭いが混じっていたので、調理に失敗でもしたのだろうか。
だが——
「五朗の晩御飯は、ソフィアさんが用意していましたよね」
「あぁ」
「……でもソフィアさんは、普通に食事を作れますよね?」
「お前程ではないが、ちゃんと美味いな。茶を淹れるのとは違って“作業台”を使っているから当然でもあるけどな」
「じゃあ——」と言うリアンの声に、「五朗がやった」と焔が言葉を被せた。
「急いで室内へ戻りましょう!火事にでもなったら面倒です。換気と、それに掃除もしないと!」
足早に拠点へ戻ろうとするリアンの後ろを、焔が続く。
「あ、や。その辺はもうソフィアがやっているし、不思議とお前の造った台所は綺麗に使ってくれているんだ。『こんなキッチンと料理が出来るなんて』などと意味不明の供述をしながら丁寧に扱っていたぞ。ただ、勝手に使った事っもあってソフィアには説教されていたけどな」
それは対物性愛者だからか?とリアンが思う。
それにしても、なんともまぁ気味の悪い発言だ。
「それなのに、この臭いですか?……一体何で」
「わからん。風呂からあがって、ソフィアの用意した、レシピ通りの飯を食って、『お礼に自分も何か作る』と普通に台所に立っていたんだが……出てきた物は全て形容し難い物ばかりでな。何というか……敢えて無理矢理何かに例えるなら、外国の軍隊で出てくるレーション……だな」
「焔様は本物の鬼なのに、変な知識はあるのですね」
「アレの場合は印象が凄かったからな。画像でしか存在を知らぬが、餓死する寸前でもなければ口にするのは不可能だ。料理は見た目も大事だが……そもそもアレは、食い物に分類してもいい物なのか?」
「今はそれを論議している場合ではありません。今度ゆっくり語らいましょう!」
「まぁ、そうだな」
扉を開け、室内に一歩踏み込んだだけで、なんとも微妙に不快な臭いに負けてリアンが鼻に腕を当てる。焔は羽織っていたショールで顔の下半分を隠し、頑張って中へと進んで行くリアンに続いた。
「窓は……全開でもコレですか」
全ての窓が開いている事を確認し、リアンは驚きを隠せない。話す声は腕が邪魔でくぐもっていた。
「お疲れ様っす!……って、どうしたんですか?二人とも、戻るなりそんなポーズしちゃって。何か新しい戦闘態勢とか、新種のダンスとかっすか?」
テーブルの上に料理?を並べながら、五朗が不思議そうな声で訊く。
確かに焔の言う通り、皿に盛られたそれらはどれもこれも不可思議な物体で、千言万語を費やしても表現するのは無理そうな見た目をしている。色合いも食べ物の範囲からは逸脱しており、材料が何だったかの想像すら出来ない。
「コレは一体……」
「晩飯のお礼に、お菓子を作ってみたんっすよ。自分の兄さん達がやってたのの見様見真似ですけど、初めてにしては案外上手く出来たんじゃないかと」
リアンにされた質問に五朗が笑顔で答えたが、『コレを前にして上手く出来たとは、一体お前の兄達も何を作ったというんだ』としか二人は思えない。
椅子の上ではソフィアが寝そべっていて、魂が抜けたみたいに微動だにしていない。次第に蓄積されていく不穏な臭いに気が付き、咄嗟に念動力で全ての窓を開けた辺りでもう力尽きたのだろう。リアンに助けを求める時、一緒に連れ出してやれば良かったと焔は今更後悔した。
「ケーキとゼリーとプリン。あとはクッキーなんかも作ったんっすよ」
「待て。それらはどれも、こんな短時間では出来そうにないラインナップですよ?」
リアンが外に居たのはせいぜい四十分程度の話だ。 五朗が風呂に入り、食事をし、その後に作った事を考えると、それらを作る時間なんかどう頑張って多く見積もっても、せいぜい十分程度しかなかったはずだ。そんな短時間で手作り出来るお菓子なんて、素人ではせいぜいホットケーキくらいなものだろう。
「そうなんっすか?」
本気でわかっていない顔で、五朗がきょとんとしている。
『普段から何を食べているんだコイツは!まずはこの見た目で、コレは料理じゃないとわかるだろ!』と大声で叫びたいが、リアンはそれ以上に顔を隠す腕を除けたくなくて、文句を全て腹の中に飲み込んだ。
「材料は保管庫や冷蔵庫の物を使ったんですか?」
「もちろんっす。自分、食材とか全然持ってませんしね」
「……ある意味才能だぞ、コレは。食える物を使って、食えそうに無い物しか作れていないんだからな」
焔のその言葉を聞いて、リアンがハッとした顔になる。
山賊なんぞ、正直パーティー内に居ても無駄な存在だ。戦闘に使える優位な固有スキルは無いし、自動発動するスキルは微々たる効果なのでたいして使い物にならない。店での買い物価格は倍に跳ね上げるし、買取価格は半額になるしで、良い事なんかハッキリ言ってほぼ皆無だ。
でも元の世界での経験が縛りとなり、魔導士系や剣士の様なまともな職には転職出来ない。だけど一つだけ、そんな縛りのある五朗にでも転職出来そうな職業をリアンは一つだけ思い出した。
「五朗に大事な話があります。——でもまずは、コレを捨てましょう」
「……へ?何で?」
リアンにそう言われ、お礼のつもりで作った五朗の料理は全て廃棄物扱いされたうえ、庭に深い深い穴を掘って埋めて来る様指示されたのだった。