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第15算話 持つ強さ、使う強さ
坂の下の空き地には、いつもより少しだけやわらかい夕方が降りていた。
風は強くない。
用水路の音も細い。
石段の角に残った欠けも、塀の影も、前と同じ場所にある。
変わったのは、そこへ集まる目つきのほうだった。
ローリエは坂を下りながら、かばんの中のそろばんへ一度だけ触れた。
木枠の角はいつも通りで、珠の重みも急には変わらない。
それでも、昔より少しだけ遠くなくなった気がする。
空き地では、あの子たちがしゃがんでいた。
短い髪の子は、土へ小さな円を描くようにビー玉を並べている。
結び目のゆるい髪の子は、その横で茶色のふちのおはじきを指先で寄せていた。
前より、並べ方が丁寧だった。
勝つため、というより、
崩したくないものを、ちゃんとそこへ置こうとしている手つきだった。
ローリエが近づくと、短い髪の子がすぐ顔を上げた。
「あ」
声は明るい。
でも前みたいに、すぐに飛びつく感じではない。
「来た」
結び目のゆるい髪の子も、少し遅れて顔を上げる。
その目がまず、ローリエの顔ではなく、かばんのふくらみへ向く。
けれど、すぐに戻った。
それだけで、前とは違うのが分かった。
「何してるの」
ローリエが聞くと、短い髪の子が少しだけ胸を張る。
「並べ直してる」
「前みたいに適当に置くと、すぐぶつかるから」
結び目のゆるい髪の子が、そっと続ける。
「ここ、次に使う場所」
そう言って、おはじきの隣を指であける。
ローリエは少しだけ目を細めた。
次に使う場所。
前なら、ただ持っていることの方が先に見えていたはずだ。
手の中にあること。
きらっとすること。
強そうに見えること。
でも今は違う。
置く場所の話をしている。
次の番のために、残しておく形の話をしている。
「ちゃんと考えてる」
ローリエがそう言うと、短い髪の子が照れたみたいに鼻をこする。
「ちょっとだけね」
「持ってるだけだと、勝てないし」
その言葉が、坂の夕方へすっと落ちた。
ローリエは、すぐには返事をしなかった。
前なら、
持ってる方がカッコいい、と言っていた。
その言葉が間違いだったとは思わない。
あの時は、たぶん本当にそう見えていたのだ。
強そうで、すごそうで、手の中に何かある感じがして。
でも、今はその先を見ている。
結び目のゆるい髪の子が、おはじきをひとつ持ち上げる。
「これ、前はただ好きだった」
薄い茶色のふちが、夕方の光を少しだけ返す。
「でも今は、どこに置くか考える」
ローリエはその言葉を聞きながら、自分の最初の頃を思い出した。
きれいに組みたい。
正しく並べたい。
全部を理解したい。
#第3回テノコン
ひなーびぃ@続編連載中✌️
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そう思っていた頃。
今もそれは消えていない。
けれど、それだけでは届かないと知った。
短い髪の子が立ち上がる。
「ローリエ、見せて」
「何を」
「今のやつ」
「今のやつって」
「ただ強いのじゃないやつ」
その言い方に、ローリエは少しだけ笑った。
ただ強いのじゃないやつ。
前なら、うまく説明できなかっただろう。
でも今は、その言葉の意味が少し分かる。
ローリエは空き地の端へ立ち、かばんからそろばんを出した。
木枠の角が手の中で落ち着く。
珠の袋を開ける。
水色をひとつ。
茶色をひとつ。
軽い珠をひとつ。
短い髪の子が目を丸くする。
「それだけ?」
「それだけ」
「少なくない?」
「少ないよ」
ローリエはそう言って、最上位へ珠を置いた。
上から。
止める。
次に下段。
止める。
最後の右へ軽い珠。
昔なら、もう一つ足したかった。
もっときれいにしたかった。
でも、今日は違う。
「見てて」
弾く。
パチ。
最初の揺れは浅い。
空き地の土がひとつだけやわらぐ。
結び目のゆるい髪の子が少しだけ首をかしげる。
「弱い?」
「まだ途中」
ローリエはそこで次を置かない。
一拍だけ、残す。
短い髪の子が息を止める。
「置かないの?」
「今は」
そのまま少しだけ位置をずらし、途中の場所へもうひとつ珠を足す。
パチ。
今度は、最初の浅さへあとから重みが乗る。
土が一度だけ深く鳴り、空き地の端に置いてあった小さな紙袋が倒れた。
ふたりの目が同時に見開く。
「あとから来た」
「さっき、弱かったのに」
ローリエはそろばんを見たまま、小さく頷いた。
「弱かったんじゃなくて、まだ途中だった」
短い髪の子が、土の上の紙袋と、ローリエの手元を交互に見る。
「持ってるだけじゃ、こうならない」
その声は、前よりずっと静かだった。
結び目のゆるい髪の子が、おはじきを掌で転がす。
「ちゃんと置いて」
「ちゃんと止めて」
「ちゃんと出すんだね」
ローリエはそこで、ようやく顔を上げた。
ちゃんと出す。
前なら、その言葉を聞いた時、きっと正しい形のことばかり考えていた。
今は少し違う。
いつ切るか。
何を残すか。
どこで終わらせるか。
それも、出し方のひとつだ。
「うん」
ローリエは言う。
「持つのは最初で」
「使うのは、そのあと」
短い髪の子は、しばらく黙っていた。
それから、自分のビー玉をひとつ持ち上げて、前より丁寧に土へ戻した。
「前さ」
ぽつりと言う。
「持ってる方がカッコいいって言ったじゃん」
ローリエは頷く。
「あの時は、ほんとにそう思ってた」
「うん」
「だって、きらきらしてて、強そうで」
「ローリエが持ってたら、なんか全部できそうだったし」
そこまで言ってから、短い髪の子は少しだけ笑う。
「でも、今はちょっと違う」
結び目のゆるい髪の子も、小さく頷く。
「持ってるだけだと、まだ途中」
その言い方が、ローリエには妙にうれしかった。
途中。
それは前なら、半端という意味に近かった。
今は違う。
始まりの形にも、次へ行く形にもなる。
「じゃあ、今は何がカッコいいの」
ローリエが聞くと、短い髪の子は少し考えた。
前ならすぐ答えていたはずなのに、今日はちゃんと迷う。
「……使えること」
それから、少しだけ言い直す。
「ちゃんと使うこと」
その答えに、ローリエは思わず息を漏らした。
笑いに近い。
でも、ただ笑うだけでは足りない感じだった。
結び目のゆるい髪の子が続ける。
「あと」
「返せること」
「返せる?」
ローリエが聞き返すと、その子はおはじきを見つめたまま言う。
「終わったあとも、また置けること」
その一言で、ローリエの胸の奥へ、ご破算のあとに見た空っぽが戻ってきた。
零に戻ること。
また置き直すこと。
空になっても、その先があること。
勝つことだけじゃない。
終わったあとに、また置けるかどうかも、強さのひとつなのだ。
その時、戸の鳴る音がした。
振り返ると、おばあちゃんが店先へ出てきていた。
モカ色の割烹着の裾が風に少し揺れている。
手には小さな紙袋がふたつ。
「話はまとまったかい」
短い髪の子がすぐに言う。
「ちょっとだけ」
結び目のゆるい髪の子は、こくりと頷く。
おばあちゃんは空き地の端まで来て、ふたりに紙袋を渡した。
中には小さな菓子が入っているらしい。
「お礼」
「なんの?」
短い髪の子が聞くと、おばあちゃんは少しだけ目尻をやわらげる。
「ちゃんと見とったお礼」
ふたりがうれしそうに袋を抱える。
ローリエはそのやりとりを見ながら、そろばんを少しだけ抱え直した。
木枠の角はもう、前みたいにただ古いだけには見えない。
深いところまで走りやすい癖も、
途中で切る怖さも、
終わらせる覚悟も、
全部ここに乗っている。
でも、それだけじゃない。
今、目の前でビー玉を並べ直している子たちの、
次を残す手つきも、
途中を途中のまま大事にする目も、
たしかにここへつながっている。
おばあちゃんが、ローリエを見る。
「何のために弾くか」
その言葉は問いだった。
でも、責める問いじゃない。
もう一度、自分で手の中へ戻すための問いだった。
ローリエは少しだけ考えた。
前より、ゆっくりと。
でも、前みたいに正解の形を探しすぎずに。
勝つため。
強くなるため。
それも本当だ。
けれど、それだけではない。
「……守るため、とか」
短い髪の子が、すぐにこっちを見る。
結び目のゆるい髪の子も、目を細くする。
ローリエは続ける。
「返すため、とか」
「終わらせるため、とか」
「また置けるようにするため、とか」
言葉は少しずつしか出ない。
それでも、出るたびに胸の中の形がはっきりしていく。
おばあちゃんは、うん、とだけ言った。
「前より、いい顔しとる」
その言葉に、ローリエは少しだけ照れた。
でも、否定はしなかった。
空き地の土の上で、短い髪の子がもう一度ビー玉を並べる。
今度は前より少しだけ間をあけている。
結び目のゆるい髪の子は、おはじきをその横へ重ねず、あえて少しずらして置いた。
どちらも、次のための置き方だった。
ローリエはその輪の横へしゃがみこんだ。
「ここ、近すぎるとぶつかるよ」
短い髪の子が、すぐにビー玉を少しだけ動かす。
「じゃあここ」
「うん、そっちの方が次が見える」
結び目のゆるい髪の子が、おはじきを指先で弾く。
浅い音がして、丸いものの横へ静かに止まる。
「こんな感じ?」
「いいと思う」
前なら、ただ見ていただけの手元だった。
今は、そこへ置かれている次の意味が少しだけ見える。
短い髪の子が笑う。
「なんか、前より遊び方まで変わった」
「いい方に?」
「たぶん」
結び目のゆるい髪の子も、少し笑う。
「持ってるだけより、おもしろい」
その答えに、ローリエははっきり笑った。
強いとか、すごいとかより先に、その一言がうれしかった。
おばあちゃんは店先へ戻りかけて、少しだけ振り向く。
「最初に戻ったねえ」
その言葉の意味は、たぶんローリエにだけ分かった。
持ってる方がカッコいい。
そこから始まって、
使えることの方が強い、へ進んで、
いま、何のために使うのか、までようやく来た。
答えはまだ全部じゃない。
これで終わりでもない。
でも、前へは進んだ。
坂の町の夕方が、ゆっくり深くなる。
用水路の音。
店先の木箱。
看板の紐。
子どもたちの笑い声。
その中で、ローリエはそろばんを膝へ置いた。
木枠の角をなぞる。
重い子。
深い子。
扱いにくい子。
でも、もうそれだけではない。
持つ強さと、使う強さ。
そのあいだには、置く場所があり、
止める場所があり、
手放す場所があり、
また始める場所がある。
短い髪の子が、ふいにビー玉をひとつ差し出した。
「あげる、じゃなくて」
前と同じ言い方をしかけて、少しだけ笑う。
「今度は、貸す」
ローリエは、そのビー玉を受け取った。
掌の中で、丸い重みが小さく鳴る。
結び目のゆるい髪の子も、おはじきをひとつ差し出す。
「終わったら、返して」
「うん」
ローリエは頷いた。
それはたぶん、最初の時よりずっと深い約束だった。
ただ持つためではなく、
ただ飾るためでもなく、
ちゃんと使って、ちゃんと返す。
その強さなら、少しだけ分かる気がした。
コメント
1件
いや~、めっちゃ良かった……!「持つ強さ」と「使う強さ」の対比が鮮やかで、特に「弱かったんじゃなくて、まだ途中だった」ってローリエの言葉、めちゃくちゃ刺さった。子どもたちが「ちゃんと置く」「ちゃんと返す」って気づいていく過程も丁寧で、何より「貸す」になったラストの約束が深くて温かい。成長が静かに描かれてて、じんわり来たわ🔥