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「善は急げだわね」
佐紀子が、少し眉をしかめ、それでも嬉しげに言う。
すべては、先方、山村家のご機嫌が上手く取れるか否かにかかっている。おそらく、野口家が、押し込むだろうと佐紀子は、読んでいるようで、月子へ、身辺整理、つまり、荷物をまとめておくようにと催促を入れてきた。
おばに、茶をかけられ、濡れてしまった胸元が冷え始めていた月子には、佐紀子の言葉は、胸元以上に冷ややかに感じられたが、ただ、心配なのは、母のことだった。
いったい、どうすれば良いのだろう。
母に、どのように告げれば良いのだろう。
月子が、戸惑っているのを承知してか否か、野口のおばは、上機嫌だった。
「そうだね、佐紀子。義理とはいえ、姉のお前を差し置いて妹の月子が先に嫁に行くのはどうかと思うけれど、相手は、男爵家。十分過ぎるほどの条件だ。そして、嫁を探しているのだから……他に取られない内に、月子を送り込んでしまわないと……」
何も、憎くて追い出しにかかっているのではないと、言いたげに、おばは、軽やかな口調ではあるが、その腹黒さを月子へ見せつけて来た。
「ええ……順序にこだわっていては、月子さんの幸せが逃げてしまいます。お相手は、男爵家ですもの、少し羨ましいお話だわ」
佐紀子の取り繕うような言葉が、月子の胸を刺す。
たまたま、患ってしまった母。そして、連れ子という立場の月子は、一歩間違えれば、家長である、佐紀子の立場を揺るがす。佐紀子の縁談をまとめる為に、月子を利用すると見せかけて、結局は、純粋な西条家の人間のみ残そうとしているのだと、月子は痛感した。
自分達がいなくなれば、西条家は、上手く運ぶ。佐紀子の考えは、そうなのだろう。
作り笑いを浮かべてはいるが、月子へ向けられている佐紀子の視線は、とてつもなく残酷で、やはり、これまでなのだと、月子は深い絶望感に落ちいった。
諦めの時が来たのだろう。
いつか来ると分かっていたが、まさか、それが今、とは。
月子の瞳に涙が滲んで来た。が、ここで、泣いてしまえば、また、厄介なことになる。
笑顔を浮かべることは無理だが、せめて、平静を装っておかなければ、チクチクと嫌みを言われる事だろう。
しかし、どうしても、月子は、母の事が心配だった。
自分は、男爵家とやらで、耐えれば良い。気に入られなくて、追い出されたら、その時は、仕事を探せばよいだけ。
しかし、母は……。
その男爵家へ連れて行く訳にもいかないだろう。
月子は、覚悟を決めると、深々と頭を下げ、恐る恐る言葉を発した。
「……お姉様、お話を、お受けしたいと思います……」
月子が、そう言うであろうと分かっていたのか、佐紀子は、あら、そう。と、軽く相づちを打ちにこりと笑う。そして。
「……あの方のことね。今回は、世間体というものもありますから、悪いようにはしません」
思いもしなかった佐紀子の言葉に、月子は、思わず顔をあげた。
「あの、それは……」
「ご病気ですもの、それなりの所へ行って頂きますよ。ただし……」
言うと、佐紀子は、きりりと顔を引き締め、月子へピシャリといい放った。
「月子さん、あなたは、結婚して西条家を離れます。自然、この家の者ではなくなります。ですが、あの方は……、西条家の人間のまま。お父様もいない以上、あの方の役目は、もうないのよ。だから、西条家から、籍を抜いてもらいます」
つまり、それは、月子親子は、西条家と縁を切られるということで、二人揃って、西条家から籍を抜くことが、母を見捨てないことになる……。
佐紀子に突きつけられた条件に、月子は愕然とした。