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メゾン・プレザンの裏口の扉を開けようとした途端、ティアは馴染みのある男の声で呼び止められた。
「………ティア、ちょっと良いか?」
トクンと、ティアの心臓が大きく跳ねる。頭で考えるより、身体の方が先に振り返っていた。
けれどティアに声を掛けた青年は、深緑色の髪ではなかった。
「……あ、ロムさん、どうされましたか?」
”……”の間に、落胆した気持ちを胸の奥に押し込んで、ティアは2ヶ月前よりバトラー姿が板についてきたロムに問いかけた。
けれど、ロムはもじもじとするだけ。なかなか口を開こうとしない。
残念ながらティアにとってロムは、メゾン・プレザンで働く仲間の一人でしかない。
加えて、茶褐色の髪と瞳。中肉中背で、強いて言えばそばかすが唯一の特徴という、平凡な容姿のロムのはっきりしない態度は、面食いのティアには苛立たしいだけ。
仕事の相談は自分では対応しきれない。よもや迷子になったわけではないだろう。
短い時間で考えた結果、ティアはさっさと屋敷に戻ることに決めた。
「あの、ロムさ──」
「大事な話があるんだ」
「……はぁ」
申し訳ないが多分、自分にとっては些末な内容だろう。
そんな冷たいことをティアは考えたけれど、予想は外れた。
「ティア、僕と結婚してくれっ」
「っ……!」
ロムのいきなりの求婚に、ティアはものの見事に固まった。
ティアは2ヶ月前、王女を嫁ぎ先の隣国まで送り届ける任務のため、問答無用でロハン邸に連行された時、ロムが今にも泣きそうな顔でティアを見送っていたことを覚えていない。
反対にティアが無表情でいることに慣れ切っているロムは、拒絶されなかったことを良い方向に受け止めてしまった。
「僕、ここで働き出してから、ずっとティアのこと好きだったんだ。あんな顔だけしか取り柄のないような鼻持ちならない騎士野郎の元から戻ってきてくれて、すっごく嬉しいよ」
熱で浮かされたようなロムの表情を見て、知らず知らずのうちにティアの眉間に皺が寄る。
まるでティアがここに戻ってきたきたのは、ロムが居たから。そんなふうに聞こえてしまう。
(ちょっと待って!戻ってきたのは、あなたの為じゃない!!)
心の中で悪態を吐いたティアは、察しろと言わんばかりに溜息を吐く。
でも、しょっちゅうメゾン・プレザンの館内で迷子になったり、新人あるあるの失態ばかりを繰り返していたロムはティアの溜息には耐性があった。
「ティア、こんなところ一刻も早く出ようっ。君だってメゾン・プレザンなんかに好き好んでいるわけじゃないんだろ?うん。僕もそう思っている。ティアはここにいるような人間なんかじゃないっ。一緒に、故郷に戻ろう。な?いいだろ!?」
キラキラと目を輝かせて、ロムはティアに詰め寄るが、ティアは怒り心頭だ。
(は?こんなところ?メゾン・プレザンなんかに?)
明らかに無意識に口にしたであろうロムの言葉は、完全にティアの逆鱗に触れた。
ティアにとって、メゾン・プレザンはかけがえのない大切な場所で、唯一無二の居場所と決めたところでもある。
それなのにロムは侮辱したし、あろうことか、ティアも同じ気持ちでいると勝手に決めつけたのだ。
こんな屈辱を受けて、ティアはまた大切なことに気付いてしまう。
グレンシスはティアに間違ったことを正してはくれたけれど、ただの一度だって、大切にしているものを否定することも侮辱することもなかった。
横柄でガミガミと口やかましくて、時に強引なところもあったけれど、一生懸命、ティアのことを理解しようとしてくれていたのだ。
(もう!なんで今、そんなことに気付かせてくれるの……もう!!)
ティアは地団駄を踏みたい衝動に駆られた。
つまりロムは求婚の返事を貰えるどころか、二重の意味でティアの怒りを買ってしまった。
しかしティアは、感情を表に出すのが苦手だ。想像することはできても、実行に移すことがどれもできない。
頭の中ではロムの胸倉を掴んで罵倒するなり、片腕に掛けたままの籠を勢いよく投げつけるなり、大声で泣いたりと、不快なことを示すための色々な手段が浮かんでは消える。
『なにも自己主張をできない人間になってしまえば、肝心なときに何も言えなくなってしまうものだ』
不意にティアの脳裏に、ロハン邸の庭で贈られたグレンシスの言葉が蘇る。
よりにもよってこんな時に、あの人の助言を思い出すなんてと、ティアはとても複雑な心境になる。訓練をさぼり続けていたことも、今更ながらものすごく悔やんだ。
だが後悔したところで、現実は何も変わらない。ロムの暴走は加熱していく。
「結婚式は、僕の生まれ育った町でやろうね。マダムローズもきっと僕たちを祝福してくれるさ。さっ、そうと決まったら、早速、マダムローズに報告に行こう」
ティアは毛虫を見るような目つきでいるが、ロムの瞳は、バラ色の未来を描いている。
さあさあと行くぞと無遠慮に手を伸ばすロムに、ティアは嫌だ絶対にとジリジリと後退する。
タイミング悪くメゾンプレザンは、開館前でてんてこ舞い。皆、自分のことで手一杯で、裏庭まで足を伸ばしてティアを探してくれる者はいない。
これはいわゆる窮地という状態だった。