タクシーに乗ってからの恵子は、ずっと物思いに耽っていた。
そこでハッとする。
先程井上が運転手に告げた行き先を急に思い出したのだ。
(確かグランドヒルトンお台場っ言ってた?)
恵子は慌てて井上に聞く。
「ちょ、ちょっと井上君、ホテルのレストランは高いから他にしようよ」
「大丈夫ですよ。それにさっき電話をしたらちょうどキャンセルが出たみたいで予約が取れましたから」
井上は穏やかに微笑む。
(さっきって……あっ、シャワーに行っている間?)
グランドヒルトンお台場のレストランといえば、かなり有名な店だ。
高級ホテルの格式あるフレンチは、オープン当初から富裕層の間で人気だ。
最近人気ドラマの撮影にも使われたせいか、さらに予約が取れなくなっている。
だから土曜の夜に予約が取れたのは奇跡に近い。
そこで恵子は10歳年上の元彼とデートでよく訪れた店を思い返してみる。
(居酒屋、ラーメン屋、ファミレス、チェーンのイタリアン……そんなんばっかだわ)
恵子は思い返すだけで虚しくなる。
(それにしても井上君は女性のエスコートがスマートすぎるわ。意外と女性経験が豊富だったりして?)
上質な店選び、そしてその行動の早さは、さすが深山二世と言われるだけあり深山CEOに似た大物ぶりを感じる。
もちろん仕事での能力も、深山の若い時にそっくりだ。
(もしかして磨けば光る原石? ううん、もう光ってるか。それに仕事はデキるし性格もいいし……もしや彼って将来かなり有望?)
その時恵子は井上の事を急に『異性』として強く意識し始めていた。
しかしそんな自分を慌てて戒める。
(私ったら、まさか井上君の財力や将来性に惹かれてるんじゃないわよね? そんな下心で人を好きになっても、絶対上手くいくわけないわ)
恵子は自分にそう言い聞かせる。
やがてホテルへ到着すると、二人はタクシーを降りて中へ入る。
高級ホテルの中でも、井上は堂々としていた。
レストランへ行くと、スタッフが二人を出迎えてくれる。
予約してある旨を井上が伝えると、二人はイングリッシュガーデンが見える窓際の席へ案内された。
まだ日が暮れる前だったので、窓の外には見事な庭園が一望出来た。
バラの季節は既に終わっていたが、白いモナルダやピンクのベロニカ、エキナセアやタチアオイ等、美しい花々が咲き誇っていた。
「うわ~、ステキ~」
恵子は窓の外を見て感嘆の声を上げる。
喜んでいる恵子を見て、井上も嬉しそうだ。
「井上君はこのレストランには来た事があるの?」
「はい、何度か」
ホテルに入ってからの井上は慣れている感じだったので、もしやと思い恵子は聞いてみた。
恵子の予想通り、井上は何度かここへ来た事があるようだ。
(きっと歴代の可愛い彼女達を連れて来たのね)
恵子は急に自分がここにいるのが場違いなような気がしてソワソワしてしまう。
そんな恵子とは反対に、井上はご機嫌な様子だ。
漸く憧れの人と二人きりで食事が楽しめるとあり、とても嬉しそうだ。
井上はメニューを見ると、レストランおすすめのコース料理を頼んでくれた。
その後二人はワインで乾杯する。
ワインを一口飲んだ恵子は、そこでなんとか落ち着きを取り戻した。
(せっかく後輩が連れて来てくれたんだもの。楽しまないと悪いわよね)
そう気持ちを切り替えてると、恵子はこの瞬間を楽しむ事に決めた。
料理が運ばれて来ると、恵子は美しく盛り付けられた料理を見て思わず感嘆の声を上げる。
そして料理を写真に撮った後、美味しそうに食べ始める。
無邪気に料理を頬張る恵子を見て、井上はこんな風に思った。
(こんなあどけない表情もするんだな……)
恵子の新たな一面を発見した井上は、恵子に対する更なる思いが胸の内から溢れてくるのを感じていた。
一方、恵子はというと、とてもリラックスしている自分に気付く。
ゴルフの練習の時と同様、井上に対して自然体で接している自分に驚く。
こんな楽しいディナーはいつ以来だろう?
恵子は心から井上とのディナーを楽しんでいた。
そこで恵子はずっと気になっていた事を聞いてみる。
「井上君って、彼女はいるの?」
ワイン飲もうとしていた井上は、恵子の言葉に思い切りむせた。
「い、いませんよっ。いたら恵子さんを誘ったりしないっす」
「そうなんだ。あ、でも井上君てモテそうだから、付き合ってなくてもガールフレンドの一人や二人はいるんでしょう?」
「いやぁそんなにモテないっすよ。それに俺、他の人には興味ないし」
「えっ?」
(それってどういう意味?)
恵子はその言葉の意味が気になったが、聞き返す勇気もない。
「じゃあさ、前カノはどんな人だったか聞いてもいい?」
「そんなの聞いてどうするんっすか?」
「だって気になるんだもん」
拗ねたような恵子を見て、井上は思わず頬を緩める。
「今までは、いつも相手から言われて始まる事が多かったんっす。でもどれも長くは続かなかったっすね。で、俺、思ったんですよ。やっぱり自分から好きにならないと駄目なんだろうなーって」
「そうなの? じゃあさ、井上君のタイプってどんな人?」
「タイプっすかぁ? そうっすねぇ……」
そこで井上は恵子を真っ直ぐ見つめて言った。
「恵子さんみたいな人っすかね」
「えっ?」
恵子はびっくりして持っていたグラスを落としそうになった。
驚いている恵子に、井上は真剣な眼差しで言った。
「恵子さん、俺と付き合ってくれませんか?」
「!」
突然の交際の申し込みに、恵子は何と答えていいのかわからなかった。
ただ心臓だけがバクバクともの凄い音を立てている。
しかし何か言い返さなくちゃと慌てて口を開いた。
「ちょ、ちょっと待って! 井上君たら冗談きついなぁ~。先輩にドッキリ仕掛けてどうするの~?」
「冗談じゃないっす! 俺、半年前から恵子さんの事が好きでした」
「えっ? 半年前? な、何で? それにどうして私みたいなおばさんと?」
恵子の言葉を聞き、井上は少し怒ったように言った。
「自分の事をおばさんなんて言ったらだめっすよ。恵子さんはおばさんなんかじゃありませんから」
「あ、ありがとう。でももしそうだとしてもよ? 井上君にはもっと若くて可愛い子の方がお似合いな気がするけどな~」
「いや駄目っす。他の人じゃ駄目なんです」
井上の濁りのない真っ直ぐな瞳が眩しくて、恵子は慌てて目を逸らしながら聞いた。
「でも私は井上君より四つも上なのよ? それにもう30を超えてるわ。だからあなたとは釣り合わないと思うけど?」
「歳なんて関係ないっすよ! フランスの大統領の奥さんっていくつ上か知ってますか?」
「えっと…確か20歳くらい?」
「24です。それに比べたら、4歳なんて誤差ですよ誤差!」
「…………」
あまりの説得力に、つい恵子は怯んでしまう。
「それに俺はあの日見たんです」
「見たって何を?」
「あなたが道で倒れていたおばあさんを助けていたのを……」
その時の井上は、漸く思いを伝える事が出来た嬉しさで、少し安堵しているようにも見えた。
コメント
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井上くんモジモジ君かと思ったらどストレート君だったのねー😍 確かに4歳なんて誤差よ!
井上くん最高!!レストラン選び、恵子さんへの言葉どれをとっても文句無し♥人柄ってでるよね🥰
井上くんやるぅ🤩 はじめてのディナーにホテルディナー予約、できる男っすね〜