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岩崎の提案を受けて、記者二人組は顔を見合わせた。互いに渋い顔をしている。
「……なんだね?資金の問題かね?それなら、私も協賛するよ?ある意味公共福祉であり、文化事業だからね。子供達が芸術に触れる機会を作る。崇高な考えじゃないか?協賛の参加者を募ることもできるが?」
男爵の補足に、野口が反応した。
「男爵様が、出資してくださるわけで?!」
ああ、と、男爵は当然とばかりに頷いて、社会的立場のある者、文化の発展に寄与しなけるばならないと、男爵は持論を述べた。
「まあ、出資者が増えるなら……」
沼田も、思案顔で話に乗ってくる。
「兄上!ありがとうございます。先の演奏会で私は思ったのです。庶民は西洋の音楽に触れる機会がないのだと。しかし、皆、驚くほど夢中になった。ならば、子供の頃から、ちゃんとした西洋音楽に触れて置けば……音楽家への道を歩もうと決意する子供もあらわれるのでは……と……」
岩崎の熱弁に、月子は感心していた。音楽とはそこまで奥が深いものなのか。ただ聞いているものではなく、子供達の未来にも影響する。岩崎の言い分は、とても素晴らしい物だと、月子は直感的に思った。男爵の助けもある。ぜひ、岩崎の思う独演会を開くことが出きれば……。
月子は、つい、期待を寄せ、考え込んでいる沼田と野口を見た。
「記者君が戸惑うのはわかる。ならば、花園劇場では、休日、家族向け及び一般向けに。そして、平日、学業の一貫として、両社主催の巡回演奏会とすれば、どうだろう、君達の会社の品格も上がると思うがねぇ。他社よりも抜きん出る事ができるんじゃないかい?」
男爵は、かなりやる気になっているようで、沼田、野口を説得し始めた。
「あーー、お二人さん。まさか、男爵様の言い分を無視するつもりかい?俺は、岩崎の旦那に賛成だな!出資が増えたら、それだけ大きな催しになるだろ?」
二代目も、饅頭にかぶり付く手を止めて、なにやらあくどい顔をしている。どうも、商売気をだしているようだ。
これだけの押しに記者二人組は、頷くしかなかった。
「悪かないですよ。ただ、一度社内で検討ということで……」
沼田が、ポツリと言う。
「あのー、岩崎男爵、その他の協賛は確定なんでしょうかねぇ。そこのところが、やはり、重要で……」
野口も、歯切れ悪く言った。
「ああ。私が、それなりの音楽家や、協会に声かけして賛同の意思をもらおう。約束するよ」
音楽、文化事業の世界では、出資者《パトロン》として、幾ばくか名前が通っている男爵のことだ、それ相応の賛同者を連れてくるだろう。
沼田と野口は、再び顔を見合わせ頷きあっている。
「じゃ!決まり!清子さーん!お茶まだかーい!」
二代目の茶の催促で、話はまとまったようだ。
月子は、ちらりと岩崎を見た。
願いが叶って嬉しそうだが、月子には、その横顔がなぜかキラキラ輝いて見えた。
結納の為に、執事の岩田が用意したであろう背広《スーツ》を着ているからなのかいつもとどこか感じが異なる岩崎の姿から月子は目が離せなかった。
端正な面持ちには、柔らかな笑顔すら浮かべている。
新らたな岩崎の一面を見た気がした月子の頬は、自然と染まっていた。
(どうか、京介さんの思いが叶いますように。独演会が上手くいきますように)
両手をぎゅと握りしめ、心の中でそっと祈る月子だった。
「じゃあ、私も花園劇場で唄うのかしら?だって、お咲ちゃんが唄うのでしょ?」
芳子が言った。
とたんに、皆はぎょっとして芳子を見る。
「奥様。京介様の独演会ですよ。お咲は、デビューするとかしないとかですから、唄うだけでしょう?奥様は、月子様の社交界の御披露目の時にお唄いになられたれいかがですか?」
茶を持って来た清子が口添えする。
皆はその言葉に乗っかるように頷いた。
「……そうよね。京介さんの独演会ですものね。そうだわ。月子さん!御披露目にあなたも唄ったら?楽器演奏でも良いかも!京介さん!月子さんに指導してちょうだいな!」
「なんですか?御披露目で、そんなことしないでしょ?」
芳子の突然の言い分に、岩崎は、面倒くさそうに答え、月子はといえば、言われたことに、恐れおののいていた。
自分が唄う。演奏する。それよりも、社交界の御披露目とは?!
「月子様。まだ、時間はありますから、唄だ演奏だというよりも、お作法の練習が先ですわね」
清子までも、御披露目とやらの話を進め始める。
月子は思った。自分が嫁ぐのは、男爵家なのだと……。
平民の自分の知らないことが、これからも山のように出てくるのだろう。改めて、身分差というよりも、住む世界の違いを感じた。
「清子まで。私は家督を継ぐわけではないのですから、月子と社交界は関係ないでしょう」
岩崎が、必死に盾になる。月子の怯えた様子に気がついたからだ。
「ええー!月子さんも岩崎の家に入るのよ。関係ないことはないわよー!」
芳子が粘った。
「あー、まあ、そこら辺は、お身内でお話頂いて、ひとまず、決定している花園劇場での独演会について、もう少し話を詰めてよいですかねぇ」
茶をすすりながら、野口が、面倒臭そうに言った。
沼田も饅頭を食べながら、そうそうと頷いている。
「確かに。決まっていることなら、打ち合わせした方がよいだろう」
岩崎も、話題を変えようとしているのか二人の意見に同意する。
気まずいのは月子で、小さくなるばかりだった。しかし、もう、岩崎家の人間になるのだからと、勇気を振り絞り芳子へ頭を下げると、
「芳子様、どうか、御指南よろしくお願い致します」
震える声で、礼を尽くした。
「あら!もう!月子さんったら!他人行儀な事はやめて!芳子お姉様とか、なにかそのように呼んで欲しいわ!女学生みたいで楽しそうじゃない?とにかくね、そんなに、固くならないでちょうだい!」
「そうだよ。月子さん、もう私達は家族だからね。何も遠慮はいらないよ。というより、御披露目はまだ先だろう?芳子。月子さんは、まず、京介の独演会を支えなければなぁ」
「そうね、独演会が先だわね」
男爵夫婦は、緊張している月子へ微笑んだ。
月子はあわてて二人へ頭を下げ、
「い、一生懸命京介さんを支えます!」
と、声高に言っていた。
それに反応したのが岩崎で、どこか落ち着きなく、プイとそっぽを向いた。
「あーー!月子ちゃんが、どんどん京さんとくっついていくじゃあーねぇーかー!!なんでだよぉ!!」
二代目が、急に荒れて、饅頭を頬張り出す。
「田口屋さん、御二人はもう夫婦なんですから、なんでも、何も、ありませんよ。何を仰っているのやら」
清子が、チクリと二代目へ言い放つ。
「えーー!清子さんまで、冷めてぇなぁーー!あーー!お咲!何、芋羊羹独り占めしてんだよぉーー!!」
「い、芋?!」
まさに、とばっちりを受けたお咲は、二代目の荒れように目を丸くした。