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──子供達に西洋音楽に触れる機会を与える──


月子は、その様な考えがあるのかと感動していた。


あれから、花園劇場での演奏について、記者達があれこれ一方的に捲し立てた。


すでにおおよその演目まで決まっている具合で、岩崎と異見が合わず半ば言い争いになる。


それでも、なんとか話し合い、今後の事、学校を巡回する件については、一度社内で検討すると記者二人組は帰って行く。


岩崎家の面々も引き上げ、清子達手伝いに来ていた女中が、夕餉まで、祝い膳として作ってくれた。


月子は大助かりだった。緊張の連続で、夕餉まで作る気力が正直無かったのだ。岩崎、お咲、皆で有り難く食事を済ませ、後片づけも、皆で取りかかり、月子の負担はほとんど無かった。


岩崎の気配りに感謝しながら、月子は、その岩崎の背中を見つめている。


「ん?お咲か?あのイビキは……」


耳を澄ませると、隣の部屋からグーグーガーガー確かに聞こえる。


部屋で小机に向かっている岩崎は、ぶっと吹き出した。


「お咲ちゃんも疲れたのでしょうね。今日は、特別な一日でしたから……。京介さんも、ほどほどに……」


夜も更けてきた。岩崎は、寝る前に少しだけと、小机の前に座りこみ何か作業を行っている。


「うん、だがな、作り上げないと……このまま、麗しの君に、が未完成のままだと、本人に申し訳ないだろ?」


岩崎は、照れくさそうにポツリと言った。


(ああ、独演会に向けての準備なのか……。確かにあの曲も演目に入っていた……。)


月子は、面映ゆくなりつつも、やはり、岩崎の体が心配だった。大切な演奏会が控えているのだ、今は無理して欲しくなかった。


「……でも、夜も更けてきましたし……風邪でもひいたら……演奏会に支障が出ますよ?」


言いながら、月子は岩崎に半纏《はんてん》をかけてやる。


「ああ、そうだな。少し冷え込んで来た。……そんな季節になったのか……月子も温かくしなさい。と、いうよりも、冬支度を揃えないといけない。湯たんぽ、火鉢……」


「あっ、火鉢は、早めに用意した方がよいですね……練炭を手に入れなきゃ……」


「練炭もだが、月子?冬着は揃っているのか?いないだろう?何せ、着の身着のままの状態で、ここに留まった訳だし……。温かくなるもの、お咲の羽織物も、買いに行こう。神田川沿いには大きな古着市があるからね。見ているだけでも楽しめる」


「ああ……確かに……」


月子は記憶をたどった。元々、余り神田方面には、あまり足を運んだことはなかったが、古着市は有名で観光名所にもなっていたはずだ。


「古着で申し訳ないが、寒さはすぐにやってくるし、夜着だ。わざわざ仕立てることもないだろう。というより、また、誰かさんが、お下がりだけどと駆けつけてくるのも……気が引けるだろ?」


岩崎は、冗談まじりに月子へ言った。つまりは、男爵家にばかり頼りたくないと言いたいのだろうが、月子には、古着だろうと、月子の為にという、その岩崎の心遣いがとても嬉しく感じられた。


岩崎の広い背中にそっと頬を寄せ、


「……芳子様のお下がりだと、日常使いには上等すぎますから……。古着で私は十分です」


岩崎の言葉に答えつつ、背中越しに温もりを感じた。


「明日は、教鞭が休みの日だから、皆で出掛けてみよう。早く休みなさい」


何事もないように岩崎は答えるが、声はどこか弾んでいた。


──翌朝。


岩崎は結局遅くまで作曲を行っていたようで、朝餉が出来上がっても布団を頭から被って起きない。


「旦那様ーー!朝餉だよ!!」


お咲が、岩崎の体を何度も揺すった。


そのたび、もう少しと岩崎は粘っている。


「月子様……。旦那様起きないよ?」


「そうだね。困ったね……」


岩崎の枕元に座り、月子とお咲はその寝起きの悪さに困惑した。


「……もう少しだけ……月子。もう少し……」


唸りながら、布団の中から岩崎の手が伸びてくる。


同時に、うわあとお咲が叫んだ。


「え?!京介さん?」


「……月子……」


と、呟く岩崎の懐には、お咲が……。


月子と間違えたらしいが、寝ぼけていて気がついていないようだった。


「月子……は……暖かいなぁ……とても小さい……」


変わらず寝ぼけたままの岩崎は、お咲を布団に引き込み抱き締めている。


そして、ちゅっと音を立て、お咲の額に口付ける。


「やだよーー!!」


抱き締められている岩崎の腕の中で、お咲は身をよじり逃げ出そうとしていた。ついに、我慢ならなくなったようで、えい!という声と共に、辛うじて自由になっていた足で岩崎を蹴った。


「う、うわああーー!!」


怯んだ岩崎から、お咲は逃げ出すと、袖で額を拭い、


「お咲、顔洗ってくるっ!!!」


と、顔を歪めながら叫び、そのまま、走って行ってしまう。


「え?あ、あの……?」


だいたい、というよりも、岩崎が寝ぼけて勘違いしたのだと月子はわかっていたが、さて、どう声をかけるべきか……。岩崎は、うううと、苦しげな呻き声を布団の中で発するのみだ。


「……京介さん?」


尋常じゃない様子に月子は声をかけるが、苦しみながら岩崎は、必死に何か言っている。


「……つ、月子、け、蹴るな、た、たまらん、そこは、やめてくれ……」


言って、岩崎は布団の中で縮こまっている。


「……急所に……あたった……」


岩崎は、それだけ言うと、うんうん、唸り続ける。


「あったりめぇーだろうーがっ!!月子ちゃんの目の前で、お咲を襲った罰だっっ!!!京さん!あんた、何考えてんだよぉ!!!!」


大きな風呂敷包みを抱えた二代目が、部屋の入り口に立っていた。


「に、二代目さん?!……どうされました?」


突然現れた二代目といい、うんうん、唸っている岩崎の姿といい、月子は、訳がわからずで、おろおろするばかりだった。

麗しの君に。大正イノセント・ストーリー

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