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天使、知恵、恐怖
天王城の廊下。
透とハロックは、並んで歩いていた。
高く静かな天井、左右には透き通るような蒼いガラス窓。差し込む光が、床に白金の模様を描いている。
「それで天王って呼ばれるの、むずがゆいんだよね〜…なんかこう、肩こるっていうかさ〜」
隣を歩くハロックは、ひらひらしたスカートを揺らしながら、口調だけは軽い。
「……けどまあ、国は背負ってるしね。私がフラついてたら下が困るもん。しゃんとしなきゃって思ってるよ」
「らしくないな。てっきりキャピキャピしてるだけかと思ってた」
「でしょ〜?てか酷くない?」
ハロックは少し笑ってから、透の方に視線を向ける。
「……けど、トオルの方が“らしくない”って言われそうじゃん。
無理して笑ってるの、バレバレだよ?」
「は?俺は別に無理してないと思う…けど」
「ふ〜ん。なら、もうちょっと素直になってみなよ。ほら、ちょうどよかった」
そう言って、ハロックが足を止める。
透の目線の先──
白が、そこに立っていた。
月のような、冷たい白。
風にそよぐ、銀色の髪。
そして背中には、静かに羽ばたく純白の翼。
まるで、廊下そのものが音楽を聴いているような錯覚。
そこにいるだけで、空気の質が変わるようだった。
「紹介するね。私の幹部、“歌姫”セレナ・フェルリナ。
たぶんトオルと相性いいと思うよ?」
透は何も言えなかった。ただ、その静かな存在感に目を奪われていた。
「セレナ、この子が“トオル”。私が気に入っててちょっと不器用な子」
セレナはゆっくりと近づき、胸に手を添えてお辞儀をした。
「あ、お初にお目にかかります、トオルさん。
天王軍幹部、セレナ・フェルリナと申します」
その声は、まるで歌声のようだった。
話しているだけなのに、透の心臓が、少しだけ乱れた気がする。
「……ああ。よろしく」
「じゃ、私はこれで〜。セレナの言葉、ちゃんと聞いときなよ?」
ハロックは、ひらひらと手を振って歩き去っていった。
残されたのは、静寂と、透と──“歌姫”だけだった。
白く磨かれた廊下に、ふたりきりの気配が残る。
天王の足音が遠ざかってからも、透はなんとなく口を開けずにいた。
正面にいるセレナもまた、穏やかな笑みを崩さず、黙って透を見つめていた。
やがて──
「……トオルさんって、本当に“厄災の器”なんですか?」
その声音はまるで、昼下がりの風のようだった。
何の責めもなければ、疑念もない。ただ、透自身の言葉が聞きたかった、というように。
「……あぁ。たぶん、な」
答える声は小さかった。
どこか遠くを見るようにして、透は言葉を繋ぐ。
「中に“いる”って言われた。あの扉と一緒に、ずっと前から。俺も……はっきりとはわからないけど」
「……怖くないんですか?」
「怖いよ。いつ乗っ取られるかもって、ステラにも言われたし」
短く息を吐いた。冗談にするには重たすぎて、黙ってしまう。
だが──
「でも、トオルさんは“今”自分でいようとしてるんですよね」
「……?」
「厄災が“中にいる”というより……まだ“中に閉じこめられてる”のではないかと、わたしは思います。
その強さを、どう使うか。どう守るか。選べるのは、やっぱりご本人しかいないんです」
言葉は淡々としていた。
けれど、その一語一語が、胸の奥にゆっくりと染み込んでくる。
「……なんか、不思議な人だな」
思ったままを口にすると、セレナはふわりと微笑んだ。
「よく言われますよ、“不思議”って」
「たとえば……俺が自分を失いかけたら、止めてくれるか?」
「はい。もちろんです」
即答だった。
「なにで?」
「歌で、です。わたしの“神曲魔唱”は仲間を守るためのものですから」
そこから自然と、魔法の話になった。
「“固有魔法”って、どんな感じで自覚するものなんだ?」
透の問いに、セレナは一瞬考えたあと、首を傾げるようにして言った。
「生まれたときから、もう“そう”だった──みたいな感覚です。
最初から“歌えば力が出る”とわかっていたというか……他の方法を知らなかった、というか」
「じゃあ……俺のも、もしかしたら?」
「トオルさんの扉も、たぶん……ただの“道具”じゃないですよね」
透の中に、あの日の記憶が蘇る。
コンビニから出てすぐのところで見つけた“あの扉”。好奇心のままに開けてしまった“あの扉”。そこから始まった、この異世界での全て。
「たぶん、“俺にしか開けない扉”なんだと思う」
そう呟いたとき、セレナの表情が少しだけ柔らかくなった。
「きっと、それが答えなんですよ」
沈黙。けれど、それは不安ではなく、静かな理解の間だった。
「ひとつだけ……よろしいですか?」
「ん?」
「これからもし、不安になったり、心が揺れたりしたら……
そのときは、“誰かを信じて”ください。
ご自身ではなくても、大丈夫です。トオルさんには、もう隣に誰かがいるはずですから」
「…………」
「お一人で背負う必要は、ないんですよ」
その声は、まるで歌の一節のように心に残った。
透はゆっくりと息を吸って、吐き出した。
「……お前の歌って、そういうとこにも効いてるんじゃ?」
「うふふ。……冗談ですか?」
「半分な」
二人の間に、ほんの少しだけ静かな笑みが重なる。
◇ ◇ ◇
アヴィアに戻った透はすぐには広場にも部屋にも向かわず、
どこかで見覚えのある、魔王城の一室の前で足を止めた。
──聞こえたのだ。
男の声。それに重なる、ステラの声。
「……いえ、それでは計算が狂いますね。
それでは、“あの扉”は……?」
「使い道は考えてある。ただ──」
(誰だ? ステラの……知り合いか?)
しかし、この声は──機械のように歪み、滑らかで、何かが狂っている。
透はそっと、扉に手をかけ、音を立てないように隙間を開いた。
──その瞬間、目に飛び込んできたのは。
黒のスーツを着た、異形の“男”だった。
いや、“男”と表現するしかないが──
その頭部は明らかに、人の形ではなかった。
円を幾重にも重ねたような渦。
それは電波の波のようであり、あるいは脳内を直接揺らすノイズの塊。
目も口も、顔らしきものも存在しない。
なのに、声だけが、空間に直接「挿入されて」くる。
「……ですからね、それは“愚か者の選択”と言うんですよ」
(……な、なんだあれ)
ぞわり、と背筋を冷たい感覚が撫でた瞬間。
「……入れ」
ステラの声が、迷いなく透を撃ち抜いた。
ばれた──
観念して透は、扉をゆっくり開き、その場に踏み込んだ。
中には、ステラと、さっきの“渦の男”だけがいた。
ステラは椅子に腰かけたまま、淡々と語る。
「こいつは“使徒”だ。お前の中にいる“厄災”と同じくな」
「は……?」
思考が追いつかない。
使徒……?コイツが?
「“知恵の使徒”」
ステラがその名を呟いたとき、“男”が動いた。
ぬるりと立ち上がるその動作は、関節の感覚すら存在しないかのようで。
だが、彼ははっきりとこちらを向いていた。
存在しない目で、透を見た。
「はじめまして、トオルさん。わたくしは“グウィン”と申します。
“知恵の使徒”、つまりは世界の裏側で記憶を管理する存在です」
「……お前、喋れるのか」
「もちろん。ですからね、知りたいことがあれば、何でもお聞きください。
たとえばあなたの“死ぬ時期”とか、“厄災が目覚める条件”とか──
あ、こういうのはまだダメです? ステラさん?」
「言うな」
ぴしゃりとステラが牽制するも、グウィンはどこ吹く風。
「わたくし、知識の倉庫みたいなものなんです。
ルールさえ許せば、何でも開示できる。便利でしょう?」
「……ああ、めっちゃ腹立つ」
「おや、それは光栄ですね」
全く表情がないくせに、満面の笑みを浮かべているような声だった。
「ステラ、お前……こんなやつと何の話を……」
「こいつは“厄災の使徒”に関して知っている。
お前のこともな。……だから話していた」
「ふふふ。わたしはただ、興味があっただけですよ。
“厄災を収めた人間”がどんなものか──観測したくて」
グウィンの周囲に、僅かに電波のような波がゆらりと広がった。
気づけば、声が耳の中ではなく、“脳内”で再生されていた。
「あなたがいつ壊れるのか、あるいは“運命を逆流させる”か──
非常に興味深い記録になるでしょう。ね、トオルさん」
ぞっ、と身体中の神経が逆撫でされるような感覚に襲われる。
だが、それでも透は、まっすぐに言い返した。
「……ふざけてんのか、てめぇ…!」
すると──
「いえいえ。わたくしはいつだって真面目です。
ですからね、“そのうち役に立つかもしれない”とだけ申し上げておきますよ。
それまで、どうか壊れずにいてください」
ぐるぐると渦巻く頭部から、ゆっくりと背を向ける。
「……では、またいずれ。“記録対象”として、再会する日まで」
グウィンの身体が、電波のノイズのように崩れて──
静かに、その場から消えていった。
「……あれが“知恵の使徒”だ」
ステラがそう呟くと、ようやく部屋に沈黙が戻ってきた。
「……ヤベぇのに興味持たれた…」
「それがお前の立場ということだ」
静かに告げられたその言葉は、透にとって冗談に聞こえなかった。