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足首がぐらつかないようにきつく締めるのが重要だと説明し、手本を見せるようにきっちりと紐を結んでいった。
俺も自分の足にスケート靴を合わせ、座って紐を締める。
きつすぎず、緩すぎず、足首がしっかり固定されるように慎重に調整した。
全員がスケート靴を履き終え、氷上へと続く扉の前に立った。
ひんやりとした空気がさらに強く感じられ、リンクから聞こえるエッジが氷を削る音が鮮明に響いてくる。
将暉さんは瑞希くんの肩を軽く叩きながら、焦らさずゆっくり進むよう促し、扉を開けた。
目の前には、眩しいほどの純白の氷が広がっていた。
一歩足を踏み入れると、足元から伝わる冷気で体が一気に引き締まる。
「もう俺転ぶ予感しかしないんだけど……」
瑞希くんはぼやきながらも、おそるおそる足を滑らせるように進んでいった。
俺もスケート靴の感覚を思い出しながら、ゆっくりとリンクを進んでいく。
将暉さんは瑞希くんの様子を見つつ、危なげなく先導して滑り出していた。
仁さんは、というと
初めてとは思えないほどにサラっとリンクの上に立っていて、仁さん自身も驚いた顔をしている。
「えっ仁さん、本当に初めてですか?にしては運動神経がいいような…」
思わず俺が呟くと、彼は少しドヤ顔で言い放った。
「雪道でピザの袋持って転ぶ楓くんよりはな」
その言葉に、一瞬でクリスマスのときに雪の上で転んだ出来事が脳裏に鮮明に蘇る。
あの雪の日、大事なピザを抱えて見事に滑って転んだ情けない姿を仁さんはまだ覚えていたのだ。
「いや、クリスマスのときのことどんだけ擦るんです?!」
そう言うと仁さんはくくっと喉の奥で笑って、さらに追い打ちをかけてくる。
「あのときの滑り方はもはや芸術モン」
さらっと酷いことを言ってきた仁さんに、俺も負けじと言い返す。
「こ、こっちは一応経験者ですから、なんなら仁さんが転ぶとこ見てみたいですよ!」
ドヤ顔で言い返すと、仁さんは手すりから手を離し
「とりあえず見ときな」と言って、一見軽やかそうに見える滑りを見せた。
だが、よく見ればしっかりとバランスを取って安定した姿勢を保っていることがわかる。
急な方向転換も可能で、氷の上をスイスイと、思った以上にスピードが出ることに俺は驚いた。
その姿はまるで、氷の上を滑るのが彼の日常であるかのようだった。
「うそ……完璧じゃないですか!」
思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
本当に何でも器用にこなす人だ。
久しぶりすぎて未だにフェンスから手が離せないでいる俺に、仁さんが近づいてきた。
その顔には、どこか悪戯っぽい笑みが浮かんでい
る。
「ほら楓くんも、滑ろ」
そう言って、俺の手を引いてくれる。
その手が、少しだけ熱い。
恐る恐るフェンスから手をを離すと、足がしっかり固定された感覚に安堵したのも束の間
13年ぶりということもあり、慣れない氷の上に立つ不安感が募ってきた。
「あの、な、なんか急に滑れない気がしてきたんですけど……っ」
情けない声を出して戸惑う俺に、仁さんはくすっと微笑む。
そして、少し重心がずれた俺の腰に自然と手を回し、そのままゆっくりと滑り出した。
仁さんのリードで、俺の体はゆっくりと前へと進
む。
「ほら、大丈夫」
優しく、それでいて力強い声が耳元に届く。
その声に、なぜだか胸の奥がキュッと締め付けられるような感覚を覚えた。
「は、はい……って、なんかこれじゃ俺が初心者みたいじゃないですか?」
「ははっ、立場逆転ってやつ」
他愛もない会話で盛り上がりながら
腰に添えられた手からじんわりと仁さんの体温が伝わってくるのを感じた。
俯いていた顔を上げると、すぐそばに仁さんの顔があって
その距離の近さに思わずドキッとしてしまう。
彼の視線が、俺の目を見つめていた。
その整った顔が、こんなにも近くにあることに心臓が大きく脈打つ。
その瞬間、俺のスケート靴が不意に氷の溝に引っかかったのか、足が大きくぐらついた。
視界が傾き、体が大きくバランスを崩す。
「うわっ!」
情けない悲鳴と共に、俺は咄嗟に仁さんの服を掴んでしまう。
仁さんも突然のことに体勢を崩したが、俺を支えようとしたのか
避けようとしたのか、はたまたその両方だったのか、体は大きく傾く。
そして、俺たちは避けようもなく
そのまま二人一緒にガシャンと大きな音を立てて氷上に転倒した。
背中から氷に打ち付けられる感触に身構えたが、驚くほど衝撃はなかった。
ヘルメットを装着しているからというのもあるが、なによりも
仁さんが、咄嗟に俺の後頭部と首の境目あたりに手を添え
その手のひらで衝撃を吸収するように庇ってくれていたのだ。
硬い氷に直接打ち付けられることなく済んだのは、仁さんのおかげだった。
しかし、顔を上げようとするも
覆いかぶさるような体勢になった仁さんの顔が鼻と鼻の先にあって。
その距離は、5cmもないだろうか。
息遣いすら聞こえてきそうなほどの近さに、心臓がドクン、ドクンと激しく脈打つ。
まるで床ドンされたような状態に、一瞬で頭の中が真っ白になった。
「…大丈夫?」
心配そうに覗き込んでくる仁さんの声が妙に近く、そして優しく響く。
彼の瞳は、俺の顔をまっすぐに見つめていた。
そのあまりの近さと、予期せぬ状況に
俺の耳は熱くなり、きっと真っ赤に染まっているに違いない。
体はどこも痛くないはずなのに、心臓の鼓動がうるさくて呼吸が少し乱れているのを感じる。
「だ、大丈夫です……!」
精一杯の声でそう答えるのがやっとだった。
視線をわずかに逸らすと、仁さんの頬も心なしか赤みを帯びているように見えた。
彼もまた、この状況に少し戸惑っているのかもしれない。
その瞬間、仁さんが慌てたようにパッと体を起こし、俺から距離を取った。
俺の頭を庇うように添えられていた手が離れて
少しだけ寂しいような、変な感覚が胸に残った。
彼はすぐに俺の方へ手を差し伸べてくれる。
「ほら、立てるか?」
差し出されたその手にそっと自分の手を重ねると
仁さんの指が俺の指に触れ、じんわりと温かさが伝わってきた。
そのままさんが俺の手を引くと、俺の体はすんなりと起き上がった。
二人揃って立ち上がったものの
さっきまでの密着した状態が嘘のように互いに視線を合わせられずにいる。
お互いの顔が赤くなっているのが分かって、なんだか可笑しくなってくるような
でも、それ以上に気まずいような、複雑な感情が入り混じる。
こんなに顔が熱くなるなんて、氷の上にいるのに変だな、なんてぼんやり考えていた。
その沈黙を破るかのように、背後から聞き慣れた声が響いた。
「あれ、楓もここ来てたんだ?」
振り返ると、そこに立っていたのは久だった。
スラリとした長身に、軽った顔立ち。
彼もまた、スケート靴を履いてリンクサイドに立っている。
昨日売店で会ったばかりなのに、まさかこんなところで会うとは、本当に然が重なるものだ。
「あれ?朔久!うん、ちょっとさっき転んじゃったけどね、ははっ…」
俺は気まずさを誤魔化すように、無邪気に笑って見せた。
朔久は俺とさんの間に視線を一瞬走らせ、それから俺の方へと顔を向ける。
「……じゃあ、俺が教えてあげよっか?」
朔久の提案に、俺は少し戸惑う。
仁さんは黙って俺の隣に立っているが、その表情は少しだけ硬いように見えた。
「えっ?で、でも今は仁さんが──」
俺が言いかけると、朔久は仁さんに視線を向けた。
その眼差しは、どこか挑発的で、まるで仁さんの領域に踏み込むかのような圧を感じさせる。
「犬飼さん、俺に任せてくれませんか?俺の方が、楓のことよく知ってますし、昔から楓には色々教えてきたので。ほら、絆が大事ってのもあるじゃないですか」
「絆」という言葉に、朔久は意味深な響きを含ませた。
仁さんは、朔久の言葉に静かに、そして低い声で応じた。
「そうすか。でも絆で言うなら楓くんには信頼されていますし、今は、俺が教えてるんでお構いなく」