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私の家の周囲は交通機関の空白地帯なせいか徒歩二十分圏内に人家は無く、あるのは防風林ばかりだ。車の通りも少なく、冬の寒空の下に聞えるのは、普段ならカラスの鳴き声かこの家の生活音くらいなものである。
「いやああああ!くんなぁっ来ないで!!出て行ってー!」
「はっはっは!ホントに君は可愛い声で啼く子だね」
それなのに今日は悲鳴に近い声が私の部屋の中に響き、反響までしている。 お気に入りの布団に包まりながら彼に向かい叫ぶ私は、自分の周囲にあるかろうじて怪我はさせないで済みそうな物を、右腕だけ布団から出して必死に彼の方へ投げつけた。
ぬいぐるみ、服、枕——
それらの物はすぐに私の周囲から枯渇してしまい、きょろきょろと周囲を見渡しながら焦っていると、彼が微笑みながら私の方へと近づいて来た。
「ひっ!!」
短い悲鳴をあげ、ギュッと身体を包み込んでくれている布団にしがみ付いた。
「逃げたって無駄だよ、そんな事は君だって分かっているんだろう?僕に出来ない事なんて、世の中に一つしかないんだからね!」
「ぎゃああっ!!イヤッイヤァァァァ!」
——このように、私と『彼』との再会いは、最悪だった。 タイミングも悪かったと言える。
仕事に躓きを感じ、自室で引き篭もりの日々を送っていた私の前に、彼は今日突然、何の連絡もなく現れた。
金色の髪と青い瞳。目利きの出来ない私でもすぐに判る程の高級そうなスーツと、知的さの漂う銀縁眼鏡をかけた端整な顔の美男子なんかがいきなり家に訪ねて来たら、引き篭もって生活をしていたせいで身なりも肌も髪までもがボロボロになっている身としては、先程の様に彼を追い出そうとするのは当然の事だろう。
たとえそれが、私の『親友』の『兄』だったとしても——
「……落ち着いた?」
彼はそう言って、まだ少しだけ温かさのあるペットボトルのお茶を差し出してきた。 年上の落ち着いた声質が心と耳に響いて痛い。
「はい、すみません。取り乱して……」
年中無休で外す事のない手袋をした手で私はそれを受け取り、両手で包むように持った。
ボソボソと、小さな声しか出ない自分に嫌気が差す。長い歳月を部屋の中で独りきりだったせいで声帯が衰えていると痛感した。
「勝手に家に上がってしまって失礼したね。『家に篭っている』と聞いていたからわざわざ来たのに、君が鍵を開けてくれないからだよ?」
(……いや、ソコ分かってるんなら、そもそも来ないでよ。引き篭もってるって最初から分かってんだからさ、私が家の鍵を開けないって対応は普通だよね?しかも、私が鍵を開けないからって、今度は鍵屋まで呼んでこじ開けるって、頭オカシイんじゃないの!?住居人からの依頼でも無いのに、請け負う業者も業者だよ!)
——と思っても、言いたい事を言葉に出して言えず、私はただ黙ったまま、受け取ったペットボトルをギュッと両手で握った。
「ここ、座っていい?」
一応は私にそう訊いたくせに、こちらの答えを聞かぬまま彼は私のベッドに腰を下ろした。
膝の上で手を組み、スーツ姿の彼が私の方へニコッと明るい表情で微笑みかけてくる。カーテンを締め切っているせいで昼間でも暗い部屋の中。彼の笑顔がやけに眩しく感じ、私は布団に包まったまま壁の方に少し逃げた。
「ロイ・カミーリャだけど、僕の事は覚えているかい?何年ぶりだろうね。十年?いや、十五年くらいかな」
覚えてるも何も、忘れようが無い。この世でこの人を知らない方がオカシイ。
超がつく程の金持ちである椿財閥の御曹司で、有名私立学校の理事長とホテルの経営者までをこなす。他にも病院だとか数社の会社の経営も任されていて、ハーフの美青年のくせにまだ独身だときたら、マスコミでの取り上げ回数がイヤでも多くなり、テレビだ雑誌だネットだと多方面で取り上げられている機会が多いからだ。
まさに『雲の上の人』と言っていい存在である。親友の兄とかでも無ければ、私なんかは一生会えない相手だったろう。
「……二十年」
返事をしはしたが、聞えるかどうか怪しい声しか私の喉からは出なかった。
「そっか、もうそんなに経っていたんだ。時間の流れは本当に早いね!五歳だった君が、もう二十五歳か」
本当に、『時間』ってのは残酷な程に流れが早い。引き篭もってからは余計にそう思う様になった。
「ここの事……どこで」
「雪乃からじゃないよ」
分かってる。だって、彼女は親友だとはいえ、雪乃にも自分の居場所は今まで一度も教えていなかったからだ。知らない事は兄でも教える事は出来ないから。
「調べたんだよ、どうしても君に——芙弓ちゃんにまた逢いたくなってね」
(私に、会いたい? 二十年も接点なく生きてきた私に、いきなり何故……。五歳の頃に何度か家に遊びに行った事があった程度の私に、何でまた?しかも、私とは話した事も無かったはずなのに)
頭の中では饒舌にしゃべられるのに、口からは「何で?」と、短い言葉しか出てこなかった。
「人形を、造って欲しいんだ。僕だけの人形をね!」
(人形……を? しかも私の作る人形が欲しいだなんて、気持ち悪い)
「ヤダ」
不快感を隠す事なく、私は即座に断った。
「何故だい?」
私に問いながらも、ロイさんは理由を知っているかのように全く動揺する気配はなかった。
「作れない、そんな物」
「若干二十歳にして国宝級とまで賞賛された人形を作る程の才能を持ちながら、数年前突如消息を絶ち、姿を消した人形師がいる。それって、君の事だろう?秋穂芙弓ちゃん」
説明的言葉をよくまぁすらすらと……。
しかも、私はもう『ちゃん』なんて年齢じゃないのに、いつまで人を『五歳の少女』として扱う気なんだ、この男は。
「人違いじゃないですか?此処に居るのは、どう見てもただのニートでしょ」
ぶっきらぼうな声で、私は答えた。
「見たよ、芙弓ちゃんの作った人形達。どれも素晴らしい作品ばかりだった」
「……だから、私じゃないって」
「作者名に、思いっきり『秋穂芙弓』とあったのにかい?同姓同名の他人の作品とは思えないなぁ。僕は君の処女作を見ているんだからね」
微笑みながらそう言ったロイさんの言葉に、私の中に埋もれていた記憶がふっと頭に浮かんできた。
(そうだった……。 確か、初めて作った人形は、雪乃に——あの時どこかから渡すのを見ていたんだろうか? もしくは、雪乃が私からの贈り物だと教えたのかも……)
長い篭りきりの生活は、口だけでなく脳までも硬くさせてしまったみたいで、反論する言葉が思いつかない。残念だが言い逃れは出来ないみたいだ。
だけど再び人形なんかを造る気も無い。 私はもう二度と、あんな思いはしたくないんだ。
「……そうだったら、どうだって言うんです?」
「『僕にも人形を作って!』って、言うんです」
年齢を忘れさせるような子供っぽい笑顔でロイさんが言った。確かもう彼は、三十五歳にはなっているはずなのに、こいうった表情が似合ってしまう事に不思議と腹が立つ。
「……無理ですよ、もう」
「五歳から全てを犠牲にしてまで人形を造り続けてきたのに、今更無理だって事はないでしょ」
「最近は全く作ってません。この先も作る事は考えてないし」
(どこまで調べたんだ?この人は……。 雪乃にだって愚痴を言った事がないのに、『全てを犠牲に』だなんて言葉、どうしてロイさんから出てくるんだろう?)
彼が私の何を知っているのかが量れず、体がブルッと震えた。
「お金の心配だったらいらないよ。芙弓ちゃんが望むだけの分は、十二分に支払えるから」
「でしょうね。でも、そんな問題じゃない。もう作らないんです、作りたくもないんです」
「勿体無いなぁ、あれほど素晴らしい人形を作るだけの技術を持っているのに、引き篭もりだなんて。ホント、今にも動き出しそうだったよ、芙弓ちゃんの作った人形達は」
「……動き、出しそう?」
そんな作品は美術館には寄贈してない。一般公開されている作品達は全てただの日本人形で、然程精巧な造りの物は無かったはずだ。お世辞にも『動き出しそう』だなんて表現で賛美される程の作品では無い。あの程度の人形なら正直作れる人間はいくらでもいるだろうに何故わざわざ私の居場所を調べてまで頼みに来る必要が?
(でも、待って……ロイさんが観た人形が、もし『あの人形達』の事なんだとしたら——)
「……まさか」
思い当たる人形の顔が数体、脳裏を過ぎった。そんな私の思考を見透かすように、ロイさんがにこっと優しく微笑む。
「見せてもらったからね。君の作品は、全て」
「ひ、人には見せないって約束だったのに……」
それ以上は言葉を失い、私はしばらく声が出なくなった。