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羽海汐遠
15,401
#創作百合
奏
56
最終話 次の招待状
四季星の朝は、以前と変わらず四つの季節から始まった。
春域では花が開き、入眠施設の椅子が一台ずつ起動する。
夏域では湖面が揺れ、冷感温泉へ新しい湯が注がれる。
秋域では果実が収穫され、旅館の食卓へ料理が並べられる。
冬域では雪が道を覆い、小型飛行機が空へ上がる準備をしていた。
案内板には、明るい文字が浮かんでいる。
地球人歓迎期間。
四季星おもてなし事業。
最高の一か月を、あなたへ。
広場では係員たちが笑顔の練習をしていた。
笑みの角度。
声の高さ。
頭を下げる長さ。
招待客が安心しやすい距離。
案内端末が一人ずつ評価する。
親しみ反応予測。
安心獲得率。
善意信用加算見込み。
数字が基準に届くと、胸元の印が点灯した。
係員は息を吐き、次の練習へ移る。
誰も前回の招待客について話さなかった。
話す必要がないのではない。
話せば信用値が減るからだった。
中央管理局の地下では、帰還事業報告会が行われていた。
壁一面に、五人の旅行記録が並んでいる。
春域で眠る姿。
夏域で花火を見上げる姿。
秋域で食事を囲む姿。
冬域の飛行体験で笑う姿。
映像の下には、数値が流れていた。
安心。
感動。
共感。
達成。
別れの悲しみ。
帰還時の混乱に関する部分だけは、処理済みの印で覆われている。
セムは濃い紫の制服の襟を整え、報告画面へ指を滑らせた。
地球招待事業、継続承認。
参加地域、変更なし。
感情収集設備、全域で再点検。
案内役への教育項目を追加。
規則への疑問を持たせない説明方法。
立入禁止区域へ接近させない移動経路。
招待客同士の相談時間を減らす日程調整。
新しい項目が次々に加えられていく。
会議室に並ぶ管理者たちは、異議を出さなかった。
一人が前回の事故について尋ねる。
セムは画面を閉じた。
事故ではありません。
案内手順の一部に不備がありました。
すでに改善されています。
地下作業区の映像が各地へ流れた件は。
一時的な表示障害です。
住民から質問が出ています。
正しい情報を与えれば収まります。
どの情報が正しいのですか。
その問いを出した管理者の端末が鳴った。
制度不信反応。
信用値が三つ減る。
管理者はすぐに頭を下げた。
質問を取り消します。
セムはうなずき、会議を進めた。
奴隷族という呼称は、すべての公的記録から削除されていた。
代わりに、長期保護労働者と記されている。
地下で暮らす者たちの仕事は変わらなかった。
温泉設備の整備。
食材の運搬。
観光施設の清掃。
感情記録装置の修理。
地上で招待客が喜ぶたび、その喜びを保存する装置を、地下の者たちが支えている。
彼らの腕や足首についた輪も外されていない。
変わったのは、作業区の壁に新しい文字が掲げられたことだけだった。
あなたの働きが、四季星の善意を支えています。
地上から来た管理者は、その言葉を理想的だと評価した。
リセラは春域の端にある倉庫で、古い案内端末を分解していた。
淡い紫の髪を首元でまとめ、灰色の外套の袖をまくっている。
手首の細い輪には、信用制限中の表示が点滅していた。
居住区は狭い場所へ移された。
案内資格は戻っていない。
家族との通信も一日に数分だけに限られている。
それでも、彼女は端末の中から記録部品を一つずつ抜き取っていた。
招待客の感情を保存する小さな部品。
消したふりをして残された映像。
管理局へ送られる前の生の記録。
箱の底には、すでに幾つもの部品が隠されている。
扉が二度鳴った。
リセラは部品を布で覆った。
入ってきたのはトウラだった。
短い黄緑の髪。
丸い茶色の瞳。
ベージュの作業着。
以前より背を丸めている。
手には修理用の箱を抱えていた。
今日も三台です。
トウラは箱を床へ置いた。
夏域から一台。
秋域から二台。
記録は残っていましたか。
一部だけです。
リセラは扉へ耳を向けた。
廊下に足音はない。
トウラは作業箱の底から薄い記録板を取り出した。
前回の映像を見た住民が、少しずつ情報を集めています。
何人ですか。
今は十二人。
少ないですね。
昨日より二人増えました。
リセラの水色の瞳がわずかに細くなった。
それなら、減ってはいません。
二人は作業台の下に隠した地図を広げた。
地下作業区。
管理局。
各地域の記録施設。
帰還船の発着場。
線はまだ途中で途切れている。
改革という言葉を口にする者はいなかった。
その言葉だけで、監視装置が反応するからだ。
二人は修理。
調整。
確認。
そんな言葉を使った。
壊れた制度を修理する。
間違った記録を調整する。
地下にいる者の人数を確認する。
少しずつ。
見つからないように。
数字にならない速さで。
トウラが窓の外を見る。
春域の花畑では、新しい係員が案内練習をしている。
もう次の準備が始まっています。
リセラの手が止まった。
候補が決まったのですか。
昨夜、選定部門から記録が届きました。
五人です。
前回と同じ人数。
はい。
リセラは布の下の記録部品を見つめた。
前回の五人が地球でどうなったのか、二人には分からなかった。
帰還後の記憶処理は成功したと報告されている。
四季星で過ごした一か月。
地下で見たもの。
交わした言葉。
リセラとトウラの顔。
すべて失われたことになっている。
本当に消えたのか。
どこかに残っているのか。
確かめる方法はなかった。
トウラが記録板を作業台へ置く。
次の五人も、同じ目に遭います。
リセラはすぐには触れなかった。
招待を止めれば、管理局は別の方法で続けます。
選定記録を消しても、予備候補が使われます。
それでも何かしなければ。
分かっています。
リセラは記録板を持ち上げた。
表面には五つの地球座標が並んでいた。
地球では、それぞれ違う一日が流れていた。
一人目は、駅前の小さな店で働いていた。
短い茶色の髪を耳へかけ、ベージュの上着の袖をまくって、棚へ商品を並べている。
昼休み。
休憩室へ戻ると、机の上に見覚えのない封筒があった。
宛名は正しい。
差出人は書かれていない。
封筒の表面には、四枚の葉を重ねたような印が浮かんでいた。
二人目は、学校の帰り道を歩いていた。
柔らかな栗色の髪を肩まで伸ばし、灰色の鞄を抱えている。
郵便受けから落ちかけていた封筒を拾う。
家族のものではない。
自分の名前だけが、丁寧な文字で記されていた。
三人目は、夜の事務所に残っていた。
短い墨染めの髪。
細い茶色の瞳。
机の端末へ、知らない送信元から一通の案内が届く。
無料旅行。
一か月。
季節を巡る特別体験。
画面を閉じても、数秒後には再び表示された。
四人目は、古い集合住宅の階段を上っていた。
長い茶色の髪を揺らし、水色の手袋で郵便物を抱えている。
広告の中に、厚みのある封筒が混ざっていた。
触れた瞬間、花と温泉に似た香りが広がる。
なぜか懐かしい気がした。
五人目は、家族が眠ったあと、台所で一人飲み物を飲んでいた。
耳にかかる長さの茶色の髪。
深緑の部屋着。
窓の外へ目を向けると、庭の郵便受けに淡い光が見えた。
外へ出て開ける。
中には一通だけ。
雨にも濡れていない封筒が入っていた。
五人は、互いの存在を知らない。
仕事も。
年齢も。
住む場所も違う。
共通しているのは、封筒へ指をかけたことだけだった。
中には旅の案内状が入っている。
四季星へようこそ。
一か月の滞在費は不要。
春域では安らかな眠りを。
夏域では湖と温泉を。
秋域では豊かな食事を。
冬域では空の旅を。
あなたのためだけに用意された、特別なおもてなし。
案内状の最後には、小さな同意欄があった。
体験品質向上のため、旅行中の反応を記録します。
五人のうち、一人はその文章を丁寧に読んだ。
一人は説明を飛ばした。
一人は作り物だと思って笑った。
一人は旅行写真へ目を奪われた。
一人はなぜ自分が選ばれたのかを考えた。
その瞬間。
四季星の選定室で、五つの表示が点灯した。
好奇心反応。
期待反応。
警戒反応。
孤独緩和見込み。
感動収集適性。
セムは五人の数値を確認した。
選定完了。
招待状到着。
承認待機。
背後では、次の旅行日程が組まれていく。
花畑の入眠時間。
花火の打ち上げ位置。
秋域で出す料理。
小型飛行機の飛行経路。
安心しやすい言葉。
感動しやすい順番。
疑問を持つ前に次の場所へ移動させる案内計画。
すべては前回より滑らかに整えられていた。
倉庫で、リセラの持つ記録板が震えた。
一人目。
参加に同意。
続いて二人目。
三人目。
四人目。
最後の表示は、しばらく動かなかった。
トウラが息を止める。
地球側で、五人目の人物が案内状を裏返していた。
裏面の隅。
印刷のずれに見える細い線。
それは、リセラが案内状の作成装置へ忍ばせた小さな文字だった。
旅行中、記録装置のない場所を探してください。
五人目の指が、その文字の上で止まる。
四季星では表示が揺れた。
警戒反応が上昇する。
セムが画面へ顔を近づけた。
印刷記録を確認。
異常なし。
数秒後。
五人目も同意欄へ触れた。
参加承認。
五人全員。
トウラは肩を落とした。
止められませんでした。
リセラは記録板を布へ包んだ。
止めることだけが、できることではありません。
気づく者が一人いれば、前回とは違います。
一人だけで足りますか。
足りません。
リセラは倉庫の奥へ歩いた。
隠していた記録部品を箱へ入れる。
だから、増やします。
四季星の発着場では、帰還船が招待船へ切り替えられていた。
座席が整えられる。
歓迎映像が読み込まれる。
感情記録装置が起動する。
春域では花が揺れた。
夏域では温泉水路から湯気が昇った。
秋域では五人分の食器が用意された。
冬域では小型飛行機が整備場から運び出された。
地下では、長期保護労働者と呼ばれる者たちが、次の旅行のために働いていた。
地上では、係員が笑顔の練習を続けていた。
管理局では、理想的な制度が問題なく動いていると報告された。
改革は、まだ始まったと呼べるほど進んでいない。
前回の五人が残した揺れは、小さく押し込められていた。
それでも消えてはいなかった。
記録部品の中。
住民の記憶。
信用値を失っても道を開けた者たちの胸。
リセラとトウラが広げた地図。
そして、新しい案内状の隅。
誰にも評価されない文字が残っていた。
地球の五つの場所で、封筒が閉じられる。
五人は出発の日を待つ。
まだ、何も知らない。
自分たちが選ばれた理由も。
笑顔が数値になることも。
善意が暮らしを決めることも。
地下で誰が旅行を支えているのかも。
一か月の終わりに、何を失うのかも。
四季星の招待船が、静かに発着場を離れた。
その行き先は地球。
座席は五つ。
案内端末には、すでに名前が並んでいる。
次に選ばれる五人は、もう決まっていた。
コメント
1件
読み終わりました…。 すごく静かで、すごく重かったです。 四季星ってこんなに美しい世界なのに、その裏でじわじわと善意が搾取されていく感じが怖かった。 リセラがあの案内状に小さな文字を忍ばせたシーン、胸が熱くなりました。 答えはまだ見えないけど、確かに抵抗の種は残ってるんだなって思いました。 最終話として、ちゃんと次への余韻を残す構成が好きです。