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沙奈《さな》の話によると、猫は、屋敷に出入りしている、干し魚屋から貰《もら》ったそうで、都の西の端にある店まで足を運んだとか。
そして、猫大暴れの為、入れた弦籠《かご》の底が抜け、麻袋に詰め込むことに。
それにしても、モゾモゾ動く袋を、長良《ながら》も良く運んだものだと思いきや、帰りは、またもや、屋敷に出入りしている青菜売りの荷車に乗せてもらい戻ってきたという。
ここまで、すべて、沙奈の計らいというのだから、なんとも恐ろしい。五つの幼子が、いつの間に出入り商人と、そこまで顔馴染みになったのか。
皆が驚いている間、猫は、徳子《なりこ》の膝で、ゴロゴロ喉を鳴らしていた。
「まあ、そのような大義の末に、お前は、やって来たのですね?」
徳子は、猫を撫でてやる。その様を、守近が、目を細め眺めている。
ああ、いつもの光景だと、女房達が安堵した瞬間、沙奈が叫ぶ。
「あー!お方様!猫ちゃんが可哀想です!」
「あら!撫でてはいけなかったのかしら?」
「そうではなくって、名前ですよっ!猫ちゃんの名前!」
どうやら、お前呼ばわりが、いけなかったらしい。
「そうか、そうだな。徳子姫、猫に名を与えてやりましょう」
「まあ、猫にも名が必要なのですね!」
余りにも、浮世離れしている二人に、女房達は呆れ果てるが、長良だけは、妹の振る舞いに冷や汗を流していた。
「よし、私は、徳子と呼びましょう。愛《あい》らしい、徳子や」
守近の呼び掛けに、猫は、ニャァーンと鳴いて答えた。
「まあ、でしたら、私は、守近と……。愛《いと》しい守近や……」
徳子の呼び掛けにも、猫は、ニャァーンと鳴いて答える。
──こうして、実に馬鹿らしくも、紛らわしい名前を与えられた猫は、守近の屋敷で、いたく可愛がられる事になる。
主《あるじ》は、猫を、徳子《なりこ》と呼び、女主《おんなあるじ》は、守近と呼ぶ。
猫も、何やら心得ているようで、ちゃんと、それぞれにニャァーンと鳴いて返事をしている。
そんな光景を、屋敷の者達は、なんのことやらと、眺めていたが、いつのまにか、皆も、守近、徳子、と、猫を呼ぶようになっていく。
流石に、呼び捨ては心ぐるしいと、守近様、徳子様と敬称を付け、さらに、男衆《げなん》は、女主の名は口にできぬと守近様と呼び、女衆《げじょ》は、主の名を呼ぶのはどうも慣れぬと、徳子様と呼び……、と、それぞれが馴染んでいる名で猫を呼び始めたのだった。
こうして、屋敷では、日がな一日、守近様、徳子様と、主夫婦《あるじふうふ》の名前が聞こえるようになった。
と、なんとも、能天気、否、長閑《のどか》な風情が流れていたが……。
猫が突然、いなくなった。
屋敷は、上を下への大騒ぎ。
誰が知らせたのか、守近はお勤めから早々に戻り、徳子は、床《とこ》につきそうなほど、蒼白な面持ちで消沈している。
皆で、屋敷の敷地をくまなく探すが、見つからない。
もしや、誤って外へ出てしまったのでは、と、男衆に女衆は、揃って大路《おもてどおり》に出て、守近様、徳子様と、名を呼びながら、猫を探し始めた。
道行く人々は、守近とその北の方──正妻《なりこ》が、いなくなったと思い込み、大路《とおり》は騒然となる。
どうしたことか、そんな時に限って、都警備の検非違使《けびいし》の巡邏《みまわり》と、かちあってしまい……。