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第43話:イロハで動く街
朝の市場。
水色のパーカーに黄緑の短パン姿のまひろは、
小さな布のエコバッグを握りしめて歩いていた。
髪は寝癖がふわりと跳ね、無垢な瞳が光を受けてきらきらしている。
今日は「おつかい」の日だった。
イロハで動く商店街(改稿版)
市場の入口には、翡翠核を組み込んだ案内灯がゆっくりと点滅し、
「本日の安心品質:イロハ区分で掲示しています」と流れていた。
最初に向かったのは果物屋。
棚いっぱいにミライリンゴが並び、
そのすべてに“同じ見た目の札”が下がっている。
しかし書かれているのは文字ではなく、ただの三文字。
「イ段」
「ロ段」
「ハ段」
どれも赤いリンゴ。どれも大きさも形もほとんど同じ。
まひろは首を傾げた。
「おじさん、これぜんぶミライリンゴなのに……なんでイとロとハになるの?」
果物屋の店主は、墨染めの前掛けに灰のシャツ。
大きな手でミライリンゴを拭きながら、笑って答えた。
「イ段は“かるい甘さ”、ロ段は“しずかな甘さ”、ハ段は“こくのある甘さ”だよ」
「へぇ〜……色とか形じゃなくて、味で決まってるんだね」
店主は首を振った。
「味でもないんだよ。
イロハで分けるのが“安心の売り方”なんだ。
市民が迷わないように、なんでもイロハで整えるのさ」
まひろは無垢な顔でうなずき、
イ段のリンゴをひとつエコバッグに入れた。
店主は続ける。
「昔は“品種名”とか“産地”とかあったらしいけど、
今はイロハ区分に全部まとめてるんだとさ。
こっちの方が安心に聞こえるんだって」
同じ見た目のリンゴが、
実質的な情報をすべて隠したまま“イロハだけ”で売られていく。
イロハのバス停
次に、街角のバス停へ。
停留所の名は「安心通リ・イ番」。
灰のジャンパーを着たサラリーマンが電子端末を見ながらため息をついていた。
アナウンスが流れる。
「まもなく——イ系統バスが到着します。
ロ系統へお乗り換えの方は、次の停留所でどうぞ。」
イ系統がどの方面か、ロ系統がどこへ向かうのか——
地図には細かい情報はなく、色のついた線とイロハだけ。
まひろは、昔の数字を知らない。
“イロハなら安心”という刷り込みのまま、迷いなく乗り場を探す。
学校への道:信号もイロハ
横断歩道に立つと、信号機に小さな光が灯った。
「イ → 渡る」
「ロ → 待つ」
色ではなく、イロハ。
音でもなく、言葉でもなく、ただ“イロハ”だけ。
まひろは「イ」が光った瞬間を見て走り出した。
学校の掲示板
校門には今日の予定が貼り出されている。
「掃除当番:イ組 → 前半 / ロ組 → 後半」
「給食係:ハ組」
まひろはランドセルを揺らしながら、友達に声をかける。
「ぼく、今日イ組だからほうき担当ね!」
友達のヒロトは黄緑シャツにグレーのズボン。
「ロ組は配膳だよー。
ハ組はいつも“軽い仕事”でズルいよなー」
“ハ=軽い”という価値観は、
まるで昔からあった譲れない意味のように使われていた。
図書館での分類
図書館では棚がイロハで整理されている。
「物語・イ」
「物語・ロ」
「物語・ハ」
「調べもの・イ」
「学び資料・ロ」
司書の先生は淡い灰色のカーディガン姿で、優しく微笑んだ。
「イロハはね、本にとっての“道順”なの。
昔みたいに難しい分類がないから、安心でしょ?」
家庭でもイロハ
夕方、家に戻ると——
ミウがベージュとモカの中間色の落ち着いた服にエプロン姿。
イヤリングが小さく揺れている。
「え〜♡ 夕ごはんはねぇ、イがサラダで、ロがスープ、ハがメインだよぉ」
「じゃあ、ぼくイから手伝うね!」
イロハで順番を決める。
イロハで役割を決める。
イロハで安心する。
結末:イロハが“街の味”になる
その夜のニュース。
街守隊(ガイシュタイ)の隊員がインタビューに答えていた。
「本日の巡回ルートは、イ区 → ロ区 → ハ区です。
市民のみなさん、安心してお過ごしください」
画面には
「イロハ区分・今日の安全指数」
が表示されている。
布団の中で、まひろはそっとつぶやく。
「イロハって……街の味みたいだなぁ……」
街灯が外で淡い緑色に明滅する。
それはまるで、
大和国という国そのものが“イロハのリズム”で呼吸しているようだった。