テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
もあ
44
鬼霧宗作
50
#復讐
りう。
45
さぶれ-SABURE-
1,239
その日の夜、メリーティアはどうにも眠れない様子だった。窓際に置かれたイスに腰掛け、ハイテーブルに肘をついて夜空を眺めている。
ケイリクスが入浴に行く前とまったく同じ体勢だ。
無理もない。彼女が望んだこととはいえ、ただの貴族令嬢には昼間見た光景は相当衝撃が強かっただろう。
やはり見せるべきではなかった。
以前のようにまた睡眠薬を処方させるべきだろうか。しかしあまり薬に頼りすぎるのもよくない。
自分が彼女の心を癒やすことができたらいいのに。
ケイリクスは一瞬ためらったあと、慰めるべく近づいた。
「……眠れないかい?」
声をかけると、振り返ったメリーティアが見上げてくる。ピンク色の瞳は、夜に見ると紫にもよく似ていた。
「ええ、興奮して眠れないんです」
感傷に浸っているのかと思いきや、メリーティアの目は爛々と輝いていた。顔色もよく、声が弾んでいることから上機嫌なことが窺える。
このように生き生きとした姿をこの頃あまり見られなかったため、ケイリクスは彼女のその秘められた残虐性などには目を瞑り、慈しみに満ちた笑みを浮かべた。
「あの女が死んで、少しは気分がよくなったみたいだね」
「わたし、あの人のこと嫌いだったんです。わたしとあなたを殺そうとした人ですもの」
「余も気分がいい。これでそなたを皇后にできる」
メリーティアは顔の前で指先を合わせると、パァッと表情を明るくした。
「それじゃあ、お祝いをしましょう。ワインで乾杯しませんか?」
「まだ身体は回復途中だろう?」
「……少しだけです。だめですか?」
「本当に少しだけだよ」
ベルを鳴らし侍女を呼ぶと、先にメリーティアが口を開く。
「あのワインを持ってきてちょうだい」
「かしこまりました」
それだけで通じたようで、侍女は頭を下げて退室していった。
メリーティアはそんなにもワインが好きだっただろうか。
不思議に思って彼女を見ると、わくわくした様子で侍女がワインを持って戻ってくるのを待っていた。
箱に入れられたワインと、グラスがふたつ運ばれてくる。
侍女がコルクを開けようとすると、「あとはわたしがやるわ」と言って下がらせていた。
「……それは?」
メリーティアが持つ箱を覗き込むと、蓋が開けられる。
まるで宝石箱のようにベルベッドが敷かれた長方形の箱の中には、皇帝である自分でもあまりお目にかかれない銘柄のワインが入っていた。――『ヴィネコット』だ。
「これ、どうしたんだい?」
「兄が第二皇子殿下の補佐官試験に合格したときに、両親がお祝いでいただいたそうなんです。一本お裾分けしてもらったのを、タウンハウスから取り寄せておきました。特別な日に陛下といっしょに飲みたくて、今日まで大事にとっておいたんですよ」
「それはそれは、貴重なワインの価値がさらに跳ね上がったな」
うれしさに顔を綻ばせる目の前で、メリーティアがワインのコルクを抜く。ふたつのグラスに注ぎながら、彼女はいつもより明朗に言葉を紡いだ。
形のいい唇が忙しなく動くのがかわいらしくて、目が離せない。
「いい香りですね」
静かにと注ぎつつ芳醇な香りに酔いしれて、メリーティアは「はあ」と色っぽくため息をこぼす。
同意してあげたいところだが、ケイリクスのほうまでは香ってこなかった。
『ヴィネコット』ともなれば、メリーティアが上機嫌なのも頷ける。
彼女がこんなに喜んでいるのは珍しい。もっと早くワインが好きなことを知りたかった。
目尻を下げてにこにこ笑う顔がかわいくて、何本だろうと、値段がいくらしようと、今後は『ヴィネコット』を買い占めようと心に決める。
世界中からあらゆる銘柄のワインを取り寄せるのもいいだろう。
今日のメリーティアはとびきり美しくてかわいい。ケイリクスが彼女を見初めたデビュタントボールで、グウェンダルに対して見せていた無邪気な笑顔を彷彿とさせる。
そこまで考えて、ある違和感に気づいた。
メリーティアは今、心から笑っている。
ケイリクスの前では一度も見せたことがない、本当の笑顔だ。
モナを処刑したことくらいで彼女の心を得られたとは思えない。それなのに、なぜそんなふうに笑うのか理解できなかった。
彼女が自分に心から笑いかけてくれるはずがない。だって、なぜなら、メリーティアはケイリクスのことを――
「どうぞ、陛下」
スッと差し出されたグラスには、重厚な赤みのワイン。スワリングしてみると、官能的なまでの芳醇な香りの中に瑞々しい桃の匂いが混ざっていた。
「は」
ケイリクスは唇の隙間から息をこぼすように笑った。
この匂いを知っている。忘れられるわけもない。メリーティアがモナの画策により毒殺されたかけたとき、彼女が吐いた血からも同じ匂いがしていたのだから。
メリーティアもこの匂いに気づいているはずだ。気づいていながら上機嫌にしている。
ケイリクスは続けて笑った。
彼女はそんな自分をゆったりと笑って眺め、グラスを掲げる。
「乾杯しましょう、陛下。この喜ばしい日に」
ケイリクスの持つグラスに軽くぶつけられ、ガラスの華奢な音が鳴る。
グラスを口元まで上げて、メリーティアをそっと見据えた。
「――余が死ねば、そなたは幸せになれるのか?」
月明りに照らされた部屋を静謐が満たしている。
メリーティアが艶然と微笑むのを目の当たりにして、ケイリクスは双眸を細めた。
向けられた笑顔は、これまで見てきた彼女のどの姿とも比較にならないほど美しい。
わかっていた。最初からわかっていた。
メリーティアが自分のことを好きになるはずないのだ。
グウェンダルを見つめるまなざしと、自分に向けられるまなざしは温度からして違う。
彼女が愛しているのは、今も昔もグウェンダルただひとりだ。
それなのに自分に近づいたのは、これが目的だったのだろう。
(いつ気づいたんだ? 余がグウェンダルを殺そうと思っていたことを)
彼を守るためだけにここまでするなんて、どうやらメリーティアのことを見誤っていたようだ。
ケイリクスが彼女のためにこの世のすべてを壊せるように、彼女はグウェンダルのためなら自分だって犠牲にできる、というだけのことか。
彼女にとって、自分はどこまでいっても邪魔者でしかない。
今からだろうとグウェンダルを殺すこともできる。貴族ひとりに冤罪をかけて処刑するなど、ケイリクスには容易いことだった。
けれどそうしてメリーティアを手に入れたところで、一生自分の心は満たされない。
それがはっきりとわかってしまった。
この離宮でだんだんと憔悴していくメリーティアを見てきて、自分の気持ちに気づいた。
彼女にこんな顔をさせたいわけじゃない。
痩せ衰えていく彼女の姿は、ケイリクスに恐怖を抱かせた。
メリーティアから笑顔を奪ってまで、無理やり手に入れたいとは思わない。
笑っていてほしいのだ。
ケイリクスが見惚れたあのときのように、幸せそうに、咲き誇った一輪の花のように、メリーティアには笑っていてほしかった。
彼女を幸せにしたかった。
一度メリーティアを手に入れてみた今だからこそわかる。彼女に対する自分の気持ちが、ただ美しいものを手元に置いておきたいという欲求ではないことも、何がなんでも彼女を自分のものにしたいというおぞましいだけのものではないことも。
心の底からメリーティアを愛している。
幸せを願っている。
彼女がこれ以上傷つくことなく、自分を犠牲にすることもなく、ただ愛しいひとの隣で笑っていられるなら、その隣にいるのが自分でなくても我慢しよう。
彼女が幸せになるための道を歩んでいくには、きっとケイリクスの存在が厭わしいのだろう。
(メリーティアに殺されるのなら本望だ)
「それでも愛しているよ、メリーティア」
ワインを一気に飲み干す。毒入りとわかっていながらも、躊躇はなかった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!