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第二話 ③【消えた終電客】
事情聴取を終えて外に出た頃には、すっかり夜になっていた。
警察署の前の街灯が白く光っている。
誉は深く息を吐いた。
「最悪だ……」
「今日は何回目、それ」
「数えてません」
「でも更新したね」
「何を」
「最悪記録」
「嬉しくない」
シオンはポケットに手を突っ込み、少し歩いてから言った。
「K.H.って、北松誉以外にもいるだろうけどさ」
「でも“しおん”と並んでたら、どう考えても俺たちでしょう」
「だよね」
「だよね、じゃないんですよ……」
誉は立ち止まった。
「ねえ、あなた、本当に心当たりないんですか」
「あるかもって昨日言った」
「もっとちゃんと話してください」
シオンは珍しくすぐに返事をしなかった。
しばらく黙って、歩道のガードレールを軽く蹴る。
「……前に、ライブハウスで揉めたやつはいる」
「何で揉めたんです」
「しつこい客」
「ファン?」
「っていうか、半分ストーカー」
誉は眉をひそめた。
「男ですか」
「男も女もいた」
「いた、って複数……?」
「バンドやってるとたまにある。距離感おかしいやつ」
「それ、たまにで済ませていいんですか」
「でも今回のがそいつらと同じかは分かんない」
「分からないこと多すぎる……」
その時、シオンのスマホが鳴った。
画面を見るなり、シオンは露骨に嫌そうな顔をした。
「誰ですか」
「メンバー」
「出ればいいじゃないですか」
「めんどい」
「俺はあなたのその感じが一番めんどいです」
結局シオンは電話に出た。
少し離れたところで、ぶっきらぼうに応答する。
「……はいはい。今、外。……知らねえよ、リハ遅れたの昨日だろ。……うるさ。じゃ、あとで」
通話を切って戻ってきたシオンは、面倒そうに言った。
「スタジオ行かなきゃ」
「どうぞ」
「北松は?」
「帰りますよ。普通に」
「普通、ね」
「何ですか」
「今日、部屋行っていい?」
「よくないです」
「即答」
「当たり前でしょう」
「でも事件の話、まだ整理したくない?」
「したくなくはないですけど」
「じゃあ決まり」
「決まってないです」
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だが結局、その夜もシオンは誉の部屋にいた。
なぜなのか。
誉にも分からない。
シオンはコンビニで勝手に買ってきたカップ焼きそばをすすりながら、ローテーブルの上に警察でもらった名刺を置いた。
「相良刑事、当たりっぽいね」
「何がですか」
「ちゃんと見てる」
「刑事なんだから当たり前じゃ」
「そうでもないよ」
シオンは箸をくるくる回した。
「北松、あの紙どう思う?」
「どう思うって……気味が悪いです」
「うん」
「俺のイニシャルと、あなたの名前と、終電。偶然にしては変だ」
「だよね」
「でも、俺たちが狙われる理由が分からない」
「そこ」
シオンは即座に言った。
「たぶん、俺たちが狙われてたわけじゃない」
「……え?」
「順番が逆かも」
誉は眉を寄せる。
「どういう意味ですか」
「最初から誰かが“終電で誰かに接触する”つもりで動いてて、たまたま俺と北松がそこに入った」
「たまたま?」
「たとえば、あの男が誰かを見張ってた。あるいは受け渡し相手を探してた。でも何かトラブルが起きて、結果として俺たちに接触し損ねた」
「接触、って」
「紙を持ってたってことは、俺か北松、あるいは両方に用があった可能性がある」
「そんなの、余計怖いんですけど」
「うん。ちょっと楽しくなってきた」
「全然楽しくない」
誉は頭を抱えた。
「あと」
シオンが続ける。
「“しおん”がひらがなだったの、気になる」
「そこ?」
「うん。俺のこと知ってる人なら、普通カタカナで書くやつ多い」
「芸名だから?」
「そう。ライブのフライヤーもSNSもカタカナ。わざわざひらがなで書くの、直接聞いたか、口頭で覚えたか、あえて崩したか」
「……」
「で、K.H.はイニシャル。北松誉ってフルで知ってるわけじゃない」
「じゃあ、俺のことも中途半端に知ってる人間……?」
「かもしれない」
誉はぞっとした。
名前を知られているわけではない。だが、何かしらの形で自分にたどり着ける程度には情報を持っている相手。
会社の人間か。
取引先か。
通勤で見かけるだけの誰かか。
あるいは、まったく別のところから。
「……やっぱり最悪だ」
「でも、北松」
「なんですか」
「昨日よりは前に進んだ」
「そうですか?」
「うん。何も分かんない最悪から、ちょっと分かってきた最悪になった」
「慰めになってないんですよ、それ」
シオンは笑った。
その時だった。
誉の部屋のチャイムが鳴った。
夜の九時過ぎ。
二人とも、ぴたりと動きを止める。
「……誰」
誉の声が上ずる。
「知らない」
「あなたの知り合いじゃないんですか」
「俺、ここの住所まだ誰にも言ってない」
「まだって何」
もう一度、チャイム。
短く、間を置いて二回。
誉は立ち上がったが、足がすくんだ。
シオンが先に手を上げる。
「待って。俺、見る」
「いや、危ないかもしれないでしょう」
「覗き穴だけ」
シオンは静かに玄関へ向かった。
さっきまでの緩い空気が消えている。
誉も息を殺してついていく。
シオンがドアスコープを覗き、表情をわずかに変えた。
「……誰ですか」
誉が小声で聞くと、シオンも低く返した。
「女の人」
「え」
「しかも、泣いてる」
誉は凍りついた。
シオンはスコープから目を離さず、さらに続ける。
「で、たぶん——」
「たぶん?」
「俺のこと知ってる」
玄関の向こうで、か細い声がした。
「……シオン、いるんでしょ」
誉とシオンは、同時に顔を見合わせた。
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