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第三話 ①【泣いている来訪者】
玄関の向こうで、女がもう一度言った。
「……シオン、いるんでしょ」
夜の廊下に響くその声は、細くて、震えていて、それなのに妙に耳に残った。
北松誉は息を止める。
シオンはドアスコープを覗いたまま、無言だった。
「……知り合い、なんですか」
誉が小声で問うと、シオンはようやくスコープから顔を離した。
「知り合い、ではある」
「じゃあ出ればいいじゃないですか」
「いや」
「いや?」
「今、すごい出たくない」
「子どもか」
誉は思わず眉をひそめた。
だがチャイムはまた鳴る。さっきよりも控えめに、ためらうように一回だけ。
「シオン。お願い。話だけ」
シオンは壁に頭を預け、心底面倒くさそうに目を閉じた。
「……最悪」
「いや、それはこっちのセリフなんですけど」
「北松、代わりに出て」
「なんでですか」
「俺いま顔合わせると、余計ややこしくなる」
「知らない女の人に、知らない男が対応するほうがややこしいでしょう」
「でもこの家の住人あんたじゃん」
「だからこそです!」
声が少し大きくなってしまい、二人そろって口を閉じる。
沈黙のあと、玄関の向こうから、今度はノックがした。遠慮がちで、弱々しい音。
「……もういい」
シオンがぼそりと言って、ドアノブに手をかけた。
「ちょ、ちょっと、そんな急に」
「騒ぐほうがまずい」
言うや否や、シオンはチェーンをつけたまま、扉を数センチだけ開けた。
誉はその後ろからそっと覗く。
廊下に立っていたのは、二十代前半くらいの女だった。
長い髪は少し乱れ、薄手のコートの下にニットワンピース。化粧は崩れていて、目元が赤い。きれいな顔立ちをしているのに、ひどく疲れて見えた。
そして女は、扉の隙間から見えたシオンの顔を見て、露骨にほっとした。
「……よかった」
「よくない」
シオンは冷たく言った。
「なんでここ分かったの」
「電話……出ないし」
「だからって来る?」
「来るよ。だって」
女はそこで誉に気づいた。
ぱち、と瞬きして、気まずそうに一歩引く。
「……ごめんなさい。えっと」
「住人です」
誉が反射で答えると、女はさらに気まずそうな顔をした。
「すみません、夜に。私、ちょっと、シオンに用があって」
「だから何」
シオンの声は驚くほど乾いていた。
いつもの軽さがない。
誉はそれを横で聞きながら、二人の間にある空気の重さに落ち着かなくなる。
「中、入れて」
女が言う。
「嫌」
「お願い」
「嫌だって」
「じゃあ外で話す」
「もっと嫌」
「シオン」
女の目にまた涙が滲んだ。
誉はいたたまれなくなる。自分の部屋の玄関先で、どうしてこんな修羅場みたいなものを見せられているのだろう。
「……あの」
つい、口を挟んでしまった。
二人が同時に誉を見る。
「廊下で長く話すのも、あれなので……少しだけなら」
「北松」
「なんですか」
「こういうのに首突っ込むとろくなことないよ」
「もう十分ろくでもないです」
シオンは露骨に嫌そうな顔をしたが、女は小さく頭を下げた。
「本当に、少しだけでいいです」
誉はチェーンを外した。
五分後。
誉の部屋は、さらに意味の分からない空間になっていた。
ローテーブルを囲んで、誉、シオン、見知らぬ女。
しかも女は温かいほうがいいだろうと思って誉が出した麦茶のコップを両手で持ち、シオンは壁際にあからさまに不機嫌そうに座っている。
誰か説明してほしい。
主に自分に。
「……で?」
シオンが先に口を開いた。
「何の用」
女はコップを見つめたまま、しばらく黙っていたが、やがて小さく言った。
「秋山が、いなくなった」
誉は顔を上げる。
その名前に覚えはない。
けれどシオンは、ほんのわずかに表情を変えた。
「……は?」
「昨日の夜から連絡取れないの。ライブのあと、帰るって言ってたのに」
「だから?」
「だからって……」
「俺に何してほしいの」
「探して」
即答だった。
シオンは呆れたように笑う。
「無理」
「無理じゃない」
「なんで俺が」
「だって秋山、あんたのこと追ってたかもしれない」
部屋の空気が一瞬で変わった。
誉は思わず身を乗り出す。
「……追ってた?」
女ははっとして誉の方を見る。
自分が余計なことを言った、と気づいた顔だった。
「え、あの」
「それ、どういう意味ですか」
誉の問いに、女は困ったようにシオンを見る。
シオンは舌打ちした。
「……詩織」
そこで初めて、女の名前が分かった。
「余計なこと言わないで」
「だって、もう隠してもしょうがないじゃん」
「しょうがある」
「ないよ。もう警察まで絡んでるんでしょ?」
誉は目を見開いた。
「警察?」
詩織という女は、やや青ざめた顔でシオンと誉を見比べた。
「……やっぱり、そうなんだ」
「だから何で知ってるんですか」
「秋山が昨日、“シオンを見つけた”ってメッセージ送ってきたから」
誉の喉が詰まる。
シオンは無言で床を見た。
「そのあと、連絡が途絶えたの」
蒼乃(キャラボ中〜!)